2-2
文字数 2,529文字
見せたいものがある、とセミナーハウスの裏へ呼び出されたのは今日の昼休みのことだ。セミナーハウスは校舎から少し離れたところにある小さな建物で、茶道部や書道部が活動を行う和室や、研修や課外活動で利用する会議室などが入っている。
言われた通りに行くと、建物の影で穂村さんが何やら大きな茶封筒を持って待っていた。中身を尋ねると、「なんだと思う?」と聞き返された。A4くらいの大きさの封筒は底が折り曲げられ、マチができている。
「ヒントはね、映画館」
穂村さんはそう言って、封筒を少し揺すった。からからと、粒状のものが転がる軽い音がした。
「もしかして、ポップコーン?」
「うーん、半分正解」
半分? と首をかしげる僕に、穂村さんは封筒の蓋を開いて見せてくれた。中を覗き込むと、薄黄色の小さな豆が底に山をつくっていた。
「正解は、ポップコーンの豆でしたー」
聞けば、この間の映画館で豆を弾けさせてしまったことを思い出し、自分の力で作ってみたくなったのだという。
「わたしの力も、たまには役に立つんだってところを見せてあげるよ」
穂村さんはそう言って、コンクリートでできた側溝の蓋の上に封筒を置いた。
「封筒、燃えたりしない?」
「たぶん大丈夫。紙は意外と燃えにくくて、300度くらいはないと燃えないはずだから」
「そうなんだ。流石、よく知ってるね」
穂村さんは「でしょ」と胸を張ったあと、「でも、危なそうだったら、お願いね」と言った。
「確か、ポップコーンが弾けるのは180度くらいらしいから……」
そう呟きながら、一点を見つめる。
「こんなもんかな」
その一声で、封筒の中の温度はせきをきったように上がりはじめ、そして変化が緩やかになったと思ったら、あるところでぴたりと止まった。僕が漏らした感嘆の声は、「パン、パン」という軽快な破裂音によってかき消された。封筒は暴れながらどんどん膨らんでいく。鳴り続ける音は想像以上に大きく、誰かがやってくるのではないかと心配になった。一方、穂村さんは期待に満ちた目を輝かせていた。
やがて音が止み、穂村さんは「よしっ!」と声を上げると、いっぱいに膨らんだ封筒をつまみ上げ、蓋を開いた。勢いよく湯気が上る。
「見て! ちゃんとできてる!」
香ばしい香りに包まれた封筒の中は、熱々のポップコーンであふれていた。僕が感想を言うより先に、穂村さんが短く声を上げた。
「味付けするもの、何もないや」
彼女のうっかりはそれだけでなく、豆の分量も適当だったようで、映画館で売っている一番大きなサイズくらいはゆうにあった。
味のしない大量のポップコーンを、セミナーハウスの壁にふたり寄りかかって食べた。物足りなさは否めなかったが、出来立てとあってふわふわした食感が格別で、みるみるうちに減っていった。
「この前も緊張してて、味なんて全然覚えてないや」
穂村さんは片手に盛ったポップコーンの山から、もう一方の手で一粒ずつ口へ運ぶ。
「けど本当、あの日は楽しかったなぁ」
目を細める穂村さんの髪を、秋のさわやかな風が揺らした。校舎のほうからは、特定の生徒を呼び出す校内放送が聞こえてくる。
「世の中のカップルたちは、あんな楽しいこと毎週のようにしてるんだよね。いいなあ」
「穂村さんなら、すぐにそうなれるよ」
「そうかなあ、そんなことないよ」
謙遜しつつも、穂村さんは嬉しそうに頬を緩めた。
「樋上くんは、好きな子できた?」
「2週間そこらじゃ、何も変わらないって」
「えー、そうとも限らないでしょ」
曰く、恋というのは突然やってくるものらしい。落としものを拾って声をかけ、振り向きざまに目が合ったタイミングだとか、図書室でたまたま同じ本を取ろうとして手と手が触れた瞬間、はたまた階段で足を踏み外しそうになったところを後ろから咄嗟に支えたそのとき、閃光のように姿を現すのだという。
「あとは、なくしものをして困っているところに、颯爽と手を差し伸べてくれる、なんてのも素敵だよね」
どうやら彼女は恋愛もののドラマや漫画の影響を強く受けているようだ。
「もしもそのときがきたら、教えてよね。わたしが全力でサポートするから」
穂村さんはそう言って、子供のように無邪気な笑顔を浮かべた。
学校での穂村さんは、いつも楽しそうだった。友達に囲まれたその笑顔からは、事故をも招きかねない危険な力に対する不安や恐怖などは微塵も感じられない。それは生まれ持った性格もあるのかもしれないが、努力によるところが少なくないように思う。
実際、ポップコーンを作ったときの力のコントロールは驚くほど速くて正確だった。物の温度を思い通りの度合いまで、瞬時に変化させることは結構難しい。ゴール上で止まらなければならない自動車レースのようなものだ。ブレーキをかけるのが早すぎれば届かず、遅すぎれば通り過ぎてしまう。アクセルを目一杯踏んだ状態であれば、タイミングはよりシビアになる。そのうえ、温度の上がりやすさというものは、対象や環境によっても変わる。しかしそれを彼女はいとも簡単にやってみせた。
そして何より、彼女は諦めなかったのだ。危険な能力を抱えた上で人と関わることを。対人能力の欠如を、少なからず特殊な力のせいにしていた僕は背筋を正される思いだった。
心臓と肺が悲鳴を上げ始めたころ、ようやく目印の自動販売機が見えてきた。運動後に急に立ち止まるのは良くないと聞くものの、そうも言ってられず、膝に手をついて首 を垂れる。汗ばんだ肌に冷たい夜風が心地よかった。
次第に呼吸も落ち着いてきて、何の気なしに自動販売機のラインナップを見ると、先日まではなかった温かい飲み物が売ってあった。ふと思い立って、その中からレモネードを選んで買った。ペットボトルに入ったホットレモネードの温度は、だいたい55度くらいだろうか。念のため二口ほど飲んだあと、地面に立てて置き、思い切り力をぶつけた。温度はたちまち下がっていき、ここだというところで止める。思い描いていたのは飲みごろのアイスレモネードだったけれど、手に取ったペットボトルの中身は半シャーベット状になっていた。ひとつため息をついたあと、まあこんなものかと、口に流し込んだ。
言われた通りに行くと、建物の影で穂村さんが何やら大きな茶封筒を持って待っていた。中身を尋ねると、「なんだと思う?」と聞き返された。A4くらいの大きさの封筒は底が折り曲げられ、マチができている。
「ヒントはね、映画館」
穂村さんはそう言って、封筒を少し揺すった。からからと、粒状のものが転がる軽い音がした。
「もしかして、ポップコーン?」
「うーん、半分正解」
半分? と首をかしげる僕に、穂村さんは封筒の蓋を開いて見せてくれた。中を覗き込むと、薄黄色の小さな豆が底に山をつくっていた。
「正解は、ポップコーンの豆でしたー」
聞けば、この間の映画館で豆を弾けさせてしまったことを思い出し、自分の力で作ってみたくなったのだという。
「わたしの力も、たまには役に立つんだってところを見せてあげるよ」
穂村さんはそう言って、コンクリートでできた側溝の蓋の上に封筒を置いた。
「封筒、燃えたりしない?」
「たぶん大丈夫。紙は意外と燃えにくくて、300度くらいはないと燃えないはずだから」
「そうなんだ。流石、よく知ってるね」
穂村さんは「でしょ」と胸を張ったあと、「でも、危なそうだったら、お願いね」と言った。
「確か、ポップコーンが弾けるのは180度くらいらしいから……」
そう呟きながら、一点を見つめる。
「こんなもんかな」
その一声で、封筒の中の温度はせきをきったように上がりはじめ、そして変化が緩やかになったと思ったら、あるところでぴたりと止まった。僕が漏らした感嘆の声は、「パン、パン」という軽快な破裂音によってかき消された。封筒は暴れながらどんどん膨らんでいく。鳴り続ける音は想像以上に大きく、誰かがやってくるのではないかと心配になった。一方、穂村さんは期待に満ちた目を輝かせていた。
やがて音が止み、穂村さんは「よしっ!」と声を上げると、いっぱいに膨らんだ封筒をつまみ上げ、蓋を開いた。勢いよく湯気が上る。
「見て! ちゃんとできてる!」
香ばしい香りに包まれた封筒の中は、熱々のポップコーンであふれていた。僕が感想を言うより先に、穂村さんが短く声を上げた。
「味付けするもの、何もないや」
彼女のうっかりはそれだけでなく、豆の分量も適当だったようで、映画館で売っている一番大きなサイズくらいはゆうにあった。
味のしない大量のポップコーンを、セミナーハウスの壁にふたり寄りかかって食べた。物足りなさは否めなかったが、出来立てとあってふわふわした食感が格別で、みるみるうちに減っていった。
「この前も緊張してて、味なんて全然覚えてないや」
穂村さんは片手に盛ったポップコーンの山から、もう一方の手で一粒ずつ口へ運ぶ。
「けど本当、あの日は楽しかったなぁ」
目を細める穂村さんの髪を、秋のさわやかな風が揺らした。校舎のほうからは、特定の生徒を呼び出す校内放送が聞こえてくる。
「世の中のカップルたちは、あんな楽しいこと毎週のようにしてるんだよね。いいなあ」
「穂村さんなら、すぐにそうなれるよ」
「そうかなあ、そんなことないよ」
謙遜しつつも、穂村さんは嬉しそうに頬を緩めた。
「樋上くんは、好きな子できた?」
「2週間そこらじゃ、何も変わらないって」
「えー、そうとも限らないでしょ」
曰く、恋というのは突然やってくるものらしい。落としものを拾って声をかけ、振り向きざまに目が合ったタイミングだとか、図書室でたまたま同じ本を取ろうとして手と手が触れた瞬間、はたまた階段で足を踏み外しそうになったところを後ろから咄嗟に支えたそのとき、閃光のように姿を現すのだという。
「あとは、なくしものをして困っているところに、颯爽と手を差し伸べてくれる、なんてのも素敵だよね」
どうやら彼女は恋愛もののドラマや漫画の影響を強く受けているようだ。
「もしもそのときがきたら、教えてよね。わたしが全力でサポートするから」
穂村さんはそう言って、子供のように無邪気な笑顔を浮かべた。
学校での穂村さんは、いつも楽しそうだった。友達に囲まれたその笑顔からは、事故をも招きかねない危険な力に対する不安や恐怖などは微塵も感じられない。それは生まれ持った性格もあるのかもしれないが、努力によるところが少なくないように思う。
実際、ポップコーンを作ったときの力のコントロールは驚くほど速くて正確だった。物の温度を思い通りの度合いまで、瞬時に変化させることは結構難しい。ゴール上で止まらなければならない自動車レースのようなものだ。ブレーキをかけるのが早すぎれば届かず、遅すぎれば通り過ぎてしまう。アクセルを目一杯踏んだ状態であれば、タイミングはよりシビアになる。そのうえ、温度の上がりやすさというものは、対象や環境によっても変わる。しかしそれを彼女はいとも簡単にやってみせた。
そして何より、彼女は諦めなかったのだ。危険な能力を抱えた上で人と関わることを。対人能力の欠如を、少なからず特殊な力のせいにしていた僕は背筋を正される思いだった。
心臓と肺が悲鳴を上げ始めたころ、ようやく目印の自動販売機が見えてきた。運動後に急に立ち止まるのは良くないと聞くものの、そうも言ってられず、膝に手をついて
次第に呼吸も落ち着いてきて、何の気なしに自動販売機のラインナップを見ると、先日まではなかった温かい飲み物が売ってあった。ふと思い立って、その中からレモネードを選んで買った。ペットボトルに入ったホットレモネードの温度は、だいたい55度くらいだろうか。念のため二口ほど飲んだあと、地面に立てて置き、思い切り力をぶつけた。温度はたちまち下がっていき、ここだというところで止める。思い描いていたのは飲みごろのアイスレモネードだったけれど、手に取ったペットボトルの中身は半シャーベット状になっていた。ひとつため息をついたあと、まあこんなものかと、口に流し込んだ。