第2話

文字数 2,212文字

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 電話があったのはきのうだった。戸川凛子と名乗った。私の名前を確認したあと、さらに、探偵の、と断りをつけて再度私の名前を確認した。私はそうだと答えた。続けて彼女は、自分は保守党の代議士だといった。私は返答できずに黙った。ご存じないでしょうね、と相手は少し笑いを含んだ声でいった。もちろん戸川凛子という名前の代議士は知らなかった。沈黙したのは彼女を知らなかったからではない。咄嗟にいたずら電話だと思ったからだ。そんな私の思いなど気にもとめずに彼女は調査の依頼で訪問する日時を一方的に話し、電話を切った。彼女は、はきはきとした声で、小気味よい喋りかたをした。私は声から判断して三十代後半と見当をつけた。
 その十分後、私は携帯を手に取った。スワン探偵事務所の所長をつかまえる必要があった。
 スワン探偵事務所とは、オーナーがスワンという言葉の響きがいいだけで、探偵の仕事とはなんの関係もない名前を気まぐれにつけた大手の探偵事務所だ。いいかげんな名前とは裏腹に仕事ぶりは堅実なので、業界ではそれなりに名前が知れ渡っている。私はそこから定期的に仕事をまわしてもらっている。その結果、私は口を糊することができている。
「やあ、元気にしているか」
 私が名乗ると、所長の大きな声が耳に飛び込んできた。
「まあまあかな」
 私は決まり文句を口にした。
「それは重畳。ところでどうした」
「信頼のおける政治部の記者を紹介してほしいんだが……」
 所長が沈黙した。聞こえていないのかと思って、もう一度用件を話そうとしたとき、大きな声が聞こえた。
「政治部の記者だって?」
 私はそうだと答えた。
「そうだな……社会部の記者なら知っているのはごまんといるが……そうだ、ひとり知っている。信頼のおける人物だ。ちょっと待ってくれ」
 なにやらごそごそと音がする。名刺でもさがしているのか。
「あった。これだ。読み上げるからメモってくれ」
 メモをして電話を切った。大手新聞社の記者だった。名前は土屋。私は続けて土屋記者の番号を押した。
 出た相手に所長からの紹介だと告げて身分を名乗った。一瞬間が空いたが、土屋記者はすぐに用件を聞いてきた。大きな声を出すでもなく、そのソフトな語り口は好感が持てた。四十代後半かなと私は勝手に想像した。
「お忙しいところ恐縮です。ある人物のことで教えていただきたいことがあります。その人物は、保守党の代議士で、名前は戸川凛子といいます」
「戸川凛子?……ああ、最近保守党に入党した代議士ですね。もちろんお答えできる範囲のことであればなんなりと。それで、お知りになりたいのはどんなことでしょう」
「人物像とか、家族構成とか、いわば人となり、ですね」
「そういう内容ですか……所長さんの紹介ということであればお断りできないですね……わかりました。少し下調べをさせてください。調べてこちらからお電話します」
「わかりました。よろしくお願いします」
 私は、自分の携帯の電話番号を教えて電話を切った。
 二十分後に土屋から電話がかかってきた。
「お待たせしました。いまから読み上げます。メモの用意はよろしいですか」
「はい。よろしくお願いします」
 私は手帳を開いた。
「まず年齢ですが、三十五歳。独身です。前回の選挙で当選した一年生議員です。彼女は県会議員からの転身です。県会議員時代から美人である意味有名でした。彼女の選挙区には、保守党からの公認がいたので無所属で立候補して当選しています。美貌を売りものにして当選した、なんて揶揄されましたけど、本人はどこ吹く風でした。当選後しばらくは保守系の無所属の会派に属していましたが、やがて保守党に鞍替えしました。野島幹事長の強い引きがあったようです。派閥は野島派です。それから、彼女は相当な野心家だともっぱらの評判です。次期総裁に野島幹事長がなれば、ひょっとすると大臣という可能性もあります。閣僚に女性をもっと登用しなければいけないという風潮がいまはありますからね……まあ、そのぐらい野島幹事長に気に入られているということです。それから、彼女は医療保険問題に熱心に取り組んでいますね。あとお聞きになりたいのはなんでしょう」
「評判はどうなんでしょう。党内とか、マスコミとか」
「一年生議員ですけど、党内では目立っていますね。若さと美貌もそうですけど、言動がね。物怖じしないんですよ。ベテランに対してもはっきりと物言うところなんかがね。野島幹事長の後ろ盾があるからだ、とやっかむ声も聞きますけどね。本人はそんなヤジみたいな声なんかまるっきり相手にしていないようですよ。だけど、われわれマスコミ関係にはわりと評判がいいですね。へんに偉ぶるところがないですからね」
「わかりました。ありがとうございました」
「こんなところでよろしいですか」
「ええ、非常に参考になりました」
「佐分利さん、それって仕事の範疇ですか」
「いやいや、個人的な興味です」
 苦しい言い訳だったが一番無難な答えをいった。これで満足してくれないときは別の答えも用意していた。できればこれは使いたくなかった。
「個人的な興味ねえ……まあ、いいでしょう。ではまた」
 意外にあっさりと引き下がってくれた。私はその幸運に感謝しつつ、土屋記者にもう一度礼をいって電話を切った。それがきのうだった。
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