第1話

文字数 2,246文字

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 アクリルガラス越しに向かい合うその女性は囚人であるはずなのに同性である神座小麦の目を奪うくらい美しかった。手入れの行き届いた黒髪、透明感のある肌は白く、美容行為などおおよそ出来る環境下でないのに彼女、佐竹摩央は動画を配信していた頃と変わらない姿で神座の目の前に座っていた。目じりの切れあがった気まぐれな猫を連想させる両眼は黒目が大きく魅力的だったが どこか冷徹な印象を感じさせる。何よりも呼びつけておきながら 貴重な面会時間を黙ったまま五分も無駄にするという どこか挑戦的かつ不遜な態度は初対面の人間には威圧的に感じる。負い目や引け目があるわけでもないのにこちらの呼びかけには応じない、女王様気質の佐竹に対してやり難さを神座は感じていた。

 「今日、オトコマエのあの刑事さんは?」
 けして神座に視線をくれず、ネイルを気にしながらやっと佐竹が口にした言葉は 神座の先輩である水無瀬刑事の不在に対する質問だった。
 「水無瀬なら今日は外せない仕事があってそちらに行っています。」
 神座は答える。
 「ふーん………。」
 つまらなさそうに佐竹は言った。
 「あたしさ、今日、あのオトコマエ、水無瀬さん? あの人に会えるのを滅茶苦茶、楽しみにしていたんだよねぇ………。」
 そんなこと言われも知るか、と神座は澄ました顔で思った。
 「ねえ、あの人さ、彼女とかいるの?」
 アクリルガラスに少しだけ顔を近づけて佐竹は言った。
 「プライベートのことはよくわかりません。もし知っていたとしても本人の許可無しに話すことは出来ません。」
 神座は答える。佐竹には何も与えたくない、という感情も少しはあったが基本的に水無瀬というあの男は秘密主義者で職場の誰にもプライベートなことを話さない。たまに流行りのスイーツをネットで検索しているところを見掛けることもがあるが彼が甘い物が大好きだという印象も抱いたこともなかった。

 「あんたさ、学級委員とかしていたタイプでしょ?」
 佐竹は小馬鹿にしたように笑った。
 「やっていましたけど それが何か?」
 「だと思った。めっちゃ真面目だもんね? 絶対に友達になりたくないタイプ。」
 佐竹は神座を指差す。
 「勉強ばっかりして 恋とかまともにしてこなかったタイプの人だよね、刑事さんって。」
 「否定はしません、肯定もしませんけど。」
 明らかに自分は苛立っていると神座は自覚していた。苛つかせることでペースを乱し、主導権を握る。よくあるやり方だ、と分かっていても心はざわついていた。指摘されたことはあながち間違いでもなかったからだ。

 「そろそろ本題に入りませんか? 何かお話があると聞いて来たんですけど。」
 六秒、雑誌に書かれていたアンガーマネジメントに必要な秒数を ゆっくり数えてから神座は言う。
 「配信動画で重要なことって何かわかる?」
 佐竹の質問に対して神座は少しだけ時間を掛けて考えた。
 「企画ですか?」
 「もちろんそれもそう。でもそういう事じゃないんだな。あたしが言っているのはそういう根本的なことではなくてテクニック的なこと。」
 「わかりません。」
 わかりたくもありません、という言葉を変換して口から出す。
 「わからないんじゃなしに考えようとしていないんだよね?本題に入れって言っているのにあたしがまたわけのわからないことを話しているとあんたは思っている。」
 佐竹はさらに顔を近づける。
 「わかりやすい性格してるねぇ。」
 「まさか動画配信のコツを聞かせたくて呼びつけたんですか?」
 相手のペースに乗らずに神座は質問をした。
 「面白くない。」
 佐竹は首を掻ききる仕草をして 舌を出す。
 「あんたさ、映画とか二倍速とかにして観るでしょ? すぐに結論を求めたがる。彼氏とかも苦労しているかもね。いや、性格とか仕事とか考えても彼氏なんかいないか。折角、ちょっとはましな顔をしているのにね。」
 神座は胸の内で六秒数えたが この怒りは六秒では足りなさそうだった。
 「からかうだけが目的ならもう帰りますけど?」
 席を立つ。椅子にふんぞり返るように座った佐竹は焦ってもいなかった。
 「帰っちゃっていいの?」
 「動画も公表できなくなった殺人犯の元動画配信者の言葉に価値があるとは思えませんし、暇つぶしに付き合うほど 私は暇じゃありませんので。」
 神座は辛辣に言った。
 佐竹が口角を上げた。背筋に冷たいものが走るような不気味な笑みだった。

 「なかなか手厳しいことを言えるんだね、刑事さん。えっと小麦ちゃんだっけ?」
 「神座です。馴れ馴れしく下の名前で呼ぶのはやめてもらえますか。」
 「つれないなぁ、小麦ちゃん。」
 佐竹摩央は両手で頬杖をついてにたにたと笑った。
 「いいよ、気に入った。あたしが小麦ちゃんを呼んだ理由を教えてあげる。」
 「今度、用件に関係のないことを話したら すぐに帰りますから。」
 宣言してから神座は椅子に座りなおす。
 「あたしね、あと二人殺すつもりなんだ。」
 佐竹は人差し指と中指の二本をくっつけて立てた。
 「もう一度、言うね。あと二人殺す。」
 神座は相手に気づかれないように小さく溜息をついた。大事な話があるからと呼びつけておいて人殺し宣言を聞かされるとは思いもしなかった。どうやって塀の中にいる人間が塀の外にいる人間を殺すことが出来るというのだろう。懲役刑を終わらせてからまた罪を犯すというのだろうか、まったく気の長い話だな、と思った。
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