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文字数 1,655文字

 12月になった。空気は凍てついて、力を隠すのには都合のいい季節だ。

 幼稚園に通っていたころ、家の近くの公園にあった木々の枯れ葉を凍らせて落とすのが好きだった。枝に数枚だけ残った葉を凍らせると、糸が切れたように落下する。地面に落ちた葉は、乾いた音を立てて粉々になる。幼い僕には、その音がとても愉快なものに聞こえた。物事の分別がつくようになると、随分ひどいことをしていたと反省したが、更に年月が経つと一概にそうとも言えないことが分かった。光合成に十分な日光が得られない冬は、ただ水分を蒸発させるだけの葉は邪魔になるそうだ。役割を終えた葉は、できるだけ早く落ちたほうがいい。それを知って、胸が軽くなった。

 学校では学期末の三者面談が始まった。この数日間、授業は午前中だけで終わり、午後からは保護者も同席して順番に担任と面談が行われることになっている。部活動は禁止されていないため、部に所属している生徒はそのまま残って活動に入るが、それ以外の生徒で面談がある場合、校内で時間を潰すか、一度帰宅したあと戻ってくる必要があった。

 その日、僕は学校に残ることを選んだ。13時までは食堂が開いていたため、そこで昼食をとり、その後は図書館で過ごそうと考えた。しかし席は全て埋まっており、ならば自習室でと思ったが、こちらも満員だった。

 面談まではまだ2時間以上あり、行く当てもなくさまよっていると、中庭のテラスが目に入った。温暖な季節であれば休み時間に賑わう場所だが、昼間でも気温が10度に満たないこの時期に、わざわざ好んで足を運ぶ物好きはいないようだった。

 靴を履き替えたあとでコートを着ていないことに気付いたが、4階まで取りに行くのは面倒で諦めた。力が関係しているのか、昔から寒さにはめっぽう強かった。

 中庭には2日前に降った雪混じりの雨がいくつか水たまりを残していた。テラスのベンチも少し湿っていたが、気にせず腰を下ろし、鞄から文庫本を取り出した。しかし、数ページ読んだところで閉じる。文章が頭に入ってこず、場面を思い描くことができない。ここのところ、ずっとそうだ。何事に対しても集中できない。

 意味もなく携帯を見た。待ち受けに表示された日付は、瀬戸に打ち明けた日から2週間が過ぎている。彼には威勢のいいことを言ったものの、結局なにも行動に移せていない。そうしている間に先日、久しぶりに穂村さんからメッセージが届いた。3回目のデートの日程が決まったことを伝えるものだった。時間をかけた末、結局『頑張ってね』とだけ送った。

 ため息が、白く残って消えた。

 穂村さんと知り合う前の暮らしに戻りたかった。平穏で波風立たない、凪のような暮らしに。あのころ心を乱すものといえば、授業中に分からない問題を当てられないかだとか、体育のチーム競技で仲間に迷惑をかけないようにしなければだとか、そんな些細なことだけだった。

 再び携帯に目を向ける。メッセージをさかのぼると、通話の可否を尋ねる文面が現れた。あの夜、僕が無視したものだ。要件は佐伯先輩のことについての相談だった。

 嫌だったのだ。佐伯先輩への想いを、彼女の口から聞くことが。

 瀬戸の言葉が頭の中でこだまする。

『自分の気持ちを優先しすぎている』

 デートが楽しかったと嬉しそうに語り、恋人という関係への憧れを口にする穂村さんの姿が浮かんだ。    

 せっかく、自分なんかを頼ってくれたのに。

 体が頭を抱える。

 百かゼロかじゃないと気が済まなくて、百に手が届くはずがないからゼロに逃げた。なんて気持ちの悪い考えだろう。容姿とか能力以前の問題だ。

 脈絡のない言葉を口にすることで頭を空っぽにしようとしたそのとき、冷たい手で心臓に触れられるような感覚をおぼえた。

 まずいと思ったがもう手遅れだった。高周波の耳鳴りがすぐそばまで来ていて、キンと跳ねると、たちまち水たまりに氷が張り、木に霜が降りた。木枯らしを耐え抜いた数枚の枯葉が地面に叩きつけられ、校舎が軋む。

 僕は考えるより先に飛び出した。

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