第13話

文字数 2,789文字

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 千葉駅で電車を待つ間、立花有紀から聞いた携帯の電話番号にためしにかけてみた。十回ほど鳴ったあと、男が出た。名前を確認すると、手塚健一本人だった。立花有紀と会ったことを伝え、南雲直人のことで会えないだろうかといった。手塚健一はバイトさきにこられるかと聞いた。私は行けると答えた。三十分ぐらいなら抜けられると思うといった。時間は午後八時に決まった。バイトさきを聞いて電話を切った。
 千葉から船橋経由で柏に着いた。所要時間は一時間だった。約束の時間までまだ一時間半あった。柏駅直結の〈高島屋〉で夕飯を食べ、あとは用もないのに店内をうろついて時間をつぶした。
 時間になったので駅構内を西口から東口に進み、〈ビックカメラ〉の横の階段を下り、通りに出て、駅を背に歩き、しばらくして横道にある居酒屋に入った。
 声をかけてきた若い店員に手塚健一の名前を出した。その店員がそうだった。背が高く、服の上からでも胸板が厚いのがわかった。顔も腕も日焼けしていた。なんとなくサーファーをイメージした。手塚健一は休息時間になるまであと三十分かかるといった。なんでもバイトがひとり急に休んだので時間がずれ込んだらしい。私はかまわないと答え、ビールと枝豆を注文してテーブル席に着いた。
 ちょうどビールを飲み終わったころに手塚健一がテーブル席にやってきた。
「お待たせしました」
 手塚健一はそういった。実際は四十分待たされたことになった。私は勘定を払い、手塚健一と一緒に店を出た。
 駅に少し戻ったところにある古い喫茶店に入った。テーブル席が六席の小さな喫茶店は、テーブルも椅子も壁のメニューも年季が入っていた。私と手塚健一はコーヒーを頼んだ。
「忙しいのに申し訳ないね」
 私がそういうと、手塚健一は、そんなことはないです、と張りのある声で答えた。
「南雲直人君の不在は心配だね」
「真面目な男だけに心配です。なにか手掛かりはないんですか」
「それを君に聞きたいと思ってきたんだがね」
「そうなんですか……僕にもないんですよね」
「ちょっとしたことでもいいんだがね」
 手塚健一が首を傾げた。
「彼がいなくなる六月一日以前になにか気になることはなかったかな」
 手塚健一がまた首を傾げて眼を伏せた。気のせいかも知れないがその動作がちょっと気になった。そのとき店のおばさんが注文したコーヒーを持ってきた。私はブラックでひとくち飲んだ。手塚健一はミルクを入れてひとくち飲んだ。
「でもそのうち現れると思います。南雲の性格からして叔母さんを裏切ることなんかできませんから」
「立花有紀さんも同じことをいっていたよ」
「南雲を知っている者ならそう思いますよ」
「やはり君も立花有紀さんと同じ考えかな。彼がいなくなった理由だが」
「有紀から聞いて僕もそうだと思いました。南雲はちょっとパニックになっているだけなんです。それ以外は考えられません」
「なるほどね」
「クラブの夏合宿が八月にあるんです。副部長の南雲はすごく楽しみにしていたんで欠席なんて考えられないんです。だから必ず現れると思います。僕は信じています」
「彼はクラブ活動は熱心だったの」
「熱心です。部員のなかで一番じゃないのかな」
「すると夏合宿は忘れるはずがないよね」
「ええ、忘れるはずがないです……きっかけなんです。現れるきっかけが必要なんです。それさえあれば現れます。なんとかそのきっかけを作ってあげてください。お願いします」
 手塚健一が頭を下げた。
「最善を尽くすよ」
「本当にお願いします」
 手塚健一がもう一度頭を下げた。
「それで、直人君の立ち寄りさきを立花有紀さんと一緒にさがしたんだって」
「実は、南雲と連絡が取れなくて心配はしていたんだけど、それほど深刻には考えていなかったんです。そんなとき、有紀が南雲の叔母さんと一緒に彼のアパートに行ったあと、有紀から南雲がいなくなったと聞いたんです。それで真剣にさがすようになりました。僕も南雲のアパートに行ってみたりもしましたが無駄足でした」
「彼が潜伏するとしたらどんな場所だろうか。どこか見当はつかないかな」
「それは僕も考えました。でも考えつかないんですよね」
「一番考えられるとしたら、恋人のところじゃないかな。どうだろう、彼には恋人がいたのかな」
「恋人ですか?……さあ、どうなんだろう。たぶんいないんじゃないのかな。南雲から聞いたこともないですし、噂話もないですね」
「立花有紀さんはどうなの? 直人君の恋人じゃないの」
「有紀ですか?……ふたりは付き合っていないと思いますよ。クラブでいつも顔を合わせているけど、そういう雰囲気は感じられませんからね。でも、ここだけの話ですけど、有紀のほうは気があるんじゃないのかな。そんな気がします」
「立花有紀さんにも同じことを聞いたんだけど、たとえば、別荘を持っているような金持ちの知り合いはどうだろう。彼から聞いたことはないかな」
「金持ちですか?……さあ、聞いたことはありませんね」
「では悩みごとはどうだろう。君は直人君の親友と聞いているけど、彼からなにか相談を受けたことはないですか」
「お互いに相談したことはもちろんありますよ。でも今回につながるようなことはないですね。そうそう、南雲がドナーを考えているときに、相談を受けました。僕は賛成しました。そのぐらいです」
「それで、ドナーになるという話を立花有紀さんと一緒に三月のなかごろに聞いたんだね」
「そうです。南雲は晴れ晴れとした顔でした。聞いている僕らもなんだか嬉しかったです」
「では彼がなんらかのトラブルに巻き込まれているとか、逆に起こしているとか、そんなことはどうだろう。なにか聞いていないだろうか」
「トラブルですか?……うーん、どっちにしてもないですね」
 手塚健一が時計をみた。
「すみませんがそろそろ店に戻らないといけないんです」
「貴重な休憩時間をありがとう。では最後の質問です。」
「彼の性格については、まっすぐで、真面目で、バカがつくぐらい正直で融通が利かない、と聞いているが、君はどう思う」
「まさにそうです。でもユーモアもわかる男ですよ。さっき叔母さんを裏切ることなんかできないといいましたけど、本当に信じられないんですよ。南雲の性格からして。正直にいうと、事件に巻き込まれているんじゃないだろうかと心配なんです。考えないようにしていますけど……」
「ありがとう。参考になったよ」
 私は冷たくなったコーヒーの残りを飲み干し、立ち上がった。手塚健一も立ち上がった。
「なにかわかったらここに連絡をください」
 私の名刺を渡した。手塚健一はうなずくと、渡された名刺にざっと眼を通したあと、シャツの胸ポケットにしまった。
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