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文字数 1,895文字
「キスされそうになっちゃって」
その光景が咄嗟に頭をよぎり、少しだけ胸が詰まった。
「けど、力が抑えられなくなったのは、最初みたいにドキドキしたからじゃないんだ」
穂村さんは淡々と言葉を並べていった。
以前交際していたという佐伯先輩と白石先輩が、かつてのような関係に戻りつつあるという噂は、彼女も耳にしていたそうだ。佐伯先輩が急に忙しくなったのも、ちょうどその噂が流れ始めたころだったという。
この日、どこかぎこちなく見えたのは、10日ほど前に電話で話している際、佐伯先輩の煮え切らない態度につい白石先輩の名前を出してしまい、怒らせてしまったのが原因らしい。恋人でもない自分が出過ぎた真似をした、と穂村さんは言うが、怒ることでその場をやり過ごそうとした佐伯先輩は、瀬戸が言った通りの人なのだろう。
「次の日にすぐ謝ってくれたから、一応仲直りはできたんだ。今日の日程もおさえてくれて」
久しぶりに会って話してるうちに気まずさも薄れ、楽しくなってきたころだったという、佐伯先輩の提案でこの場所に移動することになった。告白されるのだろうかと一度は身構えたが、近くのキッチンカーの列に並ぶ白石先輩の姿が目に入り、真意を察したそうだ。
「佐伯さんとしては、曖昧な関係をできるだけ長く保っていたかったんだと思う」
だからこそ、白石先輩と鉢合わせ、その場で決断を迫られかねない状況は、何としてでも避けたかったのだろう、と穂村さんは続けた。
「それでも、一応期待はするじゃない? わたしに振られたあとのことを考えて、見られないようにしたのかな、なんて」
穂村さんは声だけで笑ったあと、ため息をついた。
「でも、そんな素振りは全然なくて。だんだん話す気分にもならなくなって、なのに何を勘違いしたのか、急に顔を近づけてくるんだもん。関係をはっきりさせたいって言っても、止めてくれなくて、それで……」
つい、声を荒げてしまった。そして一緒に込み上げてきた熱を抑えられなかった。佐伯先輩は予想外の反応と、焼けるような熱気に驚いて逃げ出してしまったらしい。火の手が上がったのはその直後で、ぎりぎり見られずに済んだのは不幸中の幸いだったと穂村さんは笑った。
「だから、もういいの。佐伯先輩とはもう、これでおしまいにする。あの状況で答えが出せないってことは、きっと白石先輩の方が好きなんだよ」
穂村さんは投げやりな口調で言ったあと、また力なく顔を伏せた。
こんなとき、なんて言えばいいのだろう。傷つくことを避けて生きてきたから、傷ついた人にかけるべき言葉が分からない。時間が癒してくれるだとか、他にも良い人はいるだとか、そんな言葉はまるで意味がないように思えた。だって彼女は今辛くて、佐伯先輩のことが好きなのだから。佐伯先輩が羨ましい。好意を伝えるだけで、穂村さんが喜んで、元気になってくれる。そんなの、反則じゃないか。
「僕は佐伯先輩とは何もかもが違うから、もともと想像することは難しいんだろうけど」
視界の端で、穂村さんがゆっくりと顔を上げるのが見えた。
「これほど、他人の考えが理解できないと思ったことはないよ」
焼け残った雑草を抜いて凍らせ、湖に向かって放り投げる。水しぶきの音が響いた。一本、また一本と抜き取っては、行き場のない気持ちをぶつける。
手ごろな長さの雑草がなくなってしまったころ、穂村さんが「うーん」と大きく背伸びをした。
「あーあ、青春を通り越して、昼ドラみたいな経験しちゃった。でも、なんだかスッキリした。ありがとう、話を聞いてくれて。今はもう、白石先輩とどうぞお幸せにって感じ」
顔を向けた僕に、穂村さんは微笑んで見せた。
「そんな顔しないでよ! 強がってるわけじゃないから。ほんとう言うとね、わたしも自分の気持ちがよくわからなくて。うまく言えないんだけど、最初に映画を観に行った日が、一番好きだったんだよね。佐伯さんのこと。それってちょっと違うかなって」
その声と顔つきは凛としていた。
「でもなんか、白石先輩に負けたくなかったの。だからもしも告白されてたら、やっぱりうれしい気持ちにはなってたんだと思う。けどそれって結局、優越感だよね。わたしが憧れてたのは、そんなのじゃないから」
そう言ったあと、僕に向かって謝った。
「ごめんね、わたしよりも真剣に考えてくれてたのに」
もっと早く教えてくれたら、そういう思いが湧いてこないわけではない。けれど、彼女を拒絶して一方的に関わりを断とうとしたのは僕に、責める権利なんてない。「気にしないよ」と伝えると、少し間があってから、穂村さんは小さな声で「ありがとう」と言った。
その光景が咄嗟に頭をよぎり、少しだけ胸が詰まった。
「けど、力が抑えられなくなったのは、最初みたいにドキドキしたからじゃないんだ」
穂村さんは淡々と言葉を並べていった。
以前交際していたという佐伯先輩と白石先輩が、かつてのような関係に戻りつつあるという噂は、彼女も耳にしていたそうだ。佐伯先輩が急に忙しくなったのも、ちょうどその噂が流れ始めたころだったという。
この日、どこかぎこちなく見えたのは、10日ほど前に電話で話している際、佐伯先輩の煮え切らない態度につい白石先輩の名前を出してしまい、怒らせてしまったのが原因らしい。恋人でもない自分が出過ぎた真似をした、と穂村さんは言うが、怒ることでその場をやり過ごそうとした佐伯先輩は、瀬戸が言った通りの人なのだろう。
「次の日にすぐ謝ってくれたから、一応仲直りはできたんだ。今日の日程もおさえてくれて」
久しぶりに会って話してるうちに気まずさも薄れ、楽しくなってきたころだったという、佐伯先輩の提案でこの場所に移動することになった。告白されるのだろうかと一度は身構えたが、近くのキッチンカーの列に並ぶ白石先輩の姿が目に入り、真意を察したそうだ。
「佐伯さんとしては、曖昧な関係をできるだけ長く保っていたかったんだと思う」
だからこそ、白石先輩と鉢合わせ、その場で決断を迫られかねない状況は、何としてでも避けたかったのだろう、と穂村さんは続けた。
「それでも、一応期待はするじゃない? わたしに振られたあとのことを考えて、見られないようにしたのかな、なんて」
穂村さんは声だけで笑ったあと、ため息をついた。
「でも、そんな素振りは全然なくて。だんだん話す気分にもならなくなって、なのに何を勘違いしたのか、急に顔を近づけてくるんだもん。関係をはっきりさせたいって言っても、止めてくれなくて、それで……」
つい、声を荒げてしまった。そして一緒に込み上げてきた熱を抑えられなかった。佐伯先輩は予想外の反応と、焼けるような熱気に驚いて逃げ出してしまったらしい。火の手が上がったのはその直後で、ぎりぎり見られずに済んだのは不幸中の幸いだったと穂村さんは笑った。
「だから、もういいの。佐伯先輩とはもう、これでおしまいにする。あの状況で答えが出せないってことは、きっと白石先輩の方が好きなんだよ」
穂村さんは投げやりな口調で言ったあと、また力なく顔を伏せた。
こんなとき、なんて言えばいいのだろう。傷つくことを避けて生きてきたから、傷ついた人にかけるべき言葉が分からない。時間が癒してくれるだとか、他にも良い人はいるだとか、そんな言葉はまるで意味がないように思えた。だって彼女は今辛くて、佐伯先輩のことが好きなのだから。佐伯先輩が羨ましい。好意を伝えるだけで、穂村さんが喜んで、元気になってくれる。そんなの、反則じゃないか。
「僕は佐伯先輩とは何もかもが違うから、もともと想像することは難しいんだろうけど」
視界の端で、穂村さんがゆっくりと顔を上げるのが見えた。
「これほど、他人の考えが理解できないと思ったことはないよ」
焼け残った雑草を抜いて凍らせ、湖に向かって放り投げる。水しぶきの音が響いた。一本、また一本と抜き取っては、行き場のない気持ちをぶつける。
手ごろな長さの雑草がなくなってしまったころ、穂村さんが「うーん」と大きく背伸びをした。
「あーあ、青春を通り越して、昼ドラみたいな経験しちゃった。でも、なんだかスッキリした。ありがとう、話を聞いてくれて。今はもう、白石先輩とどうぞお幸せにって感じ」
顔を向けた僕に、穂村さんは微笑んで見せた。
「そんな顔しないでよ! 強がってるわけじゃないから。ほんとう言うとね、わたしも自分の気持ちがよくわからなくて。うまく言えないんだけど、最初に映画を観に行った日が、一番好きだったんだよね。佐伯さんのこと。それってちょっと違うかなって」
その声と顔つきは凛としていた。
「でもなんか、白石先輩に負けたくなかったの。だからもしも告白されてたら、やっぱりうれしい気持ちにはなってたんだと思う。けどそれって結局、優越感だよね。わたしが憧れてたのは、そんなのじゃないから」
そう言ったあと、僕に向かって謝った。
「ごめんね、わたしよりも真剣に考えてくれてたのに」
もっと早く教えてくれたら、そういう思いが湧いてこないわけではない。けれど、彼女を拒絶して一方的に関わりを断とうとしたのは僕に、責める権利なんてない。「気にしないよ」と伝えると、少し間があってから、穂村さんは小さな声で「ありがとう」と言った。