第23話

文字数 5,190文字

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 西新宿の雑居ビルの四階にあるキャバクラに入ったのが、七時半だった。中央に小さな噴水もどきのオブジェがあり、それを取り囲むようにボックス席が並んでいた。キャバクラのクラスはよくわからないが、おそらく小さな部類の店だと見当がついた。
 ボックス席にはふた組の先客がいた。私は入口に近いボックス席に案内された。ボーイに指名はと聞かれたので、相沢めぐみの源氏名をいった。
 一分もしないうちに、どうみても二十代にはみえないやや小太りのキャバ嬢が席に着いた。私がちょっと戸惑っていると、たか子ちゃんはもう少ししたらきます、といってミニスカートから伸びている太ももを押しつけてきた。どうやら相沢めぐみは、さきにきているふた組のどちらかの席にいるようだ。
「ミキです。よろしくね」
 小太りのキャバ嬢はそういって微笑んだ。よくみると愛嬌のある顔立ちをしていた。
「かわいい名前だね」
「顔だってかわいいでしょう」
「そうだね」
 私がそういうとミキ嬢は笑った。笑うと眼がなくなった。
「ウイスキーのボトルはいいかしら」
「ああ、いいよ」
 ミキ嬢がボーイを呼んだ。
「お客さん、ここははじめてなの」
「そうだよ。なかなかいい店だね」
「これからもご贔屓にお願いします。今度は私を指名してね」
「ああ、もちろんそうするよ」
 ミキ嬢がもう一度太ももを押しつけてきた。
「まだ空いているね」
「あと三十分もすればいっぱいよ」
「商売繁盛でなによりだ」
 ボーイがウイスキーのボトルを持ってきた。中クラスのボトルだったので安心した。ミキ嬢が手際よく水割りを作った。
「ミキさんは小田英明を知っているよね」
 世間話は切り上げて肝腎な話を振った。聞いたミキ嬢が固まった。
「……もしかしたら刑事さん?」
「申し訳ないね。何回も」
 ミキ嬢が体を少し離した。
「きのう別の刑事さんがきたわ。私は聞かれなかったけど、たか子ちゃんが聞かれていたようね」
 どうやら刑事と思っているようだ。あえて訂正はしなかった。
「小田英明ってどんな男だった」
「どんな男っていわれてもね……」
「ここにはよくきていたみたいだけど」
「前はよくきていたけど、最近はそうでもなかったわ」
「指名はたか子さんかい」
「そうね」
「彼はイケメンだったからモテたんじゃない」
 テレビのニュースでみた小田英明は中性的な顔立ちだった。優しそうな顔立ちといってもいいが、性格を反映していないのは悲劇的だった。
「たしかにスタイルもいいから、お店の子にモテていたわね。熱を上げていたお店の子もいたわね」
 なんとなく不愉快な表情が出ている。
「君はあまり好きではなかったんだ」
「死んだ人の悪口はいいたくないんだけどね。なんか感じが悪かったの。雰囲気がね。いい男ぶりをプンプンさせてね。わかるでしょう」
「わかるわかる。嫌だねそういう男って」
「あら、お客さんは話がわかるわ」
 ミキ嬢が笑った。やはり笑うと眼がなくなった。
「あら、おもしろそうな話なの」
 今度はあきらかに二十代前半の女が私のボックス席にやってきた。ミキ嬢がつんとすました顔で、たか子ちゃんあとはよろしくね、といって私に会釈をして別のボックス席に移った。
「たか子です。よろしくお願いします」
 そういってぴたっと寄り添った。ミニスカートから伸びている太ももは、ミキ嬢よりも細かったが、なかなか肉感的だった。
「お客さん、はじめてだったかしら」
 相沢めぐみはそういいながら水割りを作った。ここで小田愛子のいった言葉を思い出した。女優の松たか子のことだ。そう思って相沢めぐみの顔をじっくりとみた。微妙だった。そういわれればそんな感じがしないでもないが、かりに百歩譲っても、似ているのは顔の造作だけだろう。
「なんなの。じっとみているけど」
「君は女優の松たか子に似ているね」
 そういうと、相沢めぐみは露骨に喜びを顔に出した。
「よくいわれるわ」
「そうかい」
 相沢めぐみはどうやら売れっ子らしい。すぐに別の客に呼ばれるかも知れない。世間話ははしょることにした。
「実は君に聞きたいことがあってね」
 え? というような顔になった。
「小田英明のことなんだ」
 相沢めぐみは露骨に不快な顔になった。
「もしかしたら刑事さん?」
 そういいながら相沢めぐみは、露骨に体を離した。
「違うよ。実はね、人さがしをしているんだ」
「なによそれ。どういうことよ」
 興味のある顔になった。
「片桐涼平君をさがしているんだ。そのために小田英明のことを聞きたいと思ってね」
「涼平ちゃんをさがしているってどういうことよ」
 体ごとこちらを向いた。
「行方がわからないってことだよ」
「……ということは涼平ちゃんがいなくなったということ?」
 演技をしているようにはみえなかった。どうやらこの女のところにしけ込んではいないようだ。
「そうなんだよ。四日前から行方がわからないんだ。アパートにもいないし、電話もつながらない」
「うそ! 本当なの」
 大きな声を出したあと、急に声をひそめた。
「本当だよ。ということは君は知らなかったんだね」
「知らないわよ」
「行き先の心あたりはないかな」
「さあ。一緒に遊んだりしていないからわからないわ」
「わからないか。君だったらわかると思ったんだけどね」
「嫌だ! それって英明が殺されたことと関係があるの」
 殺されたというところは、ほとんどヒソヒソ声だった。
「涼平君が殺して逃げていると思っているのかい」
「だって……」
「それはわからないが、たぶん違うね」
「本当?」
「ああ、本当だよ」
「涼平ちゃんはそんなことできないものね。あ、そうだ。涼平ちゃんの行方だったら、英明の妹がいるんだけど、彼女に聞いたらわかるんじゃない」
「愛子ちゃん?」
「知っているの?」
「ああ、彼女も知らないといっている」
「もしかして私のことは彼女に聞いたの」
「そうだよ。君と英明が涼平君にしたことも彼女に聞いた」
「あーあ」
 相沢めぐみが悲しい声を出した。
「すべて知っているのね」
「それについては、とやかくいうつもりはないよ」
「私も聞きたくないわ」
「君もどう。飲んだら」
「本当はいけないんだけど、もらうわ」
 相沢めぐみが自分用の水割りを作ってひとくち飲んだ。
「……涼平ちゃんはどこに行ったのかしら。心配だわ」
 相沢めぐみがもうひとくち飲んだ。泣き上戸でなければいいが。
「涼平君にしたことは、英明が考えた筋書きなんだろう」
 こちらも酔わないうちに聞きたいことを聞かなければいけない。水割りはやめにしてミネラルウォーターを口にした。
「そうよ。もちろんお金は魅力的だったけど、涼平ちゃんのことが好きだったから引き受けたのよ。でもね、言い訳に聞こえるかも知れないけど、英明が強請るなんてことは知らなかったのよ。知っていたら断っていたわ。いまでは後悔しているわ」
 どこまで本当かわからないが、深く考えずに英明に従ったことは、犯罪に荷担したと思われてもしかたがないことだ。しかしそれを責める気はない。いまは事実を冷静に聞くだけだ。
「英明はなんでそんなことを思いついたのかな」
「知らないわ」
「なんでそんなことをするのか、理由は聞かなかったの」
「私も知りたいと思って聞いたけど、教えてくれなかった。お前は黙って俺のいうことを聞いていればいいんだって。だからそれ以上聞かなかった。私が涼平ちゃんのことを好きだってことを英明は見抜いていたから、私のことを思ってのことだと勝手に思ってしまったのよ。でも、なにも考えずに引き受けた私がバカだったのよ」
 相沢めぐみが水割りをぐいと飲んだ。
「ねえ、お客さん、あいつは最低な男よ。あ、死んだ人のことを悪くいうつもりはないんだけどね」
「いいよ。喋っても。ところで、成功報酬を値切られたんだって」
「それも知っているの」
「まあね」
「お喋りな女ね……でも愛子ちゃんをとやかくいえる立場じゃないわね。私がバカだったのよ。それはよくわかっているんだけどね」
「成功報酬はいくらだったんだね」
「五万よ」
 五万……少ない気がするが、そんなものか。
「誤解しないで。好きでもない男だったらいくらお金を積まれても嫌よ」
「それはそうだろうな。わかるよ」
「わかるでしょう」
「それで、いくらくれたんだね」
「二万よ。バカにしているでしょう」
「ひどいね」
「ひどいわよ」
 相沢めぐみが水割りを半分ほど一気に空けた。
「それはそうと、刑事がきたんだって」
「きのうきたわ。なんでも交友関係を洗っているんだって。お店でご贔屓にしてもらっていたし、外でも会っていたから聞かれたんだと思うわ」
「もしかして涼平君のことを話した?」
「話さないわよ。話したら私がつかまるじゃない」
 そのぐらいの分別はあったわけだ。
「ねえ、お客さんは刑事さんに話したりはしないでしょうね」
「話さないよ。それは約束してもいい」
「本当? 絶対よ」
 顔を間近に近づけてささやいた。化粧のにおいでくしゃみが出そうになった。
「刑事になにを聞かれたんだね」
「英明の交友関係とか、英明がだれかに恨みを買っていないか、とかね」
「英明は殺されるような恨みを買っていたんだろうか。なにか知らない」
「知らないわよ。そうそう私のアリバイも聞かれたわ」
「アリバイはあったの」
「お店に出ていたからバッチリよ」
「君は刑事から英明の恋人と思われていたんじゃないの」
「刑事さんには、私は英明の友達のひとりだとしか話していないわ。実際に英明にはたくさんの女友達がいたのよ」
「刑事は納得したかい」
「わからないけど、納得したんじゃない。すぐに帰ったから」
 相沢めぐみがもっと飲めといった。私はやんわりと断り、ミネラルウォーターを手に取った。
「あ、そうだ」
 相沢めぐみが手に持っていたコップを下に置いてから、大きな声を出した。
「この前もお客さんと同じように、英明と涼平ちゃんのことを聞きにきたお客さんがいたわ」
「だれ?」
「知らない人」
「男だった?」
「中年の男よ」
「それはいつ?」
「えーと、たしか三日前ね」
「名前は名乗った?」
「名乗らないわ。向こうも特にいわなかったし、私も聞かなかったわ」
「どんな男だった?」
「はじめてのお客さんだったわ。なんか怖い感じの人だった。私はヤクザかと思ったわ」
「雰囲気もそうだけど、顔も怖かった?」
「うん、怖かった。すごみがあって」
 小田愛子が涼平のアパートで週刊誌の男をみた日も三日前だ。小田愛子も怖い顔といっていた。年齢も合っている。同じ男とみて間違いがないだろう。翌日に阿比留伸介が男から電話を受けている。こちらも同じ男とみるのが自然だろう。やはり男は秋本か。
「なにを聞かれたの」
「英明の居所を知らないかって聞かれた。私はお金を値切られてから会っていなかったので、知らないと答えたのよ。そうしたら今度は涼平ちゃんの居所を知らないかって聞かれた」
「それで?」
「私が本当に知らないとわかったのか、すぐに帰ったわ」
「その男は英明の知り合いだといった?」
「うん、むかしからの知り合いだって。どうしても聞きたいことがあってさがしているんだっていっていた」
「涼平君のことは?」
「涼平ちゃんも知り合いだっていっていた。涼平ちゃんに聞けば英明の居所がわかるんじゃないかと思ったらしいわ」
「君のことはどこで知ったのかな」
「私もそれが知りたくて聞いたのよ。そうしたら、英明から聞いたんだって」
「刑事にはその男のことは話した?」
「話していないわ」
「いろいろとありがとう。参考になったよ」
「涼平ちゃんを真剣にさがしてね。お願いよ。涼平ちゃんになにかあったら寝覚めが悪いわ」
「わかった。ところで、南雲直人という名前は聞いたことない」
「南雲直人?……さあ、聞いたことないわ。だれなのその人?」
「いや、なんでもない。そうだ、最後に聞くけど、涼平君の知り合いで、お金持ちはいないかな。たとえば、別荘を持っているようなお金持ちなんだけどね。本人からそんなことを聞いたことはないかな」
「お金持ち?……どうかな……ああ、ひとり聞いたことがあるわ。お金持ちかどうかはわからないけど、ゲーム会社の社長の息子さんとお友達だと話してくれたことがあったわ」
 ドキリとした。すぐにポケットから手帳を出した。
「息子の名前は?」
「それは聞いていないわ」
「では、なんという会社?」
「それも聞いていないわ」
「むかしからの友達?」
「さあ」
「それはいつ聞いたんだ」
「嫌だ。ベッドでよ」
 小田愛子には聞かせられない話だ。
「寝物語で聞いたのか」
「雑談のなかで、なんとなくそういう話題になったときに、涼平ちゃんが話してくれたのよ。私も詳しくは聞かなかったわ」
「では思い出したら連絡をくれるかい」
 私は手帳の余白を破り、携帯の電話番号を書いて相沢めぐみに渡した。そのとき、相沢めぐみに指名がかかった。彼女が立ち上がると同時に私も立ち上がった。
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