第34話

文字数 2,633文字

       34

 JR町田駅の中央改札口には八時半についた。まだだれもきていなかった。改札口を正面にみる位置に移動した。
 すぐに園部がきた。私をみつけ会釈をして近づいてきた。相変わらず、らくだ色のポロシャツ、薄茶色の古ぼけたジャケット、空色のズボン、というスタイルは変わっていなかった。
 少し遅れて、所長と体の大きな若者が改札口を抜けてこちらにやってきた。
「みんな早いな」
 所長が破顔した。とたんに踏み込む場面が頭をよぎった。笑うどころではなかった。身震いして顔が強張った。相手はヤクザだ。歯が立つわけがない。横の園部も顔が強張っていた。
「猛者をつれてきた。こいつはわが社のエースで小里。体は大きいが名前は小里だ」
 小里と紹介された若者は大きな体を折って挨拶した。私は気が張っているので笑えなかった。園部も笑ってはいなかった。
「紹介しろよ」
 所長が私にそういった。私はいわれてから気がつき、ようやく所長に園部を紹介した。園部は緊張しているせいか、軽口を叩くことはなかった。
「さてと、こっちは四人か。相手が何人なのかが問題だな」
 所長が踏み込んだときのことをいっていた。
「待ってくれ。私はジジイだ。腕力はからっきし自信がない」
 素直にそういった。
「私も自信がありません」
 園部も続けてそういった。
「すると、小里は柔道の猛者だからふたり分働くと計算するとだな、肉体労働者は俺と小里だけか。ちょっとつらいな。だがなんとかなるか。いざとなったらサブやんと園部さんでひとりを相手にしてくれ」
 私と園部は返事をすることができなかった。
 北口の出口を出てタクシーに乗った。小里は助手席に乗り、私たち三人はうしろに乗った。十分ほどで町田警察署に着いた。
 所長が一階の受付で富樫刑事の名前を出した。三分ほどで下りてきた富樫刑事は、いかにもたたき上げといった感じの年配の刑事だった。所長をのぞく私たちは簡単な挨拶をした。
「では警部、行きましょうか」
 富樫刑事はしゃがれ声でそういった。
「もう警部ではないって。それはいいが、行くってあんたも一緒か」
「もちろん。警部たちだけで行かせるわけにはいきませんよ。課長にも許可は取ってあります」
「場所を教えてもらうだけのつもりだったんだがな……でもいいか。正直いってあんたがいると心強い。こっちには役に立たないのがふたりいるからな。だけど、課長のほうは本当に大丈夫なのか」
「別件があって課長はいませんが、警部によろしくといっていました」
「実はここの課長と俺は同期でな」
 所長が私に説明した。
 富樫刑事は静かにうなずくと、車をまわすといって奥に消えた。
 やがて玄関前に車が横付けされた。助手席に小里が乗り、私たち三人はうしろに乗り込んだ。車はすぐに出発した。
「ここの組は、指定暴力団、東洋会の下部組織、竜頭一家です」
 富樫刑事はときおりバックミラーに眼をやりながらそう説明してくれた。
「組としては小さいほうですが、いわゆる武闘派です。警部に説明したクラブですが、組がやっています。いまは改装中で休業しているんですが、きのうあたりから工事関係者ではなく組の若いのが頻繁に出入りしています。たぶん常時いるのが三人ぐらいだと思います」
「するとこっちも武闘派が三人で計算が合うな」
 所長がそういうと、運転席の富樫がなんでという顔になったが、すぐに納得したのか、ニヤリと笑った。
「傷害で追っているチンピラがいるんです。ちょうどそいつがクラブにいるようなんです」
 富樫はそういうと、意味ありげに笑った。
「なるほど。そいつはタイミングがいい」
 所長も意味ありげに笑った。
 十分ぐらいは走っただろうか、車は飲食街が建ち並ぶ繁華街に入った。
「この通りは町田街道です」
 富樫刑事が教えてくれた。車は水商売系の店が入っている雑居ビルの前で止まった。富樫が最初に降り、私たちが続いた。
 ビルのエントランスに案内プレートがあった。ビルは十階建てだった。クラブは六階にあった。所長と富樫は、目くばせをして階段に向かった。エレベーターを使うつもりだった私は、慌ててあとを追った。
 六階に着くと、私は息が上がっていた。日頃運動をしないのがこんなときにたたった。うしろで園部も息が上がったのか、ぜいぜいと喉を鳴らしていた。間違いなく私たちふたりは使いものにならなかった。
 六階にはクラブが一軒と小料理屋が一軒入っていた。クラブのドアには、改装中と書いた紙が貼ってあった。私たちは迷うことはなくクラブのドアを開けた。富樫と小里を先頭に、私と所長と園部がそれに続いた。
 入口は、本来ならカウンターやクロークのスペースがあるのだろうが、改装中のためなのか、雑多な荷物だけが乱雑に置かれていて、足の踏み場もなかった。照明が落とされていたが、少しさきの右手から明かりが漏れていたため、足が止まることはなかった。私たちは物音を立てないように慎重に明かりのほうに進んだ。
 明るい光が眼に飛び込んできた。まっさきにみえたのは、中央の広いスペースだった。そのまわりに、ボックスソファーとテーブルが乱雑に置かれていた。
 中央の床にひとり横たわっているのがみえた。男が三人、中央の男を取り囲むように思い思いの格好でボックスソファーに座っていた。異変に気づいた三人の怒号が聞こえた。男たちがいっせいに立ち上がった。富樫と小里と所長が素早く動いた。私は中央に駆け寄った。
 横たわっていたのは男だった。体を起こし、顔をみた。顔全体が腫れ上がり、口と鼻のまわりは渇いた血がこびりついていた。間違いなく秋本だった。もともとの悪相がさらに悪相になっていた。秋本は眼を閉じ、ぐったりとしていた。名前を呼び、体を揺すった。反応はなかった。二度、三度と名前を呼び、体を揺すった。秋本が小さく息を吐き、かすかに眼を開けた。私は自分の名前を叫んだ。
 私だとわかったのか、秋本は小さくうなずき、口を動かした。
「なに?」
 声がか細くてよく聞こえない。
「もう一度いってくれ」
 私は大きな声を出して自分の耳を秋本の口に近づけた。
「……さまよえる臓器……」
 そう聞こえた。
「わかった」
 私は叫んだ。秋本は少し笑い、眼を閉じた。私はもう一度秋本の名前を呼んだ。だが眼を開けることはなかった。私は横でオロオロしている園部に向かって、救急車と叫んだ。

 病院に搬送された秋本は、一時間後、内臓損傷で死亡が確認された。激しい暴行によるものだった。
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