第27話

文字数 3,193文字

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 虎ノ門から地下鉄に乗り、次の新橋で山手線に乗り換え、有楽町で降りた。駅から徒歩一分となっていたが、余裕を持って十分前には駅に着いた。
 京橋口を出て、交通会館のところを右折した。前に高速道路の高架がある。その下を通って左折した。右手は外堀通りだ。目当ての会社が入っている有楽町Yビルはすぐだった。
 ビルのエントランスで案内プレートを確認した。ドリームメイクソフトウェア社は十階だった。私は、ちょうど開いたエレベーターに乗り、十階のボタンを押した。
 社名が印刷されているガラスドアを開けてなかに入ると、さらに奥にドアがあった。そのドアには、セキュリティシステムが完備してあった。ICカードがないと鍵が開かない仕組みになっていた。
 ドアの横に無人の小さな受付カウンターがあった。カウンターの上には、一台の電話機と部署ごとの内線番号が印刷された紙が置いてあった。訪問者は、ここで内線をかけて、用件を伝えなければならないようになっていた。当然だが、セールスはここでシャットアウトされるというわけだ。
 秘書課の部署がみあたらないので、総務にかけた。女子社員がすぐに電話に出た。まさかここで門前払いはないだろうな、と思いながら用件を伝えた。
 私はドアが開くのをひたすら待っていた。五分がすぎただろうか。いや、もっとかも知れない。長く感じた。最悪のことが頭をよぎった。このまま無視されたらどうしようか、と考えたとき、やっとドアが開き、女子社員が顔を出した。私は安堵のため息をついた。女子社員は私を社長室に案内した。
「お待たせしました。電話がなかなか終わらなくて失礼しました」
 五十代前半と思われる男は、そういうと、デスクから立ち上がった。
 五分刈りの頭はほとんど白髪だった。濃い眉毛も白かった。筋肉質のがっちりとした体型は、柔道の有段者として通ること、間違いなしだった。なるほど、それで初対面の相手でも動じることなどなく、会おうと思ったのだな、と勝手に理解した。相手に警戒を起こさせることなどないと、わかってはいたが、せいぜい用心して、投げ飛ばされないように注意が必要だろう。
 応接セットに移動してきた男と名刺交換をした。男はあらかじめ調べたおいた社長の名前と一致した。肩書きは、代表取締役社長だった。
「畑中浩之です」
 社長はそう名乗った。
「お忙しいところ、お時間を割いていただき、恐縮です」
 これに対して特に返答はなかった。
 社長室は六畳ほどの部屋だった。この規模の会社の社長室としては、順当な広さなのかどうか、私にはよくわからなかった。ただ、質素な部屋であることは間違いなかった。
 家具はデスクと応接セットだけだった。右の壁をみると、小ぶりの風景画がかかっていた。ヨーロッパのアルプス山脈のようでもあり、日本のアルプス山脈のようでもあった。作者はもちろん不明だ。値が張るものかも不明だ。反対側の壁をみると、ベンチャー企業にしてはめずらしく、先代の社長と思われる人物の正面写真が飾ってあった。写真の人物は、五十代後半で、名前は思い出せないが、渋い演技で評判の脇役俳優に似ていた。
「虎ノ門に事務所をかまえておいでですか」
 私の名刺と顔を交互にみながら、畑中浩之はそういった。私はなんでもないような顔をしていたが、この言葉はいつも私を面映ゆい思いにさせた。私は娘の事務所に居候していることなど露ほどもみせずに、そうです、と答えた。
「こちらの会社のゲームはずいぶん評判がいいですな」
「ご存じですか」
「知っています。ロールプレイングゲームの〈アレースの伝説〉は有名です」
 話していてヒヤヒヤものだった。
「あなたもおやりになるのですか」
「ええ、人並みには」
 冷や汗がひと筋背中を流れた。
「ところで、ゲームの話をしにいらっしゃったわけではないでしょう」
 ボロが出ないうちに話題を変えようと思った矢先、さきに話題を変えられた。
「なんでも息子の富雄のことでお話があるということでしたが」
 畑中浩之は鷹揚にかまえている。ものわかりはよさそうだ。見た目と同じように、懐の深さもみせてほしい。
「おっしゃるとおりです。ところで社長は、片桐涼平という二十四歳の若者はご存じでしょうか」
「片桐涼平?……はて?」
 畑中浩之が呟いた。
「実をいいますと、その若者の行方をさがしています。ほうぼう手を尽くしていますが、いまもって行方がわかりません。そんなとき、あなたの息子さんとさがしている若者が知り合いだということがわかりました。そこで息子さんに会って、お話を聞くことができれば、有益な情報を得られるのではと思い、こうしておうかがいをしたしだいです」
「なるほど。訪問の理由はわかりました。それでその若者はいつから行方がわからないのでしょうか」
「ほぼ一週間になります」
「失礼ですが、遊びに夢中になっているということは考えられませんか」
「それは考えられません」
「立ち入ったことをお聞きしますが、行方がわからなくなった理由はなんです」
「詳しいことは申し上げられませんが、お金がからんだことです」
「事件性は?」
「ないことを祈っていますが、まだなんともいえません」
 小田英明のことは伏せた。相手に警戒させることもない。
「息子とはいつ知り合いになったのか、おわかりになりますか」
「なんでもむかしバイトさきで仲よくなったと聞いております」
「わかりました。ただ、残念ですがいま息子の富雄はおりません」
「いない?」
「ほぼ二か月前に日本を出まして、息子の言葉を借りると、東南アジアを探索中です。まあ、放浪ですな」
「日本にはいない……」
「息子は大学生なんですが、半年ほど海外を巡るんだとか。そのために休学しました。まったくなにを考えているのか」
「そうですか……」
 餌に食いつこうとした魚がするりと逃げた感触だった。
「でも連絡はつくと思いますよ」
「連絡はつきますか」
「あまり期待はしないでください。息子は放浪中はほとんど携帯の電源を切っているんです。とりあえず連絡を取ってみます。それで行方がわからない若者の情報を聞けばよろしいんですよね」
「片桐涼平という名前です」
「わかりました。ちょっとお待ちください」
 畑中浩之はそういうと、身軽に立ち上がり、デスクに向かった。
 なにかいい情報をもらえるような予感がする。逃げた魚がもう一度餌に食いついてくるような、そんな予感だ。私は、壁にかかっている人物の正面写真に向かってウインクをしたい気分だった。
 畑中浩之は国際電話をかけている。だが相手は出ないようだ。やがて畑中浩之は諦めたのか、伝言メッセージを吹き込んだ。
 逃げた魚がもう一度餌に食いついてくるような、そんな予感がしたが、やはり逃げたようだ。
「お聞きになったとおりです。伝言を入れたので、気がつけば折り返し電話があるはずです」
「ありがとうございます」
「片桐涼平君が早くみつかるといいですね」
「最善を尽くします」
 私はもう一度礼をいって社長室を出た。少し足取りが重かった。

 その夜、私の携帯に畑中浩之から電話が入った。息子の富雄に連絡がついたといった。
「それで?」
 私は急いで聞いた。
「たしかに片桐涼平君は知り合いだといいました。それで、息子がいうには、日本を出るときに、涼平君に自分の部屋を自由に使っていいといって、マンションの鍵を貸したそうです。ちなみに、息子はひとりぐらしです」
 心臓が自分でもわかるほど強く脈打った。私は富雄のマンションの住所を二度聞き、メモった。
 私はしつこいぐらいに礼をいって電話を切った。そのあと、じっとしていられず、キッチンに行き、冷蔵庫から缶ビールを出した。
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