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文字数 1,342文字

 部屋で数学の問題を解いていると、携帯が鳴った。見ると、穂村さんから動画が届いていた。数十秒ほどのその動画の中では、リビングと思われる広い部屋で、シュネーが穂村さんの声に応じて、お座りとお手、そして見事な伏せを披露していた。

 動画に続いて、メッセージが1行。

『ついに、伏せをマスターしました!』

 特別な能力を使わなくとも、周囲の温度を上げてしまいそうな笑顔が頭に浮かぶ。

 返信を送って携帯を机に置いたあと、意識が数式に向いていないことに気づいて、胸がざわついた。

 机の上の携帯をじっと見る。

 力を隠さずに接したり、苦労を共有できる友人というのは初めてだった。けれど、ここまで心が弾む理由は、きっとそれだけではない。

 視線を上げる。窓に映るその姿は、何度見ても、どれだけ角度を変えても、やはりぱっとしない。休み時間にトイレの鏡の前で男子たちが一生懸命やっているように、手櫛を入れてみたりもしたが、同じだった。

 クラスメイトたちの冷ややかな視線が脳裏をよぎる。

 学校で話す機会が増えても、穂村さんとの仲を疑われることは無かった。というのも、先日のデートを目撃した同級生がいたようで、ふたりが付き合っているともっぱら噂だったからだ。クラスの男子たちは嘆き悲しんだが、1週間も経たないうちに、今度はとある女子の先輩が破局しそうだという話題で盛り上がっていた。

 それでもやはり、穂村さんと関わりを持てるというのは特権のようで、しばしば休み時間に男子たちがやってきては、彼女とどういう関係なのか、どうやって親しくなったのか、そして彼女の趣味嗜好や兄弟姉妹の有無まで聞かれた。しかし答えられることは多くなく、彼らが最も知りたいであろう、近づけたきっかけも正直に伝えるわけにはいかないので、「2組に友人がいて、彼と映画の話をしている際にたまたま」としか言えなかった。それを真に受けた何人かは、実際に2組の教室まで出向いて、穂村さんの席の近くで会話をしてみたそうだが、当の本人はそんなことを知る由もなく、見向きもされなかったという。それを聞いて、申し訳ない気持ちになった。

 初めこそ、彼らはむしろ以前よりも友好的な態度で接してくれていたのだけれど、能力に関する話題を口にしてしまうことを恐れてなのか、穂村さんは彼らが会話に加わってくるといつもそそくさと立ち去ってしまい、それが続くと、話しかけられるのではなく睨まれるようになった。それまで空気のような存在だった僕は、煙や排気ガスのような存在へと変わったようで、暴力を振るわれたり、物を隠されたりといった、直接的な嫌がらせはなかったが、敵意を持った視線を向けられるのは平気じゃなかった。そんなときは、かつてもっとひどい状況にあった瀬戸が口にしていた言葉を思い返した。「奴らに好かれるほうが迷惑だ」と。

 とはいえ、彼らの気持ちももっともだと思う。佐伯先輩とは違い、僕からしたら穂村さんは雲の上の存在だ。たまたま同じような力を持っていて、それが彼女にとって有益だったから、こうして交流ができている。本来であれば、会話どころか視線を交わすことさえ叶わないような相手なのだ。そのことを、忘れてはいけない。

 携帯をマナーモードにしたあと、画面を裏返して机に置いた。
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