第17話

文字数 2,243文字

       17

 東横線の妙蓮寺駅に降りるのは、はじめてだった。東口を出ると、眼の前に妙蓮寺の広い敷地があった。右手に門があり、長光山という山号が掲げられていた。
 私は手帳を取り出し開いた。そこには片桐道子が書いてくれた涼平の住所があった。涼平が住むアパートは、横浜市神奈川区松見町二丁目のコーポ第三松見だった。二階建てのアパートで、二階の階段脇の部屋に住んでいるらしい。私は妙蓮寺の裏あたりと見当をつけ、横の道を進んだ。
 いくつかの角を曲がり、いくつかの坂を上り下りし、目当てのアパートにたどり着いた。規模からいうと独身者向けで間違いないこの色あせたアパートは、妙蓮寺駅から歩いて八分ほどだった。
 まわりは古い一軒家が多かった。遠くに煙突がみえる。どうやら火葬場の煙突のようだ。いまは煙はみえない。煙が立ちのぼると、風向きによってはここまでにおうのではないだろうか。
 階段をのぼったすぐの部屋の前に立った。ドア横に小さな木のプレートがぶら下がっている。〈片桐〉と消えかかった文字がかろうじて読める。やはりこの部屋で間違いないようだ。ドアをノックした。反応はない。もう一度ノックした。ドアに耳を近づけたが人がいる気配はない。ドアノブをまわしてみたが鍵がかかっている。時計をみた。午前九時ちょうど。どうやらくるのが遅かったようだ。出直すことにした。
 アパートの階段を下りたところで急に声をかけられた。驚いて声のほうを向くと、階段下の横に若い女が立っていた。
「涼平さんにご用ですか」
 女は怒ったような顔でそう聞いてきた。私はうなずいた。
「もしかしたら週刊誌の人ですか」
「違うよ」
「じゃあ涼平さんのお知り合いですか」
 女は一歩近づいてきた。
「知り合いというほどではないが、まるっきり知らないわけではない」
 私は曖昧に答えて女の反応を待った。女は困った表情をみせた。
「君は涼平君の知り合いなの」
 私がそう聞くと、女はこくりとうなずいた。
「君も涼平君に用があってきたのかな」
 女がまたこくりとうなずいた。
「涼平さんをさがしているんですけど、もしかしておじさんもさがしているんですか」
 すると涼平も失踪……嫌な感じがした。
「おじさんもさがしているんだ。ところで、涼平君のことで聞きたいことがあるんだが、いいかな」
 女がちょっと身構えた。私は慌てて名刺を出した。
「探偵って、浮気調査なんかするあの探偵ですか」
 名刺をみた女がいちオクターブ高い声を出した。探偵だと知ると九割がた浮気調査と結びつけてしまう。むべなるかな。現実の世界はそんなものだ。
「浮気調査はやらないわけではないが、いまは違う。実は、涼平君の従兄弟のことを調べているんだ。従兄弟は、南雲直人というんだが、涼平君ならなにか知っているんじゃないかと思ってきたんだ。ところで、君は南雲直人という名前を聞いたことはあるかい」
「ないわ」
「涼平君からその名前を聞いたことはないかい」
「ないわ」
「それは残念。ところで君の名前は?」
「小田です。小田愛子です」
「学生かな」
 大学生にしては髪も赤く、化粧も濃いような気がする。もっとも、いまどきの女子大生を詳しく知っているわけではない。
「勤めています」
 今日は木曜日。遅い勤務かも知れない。
「今日はお休みなんです」
 私の表情を察したのか彼女はすぐにそういった。
「どんな仕事なのかな。差し支えなければ教えてほしいんだが」
「アパレルショップに勤めています」
「道理で洋服のセンスがいいよ。その穴が開いたジーンズ、なんていうのか知らないけど、なかなか似合うよ」
「ありがとう」
 彼女が嬉しそうに笑った。
「君はこれからどうする」
「しかたがないから戻ります。夕方もう一度きてみます」
「妙蓮寺の駅まででいいんだね」
 彼女がうなずいた。
「では駅まで一緒に行こう」
 私たちは並んで歩き出した。
「君は涼平君の恋人?」
「違います。お友達です」
 彼女は恋人じゃないのが悔しいという表情をした。
「さがしているといっていたけど、彼とはいつから連絡が取れないんだね」
「おとといからです」
「それは電話?」
「電話もそうですけどメールも返信がありません」
「それは心配だね」
「はい。心配です」
「思いあたることはないかな」
「それは……」
「ぜひ教えてくれないかな。おじさんもさがすからさ」
「……わかりません」
 表情が硬い。口元に力が入っている。思いあたることがありそうだ。だが話す素振りはない。いまは無理なようだ。
「涼平君の立ち回りさきは知らないかな」
「私はそんなに詳しくないから……」
 表情はまだ硬い。
「話題を変えよう。涼平君はどんな仕事をしているのかな」
「ちょっと前までバイトをしていたけど、いまは辞めてさがしているみたい」
 駅に着いた。小田愛子は横浜方面に行くという。横浜に用事があるらしい。
「夕方もう一度ここにくるんだよね」
 こくりとうなずいた。
「そのあとに電話をくれるかな。その結果を聞きたいんだ」
「この名刺の番号でいいの」
「それでいいよ。よろしくね」
「わかったわ」
 小田愛子は切符を買って改札口を入って行った。私は券売機の横に立ち、手帳を開いた。涼平の住所の横に携帯の電話番号がある。携帯を出してかけた。直人のときと同じように無機質な声が流れた。私は電話を切り、渋谷行きの電車に乗った。
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