第38話

文字数 9,880文字

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 約束の場所は協会の事務所だった。時間は午後三時だった。私は特に疑り深いわけでもなく、特に用心深いわけでもない。だが今日は違った。ちょっと嫌な感じがした。うまく説明できない。ちょっとした気持ちのゆらぎだ。だから家を出る前に所長にメールをした。私がこれから行く場所と、四時までに私から連絡がないときは警察に通報してほしいという内容だった。杞憂だったときは、笑い話にすればよい。そんな軽い気持ちだった。
 協会が入っているビルに着いて時計をみた。約束の時間までまだ三分あった。私は狭くて窮屈な階段で二階に上がり、協会のドアを軽くノックをして、ドアノブをまわした。
 なかに入ると、眼の前に大きな男が立っていた。私はもう少しで手に持っていたバッグを落としそうになった。
「いらっしゃるころだと思ってお待ちしていました」
 廃業した相撲取りのような体に似合わず、か細い声を出す男は、協会の事務長で会計責任者の三国啓治だった。
「理事長さんは?」
 私がそう聞くと、三国啓治は応接セットがあるコーナーに顔を向けた。狩野照子はソファーに座っていた。
「佐分利さんもあちらにどうぞ」
 いわれるがまま私は応接セットに移動した。
 狩野照子はふたり掛けのソファーに座っていた。私はその横に座った。彼女のほうをみた。どうやら眠っているようだ。ソファーのヘッド部分に首を預け、眼を閉じていた。だが様子がおかしかった。
「驚くことはないですよ。彼女は眠っているだけです。といっても永遠の眠りですけどね」
 三国啓治は前のソファーに座ってそういった。狩野照子をみると、首にはうっすらと内出血の痕が残っていた。そのとたん、私は喉が締め付けられたように息苦しくなった。
「彼女になにをした」
「そんな大きな声を出さないで。暴れるのも駄目ですよ。暴力を振るいたくはないんですよ。なぜだかわかりますか」
「……わからないね」
「あなたに暴行の痕跡があると、警察が疑いを持つでしょう。それは困るんですよ」
「意味がわからないな」
「あなたは狩野理事長の首を絞めて殺し、自分は首をつって死ぬ。つまり、狩野理事長と一緒に無理心中するんですよ。ここで」
「ふざけるな」
「ほらほら。いったでしょう。大きな声は駄目だって」
「心中する理由はなんだ」
「なんだっていいんですよ。たとえばこういうのはどうです。独身の理事長は奥さんと別れて一緒になろうとあなたに迫った。しかし別れることができないあなたは、いっそ来世で一緒になろうとした。どうです」
「その理由は希薄だな。昼ドラでも流行らないだろう。それもそうだが、そいつは根本的に無理がある」
「なんでです」
「私は独身だ」
「あれ、そうなんですか。それは意外でした。まあ、理由なんてなんでもいいんですよ」
 私はダッシュしてドアに突進したときのことを考えた。だがすぐにその考えは諦めた。三国が座っているところのほうがドアに近いし、私はそれほど機敏ではない。三国だって体の割には動きはいいようだ。それに体の大きさが違う。戦っても私は間違いなく負ける。
「逃げようなんて気は起こさないほうがいいですよ。こうみえても私はむかしラグビーをやっていました。タックルは得意なんです」
 三国は私の心を読んでいた。私がドアのほうに一瞬眼をやったのを見逃さなかったようだ。
「わかった。逃げないよ。いずれにしても私はあんたに殺されるんだろう」
「そういうことです。意外と物わかりがいいですな」
「こうみえても肝が据わっているんでね」
 嘘だ。足は小刻みに震えているし、頭のなかは沸騰している。一時間が勝負だった。持たせることができれば私の勝ちだ。駄目だったら私の負けだ。所長には三十分といっておけばよかった。とにかく落ち着け。私は自分に言い聞かせた。
「ではじっくりといこうじゃないか。焦ることはないだろう。あんたも私に話したいことがあるんじゃないのか」
「いい心がけですな。いいでしょう。幸い今日は日曜日。ここのスタッフは休みでいない。じっくりいきましょう」
 いい傾向だ。私は大きく深呼吸をした。
「まずはなぜ理事長を殺したのか、その理由を聞かせてくれ」
「あなたが余計な詮索をしたからですよ」
「臓器ビジネスのことか」
「そうですよ。二日前にあなたは理事長に腎臓移植にからむ犯罪のことを尋ねた。そこで海外での臓器ビジネスのことが話題に上がった。そうですよね。あなたは寝た子を起こしたんですよ」
「私は寝た子を起こすのが得意なんだよ」
「はあ?」
「いや、なんでもない。気にしないでくれ」
「とにかく理事長は私がそれにかかわっているんじゃないかと思ったようなんです。でも半信半疑だったようです。そこで、私とあなたを呼んで真偽のほどを確かめようとしたんですな」
「やはりあんたはかかわっていたんだな」
「まあ、そういうことです。でもいま知られるのは困るんです。その場はなんとか誤魔化せても、いずれ気がつくでしょう。だから先手を打ったんです」
「それはあまりにも早計だ」
「悪い芽は早く摘むべし。これは私のモットーです」
「私を殺す理由はなんだ」
「あなたはチョロチョロして目障りだった。これからもチョロチョロするだろうから始末するんです。理事長からあなたも呼んだことを聞いてチャンスだと思った。だって無理心中にできるでしょう」
「勝手だな」
「でもね、そうしないと今度は私が町田の連中に殺されます。おっと口がすべった」
「町田の暴力団とあんたはつながっていたんだな」
「いけない、いけない。口は災いのもとだ」
「これでわかった。あんたと町田の連中は、臓器ビジネスの張本人だったということが」
「おやおや、バレましたか。ええ、そうです。彼らとはいわば腐れ縁です」
「いいのか、こんなところでのんびりしていて。ジャーナリスト殺しで逮捕された連中はまだ肝腎なことは黙秘しているようだが、いずれ話すだろう。あんただって無傷ですまないはずだ」
「それはどうですかね。連中は口が堅いですよ。まあ、当分はおとなしくしていますよ。それよりか、佐分利さんは事件のことをどこまで知っているんです」
「ニュースで町田の事件を知った。そしていま、あんたが臓器ビジネスに手を染めていることを知った。町田の連中と関係があることも知った。連中に殺された秋本晃が臓器ビジネスの実態を理事長に取材していることも知っている。それらをむすびつけると子供でもわかるだろう」
 町田の事件では私の名前はマスコミに発表されていない。ここはニュースで知った程度で話を進めたほうがいいと判断した。
「秋本が理事長に取材したんですか。それは知らなかったな」
「本当に知らなかったのか」
「ええ、知りませんね。私が留守にしていたときでしょう。理事長はなにもいわなかった」
「理事長からは信用されていないんだな」
「悲しいかな最近はね。どうも私のことを信用していないことは知っていました」
「しかし今回、理事長はあんたの悪事によく気がついたな」
「怪しげな名前を名乗る団体が私と接触していることに、彼女は気がついていたようです。でもそれが臓器ビジネスの仲介業者だとは知らなかったみたいですね。でもあなたと話をしていて、そのことを思い出し、調べたようです。理事長はあれでも優秀なジャーナリストなんです」
「それで悪徳業者だとわかったんだな」
「それだけじゃないんです。私が世話をした患者を国内の病院に紹介した事実もつかんだんです。しかし彼女は優秀ですな」
 三国啓治はニヤリと笑ったようだ。彼の眼は顔の肉のなかに埋没してほとんど隠れているので、表情はよくわからないが、たしかに笑ったようにみえた。
「理事長が動いていることは私の耳に入ってきました。いやあ焦りました」
「臓器売買ブローカーと暴力団と悪徳仲介業者が手を組むトライアングル構図だとばかり思っていたが、あんたも一枚加わっているとはな。それであんたの役割はなんだ」
「私が患者を仲介業者に紹介するんです。方法はいろいろあるんです。インターネットで集める方法とか、協会のセミナーにくる患者を一本釣りする方法とかね。まあ、協会の立場を最大限利用するんですよ。もちろん対象は金持ちです。そのほかに、帰国した患者は術後のフォローアップが必要ですから、協会の立場を利用して国内の病院を紹介するんです。ご存じのように、移植した患者は一生薬を飲まなければいけないですからね」
「仲介業者の役割はなんだ」
「仲介業者ですか? 彼らは渡航や宿泊や病院の手配をおこなっています。移植ツアーを取りまとめるいわば旅行会社みたいなものですね。ツアーさきは中国やフィリピンが多いですが、いまはフィリピンがほとんどです。ああみえてもフィリピンの医療水準は高いんです。ちなみに、現地の臓器売買ブローカーはドナーの手配です。ついでにいえば、町田の連中はブローカーと仲介業者がうまくいくように潤滑油の役割を果たしているんです。ブローカーは現地の裏組織ですから、やはり裏組織は裏組織で対応しないとね。蛇の道は蛇というわけですな」
「それであんたに儲けはあるのか」
「それなりにね」
「患者はいくら払うんだ」
「いくら資産があるかを見極めて決めるが、下は一千万。上は、まあ、それなりに」
「そんなに払うのか」
「それでもやりたいという患者が多いんです。あなたもご存じのように、日本は外国に比べると移植数は圧倒的に少ないですからね。悲しい現実です。それで金の配分を知りたいですか」
「知りたいね」
「フィリピンを例にあげれば、現地の病院とドナーに払う金額がだいたい五百万ですね。これはドナーへの謝礼をのぞくと、手術代や薬代や入院費です。医師への謝礼も含みます」
「ドナーにはいくら払うんだ」
「ドナーにはだいたい三十万ですかね」
「そんなに少ないのか」
「でもね、この金額は、フィリピン人の平均年収の二倍以上ですよ。それでブローカーに払う金額は三十万ぐらい。残りは町田の連中と仲介業者と私で分けます」
「割のいい商売だな」
「しかし、常にリスクが伴っていますからね。現地と日本の当局に注意を払う必要があるし、病院やブローカーとトラブルがないようにこれも注意が必要ですしね。私はね、佐分利さん、患者を第一に考えているんですよ。無事に移植を終えさせ、無事に帰国させ、そして術後のフォローアップもきちんとやる。これでも患者から感謝されているんですよ。いわば慈善事業ですな」
「臓器売買等の禁止、及び、臓器提供の斡旋業は営利を目的としない……」
「臓器移植法ですな」
「違法であることはもちろんだが、そもそも臓器を商品化することは倫理的に問題がある。まさに貧困者が搾取されるという構図だ」
「ずいぶん青くさいことをいいますな」
 三国啓治の顔の筋肉が動いた。たぶん笑ったのだろう。
「私はね、本当に慈善事業だと思っているんですよ。儲けはほんのお駄賃程度です。その証拠にどこからもクレームはありません。もちろん警察沙汰もありません。患者もハッピー。現地の病院もハッピー。ブローカーもドナーも仲介業者もハッピー。そして私や町田の連中もね」
 三国啓治は文句があるかとばかりに胸を反らせた。
「呆れた言い分だな」
「もう質問もなくなったようですな……」
 そろそろ一時間だろうか。いや、まだ三十分かも知れない。時間の感覚がなくなっている。時計をみたいが、みる勇気がない。私は焦った。
「まて。肝腎なことを聞いていない」
「なんです」
「秋本晃のことだ。関係がないなんていわないよな」
「ああ、彼のことですか……それでなにを聞きたいんです」
「秋本とあんたの関係だ」
「ああ、それですか……その前に、彼はむかし裏社会のレポートではそれなりに評価されていたらしいんですが、知っていましたか」
「それは知っている」
「ほう、そうですか。それなら話が早い。もっとも、裏社会のレポートのことも町田の連中に聞いたんですけどね……それでいまから話すのは、町田の連中が彼を痛めつけて聞き出したことです。そのつもりで聞いてください。それで秋本ですが、商売柄ヤクザとの付き合いもあったわけです。広く浅くね。それが一年ほど前にヤクザと私が会っているところを偶然みたらしいんですな。そのときは私のことはもちろん彼は知らない。私もヤクザだと思ったようです。最近になって、協会のセミナーにきていた彼が裏方で動いていた私をみかけた。私はこのとおり目立つから覚えていたんでしょう。気になった彼は、私を調べはじめた。ジャーナリストの血が騒いだんですかね。こちらにしてみればいい迷惑ですよ」
「秋本があんたをみかけたセミナーというのはいつなんだ」
「五月のはじめらしいですよ。それだと五月の三日です。その日にセミナーがありましたからね。しかしなんで協会のセミナーなんかに顔を出したんでしょうかね。そこがわからない」
 それなら私が知っている。秋本は戸川凛子をマークしていて、協会を知った。そこで戸川凛子が参加したセミナーに偵察の意味もあって出席したのではないだろうか。三国にわざわざ説明する気はないが。
「彼は協会の内容から腎臓移植を知り、私とヤクザの関係を推測して、そこから海外の臓器ビジネスまでたどり着いた。彼もまた優秀なジャーナリストだったんですな。まあ、それはいいか。しかし、彼は地雷を踏んだ。むかしの知り合いのヤクザ連中に取材してまわったんです。それがまわりまわって町田の連中の耳に入った。そういうことです」
「秋本は、あんたと町田の連中が組んで違法な臓器ビジネスをやっていたことを知った。そういうことか」
「私は違法だとは思っていませんがね。まあ、それはいいか」
「それで暴行を加えたのは、秋本が臓器ビジネスの実態をレポートにしたと思って、そのありかを吐き出させようとしたんだな」
「冴えていますね。秋本がつかんだ情報を吐き出させるのも目的だけど、レポートのありかを吐き出させるのが一番の目的でしょう。しかし彼は、それだけは吐かなかった」
「実際にレポートはなかったのかも知れないな」
「いや、それはある」
 三国啓治が力強く断言をしたあと、少し体を動かした。とたんにソファーが嫌な音を立てた。
「なぜ言い切れる」
「実際にそのレポートをみたやつがいるんです」
「だれだ?」
「聞きたいですか」
「聞きたいね」
「ご存じないと思いますけど、小田英明というケチなやつですよ」
「なに、やつが!」
 衝撃が走った。なぜ小田英明の名前が出るんだ。
「おや、ご存じなので。ああ、ニュースで知ったんだ」
「違う。もっと前から知っていた。もっとも本人には会ったことはないが」
「佐分利さんも意外と顔が広いんですな」
「それでなんで小田英明がレポートをみたんだ」
「しかし質問が多いですな」
「質問ぐらいいいだろう。事実を知ってすっきりして死にたい」
 三国啓治はたしかに笑った。気味の悪い笑いだった。
「小田本人から聞きました。やつは得意げに話しましたよ。なんでも、六月のなかごろに秋本に誘われて飲みに行ったというんです。そのとき、小田は秋本のバッグのなかに書類が入っているのをチラッとみたらしいんですな。大事そうにしていたから気になったそうです。小田は瞬間的にこれは金になるんじゃないかと思ったらしい。ものすごい嗅覚だと思いませんか。それが例のレポートなんです。途中で秋本に電話がかかってきて、話しをするために外に出たというんですが、それを見逃さずに小田はバッグからレポートを抜いた。つまり盗んだんです。まあ、それがやつの命取りになりましたけどね」
 私は確信した。三国が小田英明を殺した。
「その時点では、あんたは秋本を知らなかったんだろう」
「そんな人物のことなんか知りませんよ。小田は記事を書いたのは週刊誌の記者で秋本という名前しか話しませんでしたからね。なぜ小田が秋本の名前を出したのかというと、記事は週刊誌の記者が書いたものだからたしかなものだと私にわからせることによって、私が真剣に動くと思ったんでしょう。だけど不気味でしたね。秋本という人物が。なんとか素性を割り出せないかと思いましたよ。でも、それは意外なところで判明しましたけどね」
「どうやってわかったんだ」
「ちょっと待ってください。それを説明する前に、小田がレポートを盗んだあとのことを話したほうがわかりやすいんですよ」
「わかった。黙って聞くよ」
「小田はレポートを読み、臓器ビジネスの実態を知り、そして私の存在を知った。そのあと、小田はどうしたと思います」
「小田はあんたのことを調べて強請ってきた」
「そうです。冴えていますね、佐分利さん。小田は金を要求してきましたよ。そうすれば記事を書いた秋本を黙らせることができるとかなんとかいってね。私がそのとき受けた感じでは、秋本を始末してやるから要求を呑めというような口ぶりでしたね。それで、最初は電話だったんです。暴力団は無理でも、私だったら強請れると思ったんじゃないですかね。バカはバカなりに考えたんでしょう。私ですか? やはり慌てましたよ。小田がいうことはすべてあたっていましたからね」
「あんたはそこではじめて小田を知ったんだな」
「そうです。いきなり知らない男から強請の電話でした。そこでレポートと秋本の存在を知りました。私は慌ててやつのことを調べました。ホストであることも知りました。素行が悪いことも知りました。電話でのやり取りでどうやら単独で動いているなと感じました。私にとっては好都合でした」
「そして、あんたは小田英明を殺した……」
「そうです。小田を殺したのは私ですよ。金を払うからといって公園に呼び出したんです。やつは喜んできましたよ。殺されるとも知らずにね。本当にバカですね」
「町田の連中に頼まなかったのか」
「借りは作りたくなかったんでね。私がやりました」
「レポートと金を交換という条件で呼び出したんだろう」
「冴えていますね。そのとおりです。とにかくレポートの現物を手に入れる必要があったんです。そこで殺し、レポートを手に入れました。財布や携帯やマンションの鍵も手に入れました。金目当ての犯行にみせかけるためです。それとマンションの鍵を手に入れたのは、レポートをコピーして自宅に隠していると踏んだからです。免許証からやつの自宅を割り出して行きました。案の定、やつの部屋にコピーがありました。私は自宅に戻って腰を落ち着けてレポートをじっくりと読みました。驚きましたね。臓器ビジネスの実態が克明に書かれていました。それも実名で書かれていました。それで小田がすぐに私にたどり着いたのも納得しました。もちろんそれらは処分しました」
「小田のことはわかった。それで、話は戻るが、あんたが秋本の素性を割り出した経緯がいまわかったよ」
「ほう、聞かせてもらいましょうか」
「あんたは秋本という名前の記者が書いたレポートの存在を小田から聞いて町田の連中に教えた。いっぽう、町田の連中は、以前から知っていた秋本が臓器ビジネスのことを嗅ぎ回っていることに気がついていた。そこでふたりの秋本がリンクした」
「そうです。佐分利さんは本当に冴えていますね。ついでにいうと、レポートは印刷した用紙だった。ということは、パソコンを使ったことになる。記事になって世に出る前にそのパソコンを手に入れ、そして秋本を始末する。まあ、そういう筋書きですな」
「そこで町田の連中は慌てて秋本を拉致して暴行した。しかし秋本は口を割らなかった」
「連中は秋本の自宅の家捜しまでしたようですが、結局なかったんです。秋本はパソコンをどこに隠したんでしょうかね」
「さあ、どこだろうな。気になるか」
「気になりますね。佐分利さんはご存じで」
「もちろん知っているさ」
「ははは、駄目ですね。そんな嘘は。時間稼ぎは無駄ですよ」
 三国が時計をみる素振りがあった。急いでほかに注意を向けさせる必要があった。私は慌てて質問を続けた。
「秋本は、小田がレポートを盗んだことを知らなかったのかな」
「そのことですか。これは町田の連中が秋本を痛めつけて聞き出したことのまた聞きですが、秋本は、翌日バッグのなかにレポートがないことに気がついたらしいです。でも、最初は小田が盗んだとは思わなかった。どこかに忘れたのかと思った。しかしどこをさがしてもみつからない。そこでやっと小田の仕業じゃないかと思った。秋本はレポートを取り戻すために小田をさがした。だが、みつからない。そうこうしているうちに小田が殺された。慌てた秋本はパソコンを隠した。後半は私の推理です」
「あんたは探偵になれるよ」
「そりゃあどうも」
「ところで、秋本と小田が飲みに行った正確な日にちを知っているか」
「正確な日にち? 気になりますか」
「ああ、なるね。疑問はすべて解消したい。小さいことにこだわる性格なんでね」
「困った性格ですな……ちょっと待ってください……ああ、たしか六月の十九日ですよ。間違いないです。そう聞きました」
「小田があんたに電話をしてきたのはいつだ」
「あなたもしつこいですな」
「これも性格なんでね」
「六月の二十一日ですよ。忘れるわけがありません」
 事柄を時系列にするとどうなるんだ。私は考えた。

○五月五日、秋本がセミナーで三国をみる。これ以降秋本は三国を調べる。
○五月十三日、秋本が狩野照子を訪ねて臓器ビジネスについて取材をする。
○六月十九日、秋本が書いたレポートを小田英明が盗む。
○六月二十一日、小田英明が店を休んで三国を強請る。
○六月二十二日、秋本は小田をさがすがいないので、居所を知っているかも知れない涼平のアパートを訪ねる。
○六月二十三日、深夜、品川区北品川の北丸公園で小田が殺される。
○六月二十七日、秋本は週刊誌の担当者を紹介してもらうために園部と会う。
○六月二十八日、秋本がヤクザに拉致され殺される。

「どうしたんですか。今度はだんまりですか」
「ちょっと考えごとをしていたんでね」
「では、そろそろ考えるのをやめてもらいますか」
 そういうと三国が時計に眼を走らせた。一瞬の隙だった。考えるよりも体が動いた。入口に向かって突進した。ドアまでは一気に到達するはずだった。イメージではそうだった。だが、思ったよりも体が動かなかった。足をタックルされた。思い切り床にたたきつけられた。あまりの痛さに気を失いそうになった。三国がのしかかってきた。あまりの重さに息ができない。三国が馬乗りになった。首に手がかかった。万力で締め付けられたようだった。意識が遠のいた。死ぬと思った。
 急に体が軽くなった。意識がよみがえった。なにが起きたのかわからなかった。うめき声が聞こえた。私の横で三国が倒れていた。その上にいるのは、たしかスワン探偵事務所の小里だ。
「サブやん、大丈夫か」
 所長の声だ。上から私をのぞき込んでいる。私はしばらく声が出なかった。ぜいぜいと喘いでいた。
「怪我はないか」
「ああ、たぶん」
 やっと声が出た。
「ありがとう。助かった」
 冷や汗がどっと出た。上半身を起こして、息を整えた。三国は観念したのか、横たわったまま眼を閉じていた。所長が携帯で電話をかけた。警察だ。
「気になったのできたみた」
 所長が電話をかけ終えるとそういった。
「そういうお節介なら大歓迎だ」
「そんな冗談がいえるなら大丈夫だな」
「ああ、なんとかな」
「それでこの男は?」
「この協会の事務長で会計責任者の三国啓治だ。そして小田英明を殺した張本人だ」
「なに、こいつが?」
「ああ、そうだ」
 所長がまわりに眼をやった。
「サブやん、ソファーにいる女性は?」
 所長が大きな声でそういうと、ソファーを指差した。
「ここの理事長だ。三国に殺された」
「なに、本当か」
 所長がソファーに近づいた。
「生きてる! まだ生きてるぞ!」
 所長が叫んだ。
 横たわっている三国の舌打ちが聞こえた。所長が携帯を取り出して救急車を呼んだ。
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