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文字数 2,581文字

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 瀬戸が転校してきて3か月ほどたったころ、確か夏休みの直前だった。その日の最後の授業は水泳で、着替えてから教室に戻ると、何やら窓際で瀬戸が揉めていた。相手はクラスの中でもリーダー格の男子で、自分の席にどしりと座り、その周囲で取り巻きが3人、意地悪な笑みを浮かべていた。

「どこにやった」

「知らない」

 そのような問答が繰り返されていたように思う。

 収拾がつかないうちに担任の先生が教室に入ってきて、瀬戸はしぶしぶという感じで自分の席に戻った。瀬戸としては、話し合いを中断したつもりだったのだろう。しかし、帰りの会が終わると、件の男子たちは一目散に教室を飛び出してしまった。

 ほかのクラスメイトたちも瀬戸を気に掛けるそぶりは見せつつも、そろそろと下校の途に就いていき、やがて教室には瀬戸と、最後列に座る僕だけになった。瀬戸は自分の席でランドセルをひっくり返して必死に何かを探していた。

 ランドセルに続き、引き出しの中も探し終えた瀬戸は、おもむろに立ち上がって振り返った。「あ」と口を開けた彼はそのときになってようやく、僕の存在に気付いたようだった。そして思い出したように「今日は先に帰ってて」と言った。

「失くしもの?」

「そんな感じ」

 瀬戸は僕の横を通り過ぎて、教室の後ろに設置されたロッカーを調べ始めた。

「なにを探してるの?」

「ハンカチ。

あいつらがどこかに隠したんだ」

 瀬戸は背を向けたまま答えた。

 情けない話だが、僕はその時まで瀬戸がそんな酷い目にあっていることを知らなかった。本当に、ただ一緒に登下校するだけの間柄だったのだ。

「先生には相談した?」

「してない。あいつらいつも、俺の間違いで済むような場所に隠すんだ。消しゴムがロッカーにあったり、箸箱が体操服入れに入ってたり。だから、言っても無駄さ」

 瀬戸と言い合っていた男子は、行事などでも常に先頭に立ってみんなを引っ張っていくようなタイプだったから、担任の先生からもよく好かれていた。一方、瀬戸はと言うと、一学期の終盤になってもクラスに溶け込めない、どちらかと言うと問題児。僕も似たような立ち位置で、相談する気になれないのもなんとなく理解できた。

「逆に、すぐ見つかることは見つかるんだけど」

 しかしこの日はロッカーの中にも見当たらず、給食袋やプールバッグにもなかった。教室を出て、玄関の下駄箱やトイレ、プールの更衣室まで調べたが、やはり見つからない。校庭では、真夏の西日のもと、スポーツ少年団の野球チームが練習を始めていた。

「あいつらどこに隠したんだ……」

 口調こそ冷静だったが、瀬戸の表情には不安と焦りがあった。

 最後にハンカチを使ったのは、水泳の授業前の休み時間だったという。いつも通り、机にかけたランドセルの外側のポケットに戻して、更衣室に向かったそうだ。

「あれは持ってくるんじゃなかった」

 瀬戸はそう言って唇を噛んだ。彼がここまで感情をあらわにするのは初めてだった。

 以前、本がなくなったときは学級文庫の本棚に並んでいたらしい。「隅々まで調べてみる」と、階段を上る瀬戸に、自分は外を探してみると告げた。すでに踊り場までもう半分という高さにいた瀬戸は、振り返って首を振った。

「隠せるのは水泳の前と後だけだから、やっぱり教室だと思う」

「水泳のあとも隠し持ってて、そのまま教室を出た可能性もあるよ」

 瀬戸は意表をつかれたような表情を浮かべ、「じゃあ、頼む」と言って階段を駆け上がった。

 僕は宣言通りに外を探した。しかし、校庭の遊具の周辺、中庭の花壇やウサギ小屋の周り、体育館裏や教職員玄関、駐車場まで足を運んだものの、やっぱり見つからない。ほかに探していない場所といえば、野球チームが使っている校庭くらいなものだが、さすがに先生や野球のコーチの目につく可能性があるところで隠したりはしないだろう。

 もう一度中庭を探していると、玄関の方から瀬戸がやってきて、その手には青いハンカチが握られていた。彼は報告よりも先に、困ったような表情で僕を気にかけた。

「汗だくじゃんか」

 当時の僕はまだ、自分の周りだけ冷やすなんていう器用な芸当はできず、いたずらに力を使ってはいけないという言いつけも守っていた。しかし躍起になって探していたため、言われるまで暑さのことは忘れていたし、滝のように流れる汗にも気が付かなかった。

 彼があまりにも申し訳なさそうだったから、僕は大げさに笑って見せた。

 ハンカチは教室の掃除道具入れの中にあったらしい。外にあるかもなんていう僕の憶測は、てんで見当外れだったのだ。

 その帰り道、僕らはまるで初めて会ったかのように互いのことを話した。読書やゲームなど、思いのほか趣味が合うことが分かり、それまでが嘘のように会話が止まらなかった。いつも無愛想な瀬戸が表情を緩めると、なんだか胸が高鳴った。

 国道沿いに新しく出来たコンビニの前まで来たところで、瀬戸が言った。

「今日の礼に、アイスでも奢るよ」

 僕はすぐに返事をすることができなかった。帰り道に食べ物を買うことは学校で禁止されている。一部のクラスメイトたちがその決まりを破っているのは知っていたが、仲間に混ざったことは一度もない。それどころか、友人たちが羽目を外そうとするたびに水を差しては、場を白けらせてしまっていた。その都度、後悔の念が襲ってくるのだけれど、どうしても見過ごすことができないのだ。今回ばかりは一瞬ためらってしまったが、ここで自分を特別扱いすれば、友人たちや過去の自分に示しがつかない。

「……ごめん、買い食いはダメって言われてるから」

 できるだけ顔を見ないように、恐る恐るそう伝えた。融通の利かない僕に嫌気がさして、離れていった友人たちの顔が浮かんでくる。きっと瀬戸にも嫌な思いをさせてしまっただろう。せっかく、仲良くなれそうだったのに。

 どんどん伏し目がちになってしまう僕だったが、返ってきたのは何ともあっけらかんとした声だった。

「ああ、そっか、そうだよな」

 はっと顔を上げる。瀬戸は柔らかな笑みを浮かべていた。

「じゃあ今度の土曜日にでも行こう。それなら良いだろ?」

 知らない間に強く握っていた手から力が抜ける。悲しいはずがないのに目の奥が熱くなってきて、柄にもなく「うん」と大きな声で答えた。 

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