第37話

文字数 2,838文字

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朝食のあと、久しぶりに部屋の掃除をして、たまった洗濯もして、ついでにキッチンも片付けた。汗をかいたのでシャワーを浴び、そのあとゆっくりと新聞を読み、コーヒーを飲んだ。それから園部に電話をした。園部には、いままでも所長から聞いた状況をできるだけ教えていた。そういう意味では、好むと好まざるとにかかわらず、園部はすでにわれわれの仲間であった。
 休む間もなく働いているようなことをいっていた園部も今日は家にいた。なんでも、季節外れの風邪を引いたらしい。鬼の霍乱というやつか。電話に出た園部の声は元気がなかった。そのぐらいのほうがちょうどいいようだ。
 きのう仕入れた情報を話して聞かせた。園部は私の長い話を黙って聞いていた。話しが終わると、矢継ぎ早に質問してきた。
「秋本は、その臓器ビジネスのネタをつかみ、週刊誌に売り込もうとしたんですね」
「そうだと思う」
「佐分利さんに情報を提供した人物のもとを、秋本が訪ねている事実をみても、間違いないですね。それから、佐分利さんがおっしゃるように、秋本は成田晃という別名を使っています」
「決まりだな」
「記事の内容を佐分利さんはつかんでいますか」
「そこまではわからない」
「秋本がにおわせていたように、そのネタはヤバイですよ」
「だろうな」
「当然暴力団がからんでくるでしょうね」
「ああ」
「その記事が世間に出ると、連中はまずいと思うでしょうね」
「暴力団と、もしかしたら悪徳仲介業者はつぶしにかかるだろうな」
「仲介業者の面は割れているんでしょうか」
「それはわからない」
「秋本はそのネタをどこでつかんだんでしょうかね」
「さあ、それなんだよ。本人がいなくなったいま、それを知るのはむずかしいだろうな」
「知りたいですね……それはそうと、秋本が最後にいった言葉は、こうなってみると意味深ですね」
「さまよえる臓器……」
「そうです。その言葉です。まさにそれですね」
「残念ながら意味はまだはっきりとはわからないが、リンクしていることは間違いないだろうな」
「ところで、佐分利さんに情報を提供した人物ですが、だれなんです」
「腎臓移植を推進する団体の理事長、とだけいっておくよ。それ以上は勘弁してくれ」
 園部は不満そうなため息をついた。私はそれを無視した。詳しく話すとなると、戸川凛子の調査依頼まで話すことになる。それは、終わったとはいえ、いうわけにはいかなかった。
「秋本はそのネタをすでに記事にしているんだろうか。あんたはどう思う」
 園部に聞いた。
「佐分利さんはどう思います」
「していると思う。その証拠に連中は秋本の自宅を物色している」
「それなんですが、この前佐分利さんからその情報を聞いて気になっていました。やはり記事にした媒体をやつらはさがしたんですね。でもみつけられなかった」
「おそらくそうだ」
「やはり気になります。佐分利さんへの答えですが、秋本の性格からいって絶対に記事にしているはずです。そしてそれはどこかにあるはずです」
「それがどこなのかが問題だ」
「このまま家でじっとしているわけにはいきません。こうなったら秋本の自宅に行ってみます。うまくいけばみつかるかも知れません」
「いまからか」
「そうです。彼の従兄弟は近所に住んでいるので、これから行って家の鍵を開けてもらいます。今日は土曜日だから従兄弟もいるでしょう」
「やつらが物色してもみつからなかったんだぞ」
「みる眼が変わればみつかるかも知れません」
「風邪はどうなんだ」
「風邪はもう治りました」
「あんたは本当にタフだな」
「タフとフットワークの軽さが売りですからね」
 園部の鼻息は荒かった。
「どうです。佐分利さんも一緒に行きませんか」
「私は遠慮しておくよ。家でやることがあるんでね」
 といったが、特にやることはなかった。
「そうですか。では吉報を待っていてください」
 長い電話が終わった。
 期待はしていなかった。連中が徹底的に家捜しをしてもみつからなかったのだ。家には置いていないとみるべきだろう。だが園部のはやる気持ちもわかる。園部のいうとおり、吉報を待っていることにした。
 私は携帯をリビングのテーブルの上に置き、ソファーから立ち上がると大きく伸びをした。窓から外をみると今日は梅雨らしい天気だった。蒸し暑く、雨は降ったり止んだりを繰り返している。さて、と私は呟き、もう一度大きく伸びをした。特にやることもない。出かける元気もない。冷蔵庫を開けるまでもない。食料品は足りているはずだ。いまはテレビもみる気もしない。思いついたように読みかけの小説を手に取った。今日はどうやら読み切ってしまいそうだ。
 夕飯後にぼんやりとテレビをみていたら、電話が鳴った。園部からだった。
「ありませんでした」
 園部は疲れた声を出した。
「やはりな」
「家のなかは荒らされたままでした。それはもうひどい状態です」
「連中は徹底的にさがしたんだろうな」
「私も徹底的にさがしてみました。畳をどかしてみました。天井裏もみました」
「パソコンはどうなんだ」
「それがね、ないんですよ」
「ない?」
「彼も一応はジャーナリストですからね。持っているはずなんですよ。でもありませんでした。連中が持っていったということはないですかね」
「クラブにはなかったよな」
「ありませんでしたね」
「警察が押さえているのであれば、所長の耳にも入るはずだ。そうなると当然こっちにもその情報は入るはずだ」
「連中は手に入れて用がすんだので処分した、ということはないですかね」
「それだったら秋本をさっさと殺して海にでも沈めるだろう」
「あ、そうか」
「秋本も取材をしていくうちに、ヤバイネタだとわかったはずだ。暴力団に狙われるかも知れないと思うだろう。だから安全のためにどこかに隠したのかも知れない」
「そうですね。しかし残念です。秋本の記事をみたかったですよ」
「もし、みつけたらあんたはどうするつもりなんだ」
「それは、そのときになってみなければわかりません」
「ところで、あっちのほうはどうなっているんだ」
「あっちというのは?」
「ある副大臣の色恋沙汰のネタだよ」
「ああ、そっちですか。そっちは順調に進めています。近々ドッカンと打ち上げますよ」
「秋本の好意といえるのかどうかは微妙だが、やつが提供してくれたネタだ。せいぜい頑張ってものにしてくれ」
「わかりました」
 現金なもので、最後に園部は元気な声で電話を切った。
 一時間後、携帯が鳴った。風呂から出たあと、缶ビールを取りに冷蔵庫に足を向けたときだった。園部かと思ったが違った。狩野照子からの電話だった。用件は短かった。明日会えないだろうかという内容だった。日曜日なのになぜ呼ばれるのか、その理由を聞くことなく、私は承諾の返事をした。それほど彼女の声は緊張していた。
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