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文字数 2,731文字

 隣で、床が擦れる音がした。瀬戸が姿勢を崩し、後ろ手で体を支えるような形になっていた。

「仲良くなって好きになるのって、普通なんじゃねえの。むしろ一目惚れなんかより、よっぽど正しい順序に思うが」

 こちらに顔を向けて、真剣な表情と口調で続ける。

「それに、相手にされてるだろ。仲良さげに話してたじゃないか」

 僕はため息を飲み込むことができなかった。

「瀬戸には分からないよ」

「どういう意味だよ」

 答える代わりにかぶりを振った。瀬戸もそれ以上は詮索してこなかった。

「それだけじゃない、周りの目も辛いんだ。前に瀬戸も言ってたろ。穂村さんは高根の花で、クラスの男子もなかなか話かけられないって。普通の人でさえそうなのに、僕みたいなのが話してたら、やっぱり変だなってなる。つり合わないよ」

「なんだよそれ。穂村がどう思うかより、周りにどう思われるかを優先すんの?」

 簡単に言ってくれるよな、と思ってしまう。きっと彼は知らないだろう。いつも憧れや羨望の眼差しを受けている隣を、僕がどんな気持ちで歩いているか。「なんでお前なんかが瀬戸と?」そんな視線や言葉をあびるたび、どれほど胸が痛くなるか。

「自分でも、ずるいとは思うから。なんの取り柄もないのに、ただ似たような体質してるってだけで仲良くなれるのは」

 穂村さんにとって意味があるのは僕が持つ能力であって、僕じゃない。彼女と関わることができたのは、ひとえに、同じような力を持っていたからだ。そうでなければきっと、挨拶を交わすことさえ叶わなかっただろう。あるいは別の人、例えば瀬戸や佐伯先輩が力を持っていたならば、彼女は間違いなく、そちらを頼るはずだ。

「たまたま生まれ持ったものって意味では、見た目なんかも同じだろ。実際、あいつが恵まれた容姿してるってのは俺もそう思うし、ろくに話したこともないのに『穂村、穂村』って騒いでるやつらにとっては、それが重要なんだろ。同じように穂村からしたら、お前の体質が重要だったってだけだ。あくまで、とっかかりとしてはな。運がよかったことをいちいち後ろめたく思うなんて、馬鹿馬鹿しいって。だいたい、似たような体質してるからってだけで親しくなれるかよ」

 瀬戸はそう言ってくれるが、僕らの体質は似ているだけじゃなく、互いに助けある関係にある。そのことが、僕らの関係を形成するのにどれほどの役割を果たしたか、考えるまでもない。しかし、それを知られるわけにはいかない。

「それは確かに……瀬戸の言うことが正しいよ」

「だよな」

 瀬戸は気を使うそぶりもなく言い切ると、体を起こした。

「それで、最初に戻ると、一緒にいるのが苦しいんだっけ、あいつは佐伯のことが好きだから」

「そうだよ……」

「そもそも、

は」

 口にしてしまってから、瀬戸はきまりが悪そうな顔をした。

「いいよ、慣れた呼び方で」

 そう言って笑ったが、結局言い直された。

は本当に佐伯のことが好きなのか? 有名なやつに声をかけられて、浮かれてるだけじゃないのか」

「好きじゃなきゃ、『なかなか遊びに行けない』なんて愚痴こぼさないでしょ」

「……まあ、本人がいないところであれこれ言ったって仕方ないか。仮に、本当に好きだとして、まだ付き合ってる訳じゃないんだろ? だったら、苦しいなんて言ってないで、さっさと謝って遊びにでも誘ったらいいじゃないか。ちょうど、佐伯とは予定が合わないみたいだし」

「無茶言うなよ……佐伯先輩に勝てるわけない」

「そんな大した奴じゃないって。佐伯からしても、手ごたえがないだとか、何か思い切れないところがあるから、まだ付き合えてないんじゃねえの」

「単に瀬戸がよく思ってないだけだろ……だいたい、僕なんかが好意を寄せてるなんて知られたら、気持ち悪がられるよ」

「そりゃ最初から『自分は全くそういう目で見てないから安心してください』って言って近づいてきたやつが、突然アプローチかけてきたら気持ち悪いかもしれないけど、そうじゃないんだろ。あいつだってモテる自覚はあるだろうから、好意を持たれて嫌なやつに積極的に絡んでいったりしないって」

 反論できなかったが、納得もできなかった。理屈はわかる。けれど、すべてが理屈通りにいくのならば、この世界はもっと楽なはずだ。

 痺れを切らしたのか、瀬戸はため息をついた。

「普段の樋上らしくないからこそ、少しきついこと言うけど、今のお前は自分の気持ちばかりを優先しすぎていると思うぞ。穂村からしたら、せっかく親しくなれた友人に、訳も分からず距離を置かれたっていう状況だ。遊びに誘って気持ち悪がられる心配をするなら、一方的に突き放された穂村の心境を心配すべきじゃないか」

「それは……」

 氷水でもかけられたような気持ちになり、急に空気が薄くなったような息苦しさを覚えた。今度ばかりは本当に言い返す余地がない。

 逃げ場を失ったねずみのような僕を不憫に思ったのか、瀬戸は自嘲的な笑みを浮かべた。

「まあ、俺が言うなって感じだよな。自分は他人の振りを強いておいて」

「……いや、大丈夫、ありがとう。全然間違ってない」

 何とか言葉を紡ぐと、瀬戸はようやく表情と口調をやわらげた。

「あいつは、体質もそうかもしれないけど、本来のお前の親切な人柄を見込んでたんだと思うぞ。だから遊びに誘うとかでは無理でも、最低限、今の状況は変えるべきだ。苦しいのが嫌だって言って避けるようになって、楽になったのか?」

「それは……」

「最近、穂村が元気ないって言ったけど、お前も同じだからな。このままだと、絶対に後悔する。今すぐにじゃなくていい。けど、できるだけ早く関係を修復しろ。きっかけが難しかったら、俺が間に入るから」

 こんなに必死な瀬戸の声を聞くのは初めてだった。それが僕を動かすために発せられたものという事実が、嬉しかった。

「瀬戸はさ……」

 どうして自分と関わり続けてくれるの? そう尋ねかけてやめた。これ以上、気を使わせてしまうわけにはいかない。

「好きになったりしないの? 穂村さんのこと」

 瀬戸はポカンとしたあと、珍しく大きな手振りで否定した。

「ないよ、ないない。今更そんなふうに見れないって」

 物心つく前からの知り合いで、妹みたいなものなのだと言う。僕には理解できない心境だ。

「そっか、良いな……」

 そうつぶやくと、瀬戸は苦笑いした。

「もう少し落ち着いたら、頑張ってみる。だからこのことは、穂村さんには言わないでよ。変に探ったりとかも」

「分かってるよ。お前も、幼馴染だってばらしたこと黙っててくれよ。あいつ、いつか意気揚々と打ち明けると思うけど、初めて聞いたってテンションで頼む」

 僕が同意すると、瀬戸は「じゃあ、ゲームを続けるぞ」と言った。
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