第40話

文字数 3,543文字

       40

 きたときよりも人の通りも車の往来も増えていた。駅へ続く道を車に用心しながら急ぎ足で歩いた。
 JRで行くか、京成で行くか迷ったが、乗っている時間が少ないという理由だけで京成にした。
 京成成田駅前は、通行人をよけながら駅前を横切る車で混雑していた。駅へと急ぐサラリーマンを私が追い越して行く。駅から出てきた若い母親が、駄々をこねる子供を叱りながら私とすれ違う。人待ちで佇む人の群れの間をぬって券売機に進んだ。
 京成の特急に乗った。京成津田沼までは三十分ちょっとだった。 駅に着いてとりあえず駅前からタクシーに乗った。運転手は店を覚えていてくれた。なんでも一度入ったことがあるそうだ。店はJRの駅のほうだった。道が混んでいたため十二分かかった。空いているときは半分ですむんだが、と話好きの運転手が降りぎわにそう話してくれた。
 店の前に立った。まだ開いているか心配だったが、明かりがついていたのでほっとした。
 〈本高く買います〉と大きく書かれている入口のガラス戸を開けてなかに入った。古本独特のにおいがした。
 奥に小さなカウンターがあり、眼鏡をかけた五十代半ばの男が座っていた。男は新聞を読んでいた。入ってきた私にちらっと眼をくれたが、すぐにまた新聞に眼を落とした。私はまっすぐ男に近づいた。
「河野光男さんですか」
 男は新聞から私に眼を移して、はい、と返事をした。
「成田の小料理屋の女将からあなたのことを聞いてきました。ちょっとお話を聞かせていただいていいですか」
「もしかして、えみの女将?」
「そうです」
 河野光男はちょっと身構えた。
「なにかの勧誘じゃないだろうね」
 声に警戒心がこもっていた。
「違いますよ。お話を聞かせていただくだけです」
「どういう話?」
 まだ声が固い。
「成田晃さんをご存じですよね」
「成田さんって、えみで一緒になったあの成田さんのこと?」
「そうです。その成田さんです」
「それなら知っていますよ」
「彼のことでお聞きしたいことがあってきました」
「成田さんに迷惑がかかることだと嫌ですよ」
「迷惑がかかるようなことではありません」
「でもね……面倒は嫌なんだよね」
「あなたに迷惑はかけません。お話をお聞きするだけです」
「そうなの……それでなにが聞きたいんです」
 河野光男は手に持っていた新聞を足元に置き、眼鏡を外した。
「あなたは彼とずいぶん親しくされていたとお聞きしていますが」
「女将がそういったの」
「ええ、そうです」
「店のなかだけですよ。それ以外では会ったことはありません」
「そうなんですか」
「だからあの人の名前しか知りません。向こうも私の名前と電話番号しか知らないはずですよ」
「でも店のなかではあなたが一番親しくされていたと、お聞きしています」
「そうね。なんていうか、気が合うというかね。成田さんは話題が豊富だからね」
「最近はいつ会いました」
「六月の終わりごろかな」
 女将の話と一致する。
「はっきりとした日にちはわかりますか」
「知りたいの?」
「ええ、どうしても」
「えっと、たしか……ちょっと待ってね」
 うしろの小箱のなかから手帳を出した。
「成田に行った日だから……ああ、あった。六月の二十一日だね。間違いない」
 秋本が小田英明と飲みに行ったのは二日前の十九日だ。二十二日には、秋本は涼平のアパートに行き、そのあと相沢めぐみの店にも行っている。さらに二十三日には、阿比留伸介に涼平の居所を尋ねている。
「なんでそんなこと聞くんです」
「いや、たいしたことではありません。確認したいだけです」
「そういえば、あなたの名前を聞いていなかったね」
「これは失礼しました。佐分利といいます」
「あ、あんたが佐分利さん」
 河野光男が大きな声を出した。
「私のことをご存じで」
「成田さんから聞いていますよ」
「彼から? どういうことです」
 私も大きな声になった。
「説明をする前に、本当に佐分利さんなのか、証明するものをみせてくれますか」
 ずいぶん大仰だなと思ったが、逆らわずに私は運転免許証を出してみせた。河野光男は免許証をみて納得してうなずいた。
「申し訳ないね。確認しないで渡してしまうとまずいでしょう」
「渡す?」
「あれ、成田さんからなにも聞いていないの」
「ええ」
「そうなんだ。まあ、いいか。本人だと確認したから……実は、成田さんから預かっているものがあってね」
「もしかしてパソコンですか」
「そうです。なんだ知っているじゃない」
 興奮で顔が熱くなった。
「彼と飲んだ日の別れぎわ、三日ほどしたら取りに行くから預かってくれないかといって、バッグを手渡されましてね。大事な商売道具だといってね。そんな大事なものをなんでっていったんだけど、迷惑をかけないからどうしてもっていうからね。預かったんです」
 三国啓治は、秋本は小田が殺されたため慌ててパソコンを隠したと推理したが、実際はその前に隠していた。それはなぜか。そして、なぜ秋本は大事なパソコンを飲み友達に預けたのか。それも不思議だ。だが尋ねる本人がいないいま、真相は不明だ。だがあえて推理するならば、レポートがなくなっていることに気がついて不安になったため。あるいは暴力団の影がちらつき身の危険を感じたため。そして、飲み友達の存在までだれもたどり着けないと思ったから。そんなところではないのか。ただ、いまとなってわかるのは、その行為は正解だったということだ。
「そのあと、彼から連絡はありましたか」
「それからしばらくして電話があったんですよ。明日取りに行くって」
「それはいつです?」
「六月の二十八日だったね」
 胸が高まった。私に電話をかけてきた日だ。
「その日で本当に間違いないですか」
「うん、間違いないです。嘘じゃないですよ」
 河野光男は舌打ちするような表情になった。私は慌てて謝った。
「すみません。疑ったわけではありません。それで電話があった時間はわかりますか」
「時間? たしか夜の八時ごろだったかな」
 私との電話のあとで河野光男にかけたことになる。
「そのときに、もし自分ではなくて、かわりに佐分利という人物が現れたら、渡してほしいといったんです」
「秋本が、いや成田さんがそういったんですか」
「そうですよ」
 なぜ私なんだ。なぜ私が河野光男を訪ねると思ったのか。私との電話のあと、秋本はなにを考えたのか。彼の心のなかに、なにか予感めいたものが浮かんだのだろうか。いや、それは電話の途中で浮かんだのだろう。秋本は私に、成田の小料理屋にぜひ行ってみてくれといった。その言葉は私への呼び水となった。私はあらためて、秋本という男との縁を感じずにはいられなかった。
「ねえ、成田さんがどうかしたの」
 私が考え込んでいるので、河野光男が心配そうな顔で聞いてきた。
「いや、どうもしません。彼はちょっと仕事で遠くに行っているんです」
 河野光男は首を傾げ、ちょっとの間考える素振りがあった。
「彼が取りにくるっていうからさ。この店の場所を教えたんです。でも待ってもこないから心配していたんだよね」
「大丈夫ですよ。ただ、その仕事が長くなりそうなんです」
「まあ、仕事だったらしようがないね。今度成田さんに会ったら、また一緒に飲みましょうと私がいっていたと伝えてくださいね」
「わかりました。必ず伝えますよ。それでパソコンは?」
「そうそう、肝腎なものを渡さないとね。ちょっと待っててくれますか。いま持ってきます。それまで店番をしててください」
 河野光男はうしろの部屋に入って行った。私はカウンターの前に立って待つことにした。
 なかなか戻ってこなかった。その間、客がきたらどうしようかと思ったが、幸いずっと閑古鳥が鳴いていた。
 河野光男が戻ってきた。A4サイズぐらいの黒のビニールバッグを持っていた。
「お待たせしました。ちょっとトイレに寄ったもんだから」
 バッグを受け取った手が少し震えた。ファスナーを開けてなかをみた。間違いなくパソコンが入っていた。
「そうだ。成田さんからの伝言があったんだ」
「私に?」
「そうですよ。あなたがきた場合に伝えてほしいと、電話を切る前に彼がいっていた」
「その伝言とは?」
「成田の小料理屋を思い出してほしい……これが伝言です」
「それが伝言?」
「そうですよ」
 なんのことかわからなかった。だがいまは意味を考えている時間はない。すぐにでも帰ってパソコンのなかをみたかった。
 河野光男に礼をいって店を出た。私はJRの津田沼駅をめざした。
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