第33話

文字数 3,339文字

       33

 デスクの上に、バッグから出した新聞と携帯を置き、けたたましい金属音で自己主張をやめない椅子に座った。原田洋子と伊藤綾子はともに電話中だった。奈緒子はどうやら来客中のようだ。そのとき気がついた。携帯に着信を知らせる表示がついていた。着信履歴をみると、園部から五回も電話が入っていた。バッグに入れていたのと、マナーモードのせいで、気づくことができなかった。用事があるのならまたかけてくるだろう。こちらからかけることもない。そう思い、携帯をデスクに戻した。
 一分もしないうちに電話がかかってきた。園部からだった。
「やっと出てくれましたね」
 非難めいた口調だった。
「用はなんだ」
 私はすぐにそういった。
「秋本から電話がなかったですか」
 やはり話題は秋本のことだった。なんとなくそんな気がしていた。
「きのうあった」
「やはりありましたか……」
 言葉が途切れた。ちょっと嫌な胸騒ぎがした。
「私のことをいろいろと教えたようだな」
「それについては謝ります。それで何時ごろです。電話があったのは」
 真剣な声だった。嫌な胸騒ぎがよみがえった。
「それをいう前に教えろ。秋本になにかあったのか」
「実はきのう会うことになっていたんですが、待ち合わせ場所に現れなかったんですよ。それで心配になって連絡をしているんですが、いまだにつながりません」
 園部と会うといった言葉は本当だった。
「何時に会う予定だったんだ」
「九時です」
「会う場所は」
「新宿の喫茶店です」
「電話があったのは七時ごろだったかな」
「電話が終わったのは何時です」
「八時ごろかな」
「ずいぶん長い電話ですね」
「積もる話があってね」
「電話のあとの予定は話していましたか」
「あんたと会う予定があるといっていた。それだけだ」
「そうですか……」
「さがしてはみたか」
「行きそうな場所はあたりました。といっても、秋本が行きそうな場所はそれほど知りません。秋本の親しい編集者にもあたったんですが、だれも行方は知りません」
「手分けしてさがしてもらってはどうだ」
「みんな本気で心配はしていません。そのうち現れるでしょう、というばかりです」
「やつの住まいはどうなんだ」
「わかりません。だれかれに聞いてみたんですが、知っている者はいません。ただ千葉の成田あたりに住んでいるという話は聞いた記憶があります。それもはっきりしません」
 成田の小料理屋のことをさかんにいっていた。秋本の地元だったというわけだ。
「秋本に家族は?」
「彼はひとりもののはずです。自分は天涯孤独だと話しているのを前に聞いたことがあります」
「親しい友人は?」
「知りません」
「ところで、秋本と会う用事はなんだったんだ」
「実は、前日に秋本と会ったときに、週刊誌の担当者を紹介してほしいといわれたんです」
「混乱しているな。しっかりしろ。それは秋本が私に電話をしてきた前日ということだろう」
「そうです。すみません。おとといのことです」
「ちょっと待て。週刊誌の担当者を紹介してほしいというのはおかしくないか。秋本だって週刊誌の業界はまんざら知らないわけではないだろう」
「ようするにまともな週刊誌ということですよ」
「ああ、そういうことか。それで、副大臣の色恋沙汰のネタと引き替えにそいつを約束させられたんだな」
「その話は聞いたんですか」
「ああ聞いたよ。そうなんだろう」
「……そうです」
「私のこともついでにな」
「……そうです」
 だんだんと声が小さくなった。
「それで紹介するつもりで待ち合わせ場所に行ったんだな」
「ええ、そう約束をしたので」
「秋本はまともな週刊誌を紹介してもらってどうするつもりだったんだ」
「たぶん売り込みですよ」
「なにを売り込むつもりだったのかな。つまり、それは下ネタ以外のまともなネタだということだろう」
「そのようです。内容はいってくれませんでしたが、大きなネタをつかんだような口ぶりでした。それとですね、そのネタなんですが、もしかしたらヤバイネタかも知れません。そんな感じがしました」
「ヤバイネタ? たとえば?」
「裏社会がからんでいるとか」
「なにか根拠でもあるのか」
「しつこく聞いたんですよ。でもなかなか答えてくれなくてね。でも最後に口をすべらせたんです。いったあとまずいという表情になりましたけどね」
「どんなことをいったんだ」
「町田のヤクザっていったんです」
「町田のヤクザ……どういう意味だ」
「それがわからないんですよ」
「話したのはそれだけか?」
「そうです。それ以外は話してくれませんでした」
「町田のヤクザ……町田というのは、町田市のことか」
「たぶんそうでしょうね」
 嫌な胸騒ぎがまたした。
「それでいまもって連絡がつかないというわけか」
「そうです」
「秋本は、ヤクザ社会との付き合いは深いはずだな」
「でしょうね」
「そのからみではないのか」
「いずれにしても気になります。それで佐分利さん、お願いがあります。もと警視庁捜査一課の警部さんと昵懇でしたよね」
「所長のことか」
「ええ、その所長さんの人脈で、町田警察署に知り合いの刑事がいませんかね」
「情報か?」
「そうです。町田のヤクザについてのどんな情報でもいいんです。なんとかなりませんか」
 いつもなら、ふざけるなというところだが、私も所長を頼る気になっていた。
「わかった。連絡をしてみる。なにかわかったら知らせる」
「ありがたい。よろしくお願いします」
「ちょっと待て。まだ聞くことがあった。秋本は私に電話をする理由を話したか」
「佐分利さんに電話をかけることがわかったときに、その理由を聞きましたが、教えてくれませんでした」
「そうか。わかった。いずれにしろあとで電話をする。それまで秋本に連絡を取ってみてくれ」
「わかりました」
 園部との電話が終わるとすぐに所長にかけた。幸い所長は暇を持て余していた。
 秋本からの電話を説明するのに二十分。園部からの電話を説明するのに十分。それですべてを飲み込んだ所長は、町田警察署に知り合いの刑事がいるといって電話を切った。それから私は焦燥感に駆られながら、二時間近く携帯を睨みつけていた。
 電話が鳴ったときは、手が震え、思わず携帯を落としそうになった。
「サブやんじゃないが嫌な予感がする。というのも、組がやっているクラブが町田にあって、いま改装中だというんだ」
 所長の声は少し震えていた。
「知り合いの刑事がいうのか」
「そうだ。組織犯罪対策課にいる富樫という刑事の情報だ」
「もしかして、そのクラブに連れ込まれているというのか」
「あるいはな。未確認情報だが、そのクラブに組の若いのが三人ほど頻繁に出入りをしているらしい。富樫がいま確認中だ」
「気になるな」
「それでどうする」
「そうだな……」
「現地に行ってみてもいいぞ」
「いまから可能か」
「ああ、いいさ」
「よし行こう。所長と一緒なら心強い」
「よし、そうと決まったら富樫に連絡して協力を頼んでみる。確認して折り返すからいったん電話を切るぞ」
 十五分後に電話が鳴った。
「富樫に話をした。富樫の体が空くのが午後九時だ。その時間に町田警察署に行く。それでいいか」
「オーケーだ」
「では町田駅の中央改札口に八時四十分集合でどうだ」
「オーケーだ。一応園部に連絡を入れるよ。もし園部が行きたいといったならどうする」
「かまわんさ。俺のほうは念のために猛者を連れて行く」
「踏み込むつもりか」
「あるいはな」
「わかった」
 所長との電話が終わってすぐに園部に電話をした。園部はツーコールで電話に出た。町田へ行く話をした。園部も行くことになった。
 集合時間までまだ時間はあった。なんだか落ち着かない。武者震いというやつか。ときおり震えがくる。
 昼飯のことを忘れていた。食欲はないが、少しでも腹に入れておいたほうがよさそうだ。外に出て眼についた洋食屋に入った。
 カレーを食べて事務所に戻った。腹に入れたせいか、事務所を出るまで震えがくることはなかった。
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