第29話

文字数 5,737文字

 お腹が空いた、というナナシの要望に応える形で神座は車をファミレスの駐車場に入れる。都市型タイプの店舗の為、深夜だというのに客席は割と埋まっていて 店員に案内されたのはドリンクバーのすぐ前のテーブル席だった。
 「わたし、ファミレスって意外にも初めて。」
 「そうですか。」
 彼女に対する返事が億劫になっていたのはソファ席に座ったためか今日一日の疲れがどっと押し寄せてきたからだ。
 「噂ではなんでもある、って聞いたことはあるけど 何、食べようかなぁ。」
 陽気にナナシはメニュを開いていく。

 「なんでもどうぞ。」
 少なくとも自分は食べる気が起きなかった。色々なことが一日であり過ぎた。特に目の前の彼女がそうだ。死刑囚という立場でありながら拘置所に収監されることもなく、警察の捜査に協力をする見返りに 死刑の執行猶予を得るという特別措置を受けながらあろうことか外出でも出来る囚人など後にも先にも聞いたことがない。しかも詳しい経緯は教えてもらっていないが彼女は大量殺人という罪を犯しているという。所謂、危険人物なのに その容貌にもはや完全に油断してしまっている自分が少し情けなくもあった。
 「小麦は食べないの?」
 「私はコーヒーだけ。」
 「ダイエットとか気にする方?」
 「いえ、今、食べてしまったら多分、完全に眠ってしまうからです。」
 「逃げられたら大変だもんね。」
 ナナシは言う。
 「まあ逃げる気はないけれどさ。」
 彼女は右手首についた鈍く光るブレスレットを見せた。彼女が逃亡を試みた時点でどこにいようと遠隔操作でブレスレット内部の毒物が彼女の体内に注入される仕組みになっているらしい。

 「やはり貴女でも怖いですか、死ぬのは?」
 神座の質問に答えるよりも先にナナシは呼び出しベルを鳴らした。店内に電子音が鳴る。
 「もともとそういうものだと思っていたからね。怖くはなかった。今でもそう。でも、今は簡単には死んでやるか、とは思っているよ。」
 人はなぜ生まれるのか、という哲学的な問いに対する答を聞いているかのようだった。ナナシの言う死ぬために生まれてきた、とは悲しい考え方ではないのだろうか、少なくとも神座は思う。けれど我々はどんな使命を背負って生まれてきたのか、否、自分はその使命に気づいた上でそれを果たせるのか、偶然に自分の父と母の間に生まれ 漠然と生きていないだろうか、考えれば考えるほど深みにはまっていくのが分かる。答の無いスパイラル、疲れた躰、眠気に落ちそうなときには絶対に腑に落ちる答に行きつくことはないだろう。

 店員にそれぞれのオーダーを通して神座は目の前のドリンクバーに行く。ナナシは初めてみるドリンクバーに目を輝かせながら何を飲もうかと落ち着きなくきょろきょろしていた。
 「天国はファミレスにあった。」
 最初の一杯の飲み物を彼女はすぐに飲み干すとすぐに立ち上がり、またドリンクバーの前へと移動する。落ち着いて話も出来ないな、そう思いながら苦いコーヒーを神座も飲んだ。
 「話をしても良いですか?」
 ナナシが二杯目のドリンクを手に取って着席してすぐに切り出す。
 「事件? それともわたしのこと?」
 神座は考える。事件についてお互いの認識を相互に理解しておくのは重要だ。しかし、目の前の少女のこともずっと気になっていた。監視役は今、自分一人だけ。ナナシに関する情報の曝露は彼女の優遇措置を剥奪する決まりになっているが 今は誰もいない、自分とナナシの二人だけ。ファミレスという公の場ではあるけれど ここにいる人の誰もが誰かの話に興味など示していない。皆、思い思いに時間を潰しているだけだ。

 「小麦はわかりやすい性格をしているねぇ。」
 ナナシは緑色の液体をストローで美味しそうに吸った。
 「そもそも貴女は何者ですか?」
 神座の質問にナナシは口に含んでいた液体を吹き出しそうになった。
 「名前はナナシ、死刑囚、でもただの死刑囚ではなく特別死刑囚。」
 彼女が答えたタイミングでドリンクバーの前に立っていた女性がこちらを振り向いた。しかしすぐに興味が失せたのか、ナナシの容姿を見て漫画家か小説家が担当編集と次回作について打ち合わせをしていると思ったのか、再びドリンクを選ぶ。
 「それは知っています。」
 神座は言う。自分が知りたいのはもっとそこに至るまでに経緯だ。
 「じゃあ逆に聞くけれど小麦、貴女は一体何者なの?」
 「私は神座小麦、年齢は二十八歳 女性、職業は刑事………。」
 神座はそこまで言って言葉に詰まる。それは自分の現在のステータスであって何者という答にはならないのではないだろうか………。履歴書に収まるような答が 自分の正体というわけではない。

 「結局、誰もその質問に正しく答えられる人なんていないんじゃないかなぁ。」
 ナナシは言う。
 「答えられるとしたら多分、人生の最後の時だけだよ。死ぬ直前に自分は何者だった、って言えるんだと思う。生きている内はみんな何者かになれると信じているだけの蛹なんだろうね。人によっては結局、自分が何者なのかわからないまま死んでいくのも多いだろうけれど。」
 「わかりました。質問を変えます。」
 神座は姿勢を正した。
 「ロットナンバって何ですか? ナナシっていう貴女の名前はロットナンバ774から名づけられたって言っていましたよね?」
 「端的で いい質問。」
 ナナシは微笑む。
 「そのままの意味だよ、製造番号。」
 「製造ってまるで工場製品みたいじゃないですか………。」
 馬鹿にされた気がして神座は呆れたように言う。しかし目の前のナナシはそれに反応することもなくじっと彼女を見ているだけだった。

 「本当………なんですか?」
 ナナシは小さく頷く。
 「そ。わたしは元々、誰かのコピーとして生まれてきた、というわけ。だから名前はおろか戸籍だってないの。そもそも存在しない存在。人の形をしているけれど人ではない、だからこの国の法律ではわたしは裁けない。ま、罪を犯したコピーなんて さっさと廃棄処分すりゃいいだけの話なのだけれど何かしらの思惑があるんだろうね。殺さないで幽閉しておこうって感じじゃない? だから特別死刑囚なの。」
 ナナシは飲み物を一気に飲んだ。
 「結構、サービスした方だよ。これで多分、猶予期間はかなり減ったと思う。」
 彼女は手のひらを水平にして上から下へと動かした。
 「いや、そもそも私が報告しなければ誰に何を話したかなんてわからないですし………。」
 神座は焦った。自分が興味本位で尋ねたことで死刑囚だとしてもナナシが不利になるのは寝覚めがかなり悪いし、報告をするつもりもなかった。

 「これ、盗聴機能付だし。」
 ナナシは右手首のブレスレットを指差す。
 「え?」
 「それに小麦だけが監視役じゃないよ。」
 ナナシは言う。
 確かに考えが甘いとは思った。タワーマンションを与えられているとはいえ、彼女の住居は地下階でセキュリティも万全。入ることも苦労するが出て行くのも同じように困難を極める。外観こそ普通の建物だがあれだって堅牢な牢獄なのだ。そこを刑事二人だけのお供であちらこちら出掛けられるというのが異常で 自分たち以外の監視役がいると考えるべきだった。
 神座は自分の甘さを呪った。
 「まあでも気にしないでよ。この事件解決したらプラマイゼロくらいにはなるから。」
 ナナシは呑気に聞き捨てならないことを言った。
 「解決できるんですか?」
 「その為に呼ばれたのでしょ?」
 「そうですけど 相手は魔王ですよ? 超能力者相手ですよ? どうするっていうんですか?」
 「普通に逮捕すれば良いんじゃない?」
 「逮捕しようにも相手はもう刑務所の中なんです。それが出来るのなら最初から苦労しませんよ………。」
 「小麦は良いお客さんになるね。」

 そのタイミングで店員がナナシの頼んだ鉄板焼きハンバーグを運んでくる。どういう意味か尋ねたかったが 彼女が食べる事に集中したために結局、意味を聞きそびれた。ファミレスを出てナナシを送り届ける車内では 満腹になって眠気に襲われたのか、ナナシは寝息を立てて後部座席で横になって寝てしまった。
 翌日の午前中にサンライズフロムウエストの鵜久森から謝罪会見の日程が決まったと連絡が入った。十五時からの予定で事務所の入っているビルの十階の会議室が会場ですでにマスコミ関係者には連絡を入れた上でオンラインでもその様子が配信されるとの事だった。ナナシが提案した事務所所属のタレントも可能な人間は参加をするらしいが 譜久島歩とだけは未だに連絡がつかない状況であると説明もあった。
 「なぜ譜久島はミキアと交際していた事を黙っていたのでしょうか?」
 地下にあるナナシの住居、そのリビングルーム、L字型に曲がった配置のソファ、その斜め左に座る水無瀬に神座は尋ねた。
 「メリットが無いからだろうな。」
 水無瀬は言う。
 「変に勘繰りを入れられても困るからだね。」
 タブレットPCを左手に持ってナナシは何かを調べていた。
 「その譜久島って子のSNSを確認するとミキアとの交際を匂わせるような投稿がいっぱいあったよ。」
 ナナシが画面をこちらに向ける。そこにはアニメキャラのコスチュームを身にまとって姿見に映った自分を撮影している譜久島歩の写真があった。
 「典型的なかまってちゃん。」
 「あ。」
 見覚えのあるコスチュームに神座は声を上げる。ミキアの自宅にあった等身大フィギュアのキャラクタと同じ格好だった。
 「この数日前にミキアがアップした動画はそのフィギュアを購入したという内容だったよ。凄い偶然だよねぇ。」
 ナナシは芝居掛かった口調で驚いてみせた。

 「もちろんこの子がもう少し有名だったらネットもざわついたかもしれないけれど 残念なことにファンが少ないからそんなに話題にはならなかったみたいだね。ミキアと別れたのもこういう匂わせるような事をするから嫌がられて別れたんじゃないかな、っていうのがわたしの見方。」
 「美樹本にしてみても面白くなかったんだろうな。」
 水無瀬が言う。
 「自分はこの子の踏み台なのか、って思ったのかもね。おとなしくしておけば年収億越えの人気動画クリエイタと結婚できたかもしれないのに 自らの行いでそれを棒に振ってしまったってわけね。マウント取りたい系匂わせ女子の末路。」
 「二人が別れてからミキアのチャンネルコメント欄に誹謗中傷が増えているのも興味深い。投稿者は譜久島なのだろうな。」
 水無瀬はミキアのチャンネルコメント欄を見ながら言った。
 「振られたことによる腹いせですか?」
 「よくある話だよね。」
 ナナシは言う。
 「もしかして魔王にミキア殺しを依頼したのは譜久島でしょうか?」
 神座は聞く。
 今一つ魔王が美樹本に恨みを抱く動機が見えていなかったが 譜久島が依頼したとなれば話は別だった。
 「しかしいつでしょう? 佐竹は超能力を持っていると公言したのはつい最近のことですよね? 譜久島と魔王の接点がわかりません。」
 「二人に接点が無くても 別の誰かを介せばいいだけの話じゃない?」
 ナナシは右手の指を二本、左手の指を一本立てて言った。
 「別の誰か………、鵠沼綾乃。」
 サンライズフロムウエストの鵜久森は譜久島を鵠沼綾乃から預かるように依頼された、ナナシに聞かれて答えていた。譜久島と鵠沼が知り合いならば佐竹摩央との接点もわかるような気がした。

 「刑務所の中の佐竹と違って彼女はいつでも誰とでも会える立場だ。しかも顧問弁護士として佐竹にも頻繁に会うことが出来る。仲介役としては適任だよ。」
 水無瀬は言う。
 「鵠沼弁護士を引っ張りましょう。殺人教唆に問えるかもしれません。」
 神座は言う。
 「鵠沼がそんな正直に話すと思うか?」
 「それは………。」
 神座は言葉に詰まる。実際のところ鵠沼綾乃は何もしていない。もしかしたら譜久島歩に佐竹の超能力を使って人を殺せることを教えたのかもしれないけれど それを彼女が素直に認めるということは超能力の有効性を示す必要がある。警察が超能力による殺人の存在を認めたことになるのだ。しかし、現行法でそれを取り締まる法律などどこにもない。罪に問うことなど出来ないのではないか、彼女は唸った。

 「呪いの儀式を行ったところでそれを取り締まる法律なんてものはなくて 被害者側が出来る事といえば精神的苦痛を受けた、と民事裁判で訴えることくらいが関の山だろうな。」
 水無瀬は冷たく話した。
 「例えば詐欺罪というのはどうでしょうか?」
 神座は食い下がった。
 「無理だな。」
 「無理だよ。」
 水無瀬とナナシがほぼ同時に言った。
 「詐欺罪は被害者がいて初めて成立する罪だけれど 誰も損をしていないものね。」
 ナナシが言う。
 「超能力で人を殺せます、金額は幾らです、というような契約が二人の間であれば別だけれど 実際にミキアは死んでしまっているから契約としては有効。詐欺にも当たらない。」
 「そもそもなのですけれど どうして譜久島は姿を消したのでしょうか? ミキア殺害を依頼したかもしれないとはいえ、実行犯ではありませんし、今のところ罪に問えるか、といえばそうでもないのですよね。逃げる必要は無いと思うんですけど。」
 神座は聞く。
 超能力があって それを使った殺人なのであれば証拠など一切残らない。だとすれば本人は座してただ待てばいいだけの話ではないのか? びくびくと逃げ回る必要はない。それが超能力殺人の利点ではないのか? 
 「逃げているってわけじゃないんじゃない?」
 ナナシは言う。
 「逃げていないとするのなら何が目的ですか? まさか………。」
 もしかしたら譜久島歩は殺されているのではないか、神座の脳裏に最悪のシナリオが展開した。
 「とりあえず譜久島の捜索は課長たちに任せている。たぶん足取りもすぐにわかるはずだ。」
 水無瀬は拍子抜けしたほど緊張感も持たずに言った。
 「いよいよ魔王城へ乗り込むときだね?」
 ナナシがその場で落ち着きなく跳ねる。
 「あれが城なら俺は遠慮しておくね。」
 水無瀬は鼻であしらう様に言った。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み