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文字数 2,724文字

 日曜日の17時、バスの待合室。日が落ちて暗くなり始めた窓の向こうに、駅舎の方から向かってくるひと組の男女を見つけた。気づかれぬよう、視線を携帯に戻して通り過ぎるのを待つ。

 結局、今回も付いていくとは伝えられなかった。そもそも前回の内容をふまえると、自分の力が必要になる可能性だって低い。現に、当初はあんなに熱を放っていた待ち合わせだって難なく乗り越えたようだ。

 それでも、彼女のために何かしたいと思ったら、僕にはこの力しか無い。

 どうして自分に宿ったのが熱を与えるのではなく、奪う力なのか、不思議に思ったことがある。今ならその理由が何となくわかる気がする。中学生のころに読んだ本に、物の温度とはそれを構成する原子や分子の運動エネルギーであると書いてあった。だから温度を上げるということは、エネルギーを与えるということだ。前向きで周りを明るくする穂村さんに、その能力は相応しいと思う。そういう観点では僕も同じだ。だからきっと、佐伯先輩のような人に特殊な力が備わっていたとしても、それは穂村さんと同じようにエネルギーを付与する類のものになるだろう。それでは、彼女の力を増長することはできても、相殺することはできない。嬉しいときや嬉しいときを増やすのは、僕には難しい。だけどそうでないとき、役に立てたらいい。

 先ほどとは反対側の窓の向こうで、ふたりが横断歩道の信号が変わるのを待っていた。穂村さんはキャメル色のコート、佐伯先輩は黒のダウンジャケットを着ている。直交する信号が点滅し始めたのを確認して待合室を出た。外の空気は冷たく、乾燥していた。

 以前送られてきたメッセージによると、この日は穂村さんの提案でクリスマスマーケットに行くらしい。12月の毎週末、市内の大きな公園に屋台やキッチンカーが集まる催しで、会場の一部にはイルミネーションも施されるようだ。

 そんな雰囲気のある場所へ向かうということで、今回ばかりはさすがの佐伯先輩も落ち着かないのか、これまでと比べるとややせわしなく、時折、周囲を見渡すような仕草を見せて僕をひやりとさせた。その度に歩みを緩めざるを得なかったが、この時期は日が暮れ始めると一気に暗くなるので、見つかることだけではなく見失うことにも注意しなければならない。街灯に照らされるふたりの背中を懸命に追いながら、これでは本当にストーカーだなと笑いたくなった。

 20分ほど歩いて会場の公園に到着した。空はすっかり暗くなっていた。里山と湖に面し、きれいに整備されたこの公園は桜の名所でもあり、毎年春には桜祭りが開かれる。家族で夜桜を観に何度か訪れたことがあるので、夜に来るのも初めてではなかったが、イルミネーションで飾られた空間は幻想的で、まるで違う場所のように見えた。

 クリスマスマーケットはこの日限りではなく、翌日が休みとなる金曜日と土曜日に人が集中するのか、それほど混雑しておらず、人ごみにもまれてはぐれるという心配はなさそうだ。

 ふたりはメイン会場である大広場の方へ歩いて行く。事前に確認したWebサイトによると、そこにキッチンカーが集まるらしい。中には遠くからやってくるものもあるようで、派手なフォントで、『地域初上陸!』と書いてあったのを覚えている。大通りは車が通れるほど広く、その両脇に軒を連ねた出店では、たこ焼きや焼きそば、ベビーカステラなどが売っていて、夏祭りを思い起こさせるような香ばしい香りが漂っていた。

「わたあめ!」

 5歳くらいの男の子が、僕の横を駆け抜けていった。勢いそのままに、穂村さんたちの背中も追い越し、吸い込まれるように綿菓子の出店の前で止まる。その後を小走りで追っていた若い夫婦に向かって、綿菓子の袋にプリントされているのだろう、キャラクターの名前を大きな声で名前を叫んだ。

 その光景を穏やかなまなざしで見つめていた穂村さんは、隣を歩く佐伯先輩に一度視線を向けたあと、またすぐに進行方向へ向き直した。

 高校の運動場ほどの広さがある大広場にはジングルベルの音楽が流れ、10台以上のキッチンカーがずらりと並んでいた。ハンバーガーやクレープ、コーヒーなど見慣れたものもあれば、ガパオライスやキューバサンドといった、馴染みのない料理や、ホットワインを扱っているものなんかもある。

 それらから少し離れたところには、休憩スペースも設置されていて、テーブルを囲み食事や会話を楽しむ人たちの姿があった。それらの照明に、木々を飾るイルミネーションも加わり、この一帯は一際明るい。

 ふたりは入り口に設けられた案内図を眺めたあと、『和スイーツ』の看板を掲げたキッチンカーの列に並んだ。列にはすでに10人くらいが並んでいて、その人気がうかがい知れる。

 『和スイーツ』とはいったいどんなものだろう。携帯でクリスマスマーケットのWebサイトを開き、リンクをだどってみると、フルーツ大福や、わらび餅ドリンクなるものを扱っていた。どれも学食一食分くらいの価格が提示されている。とても買う気にはなれない。

 キッチンカーから少し離れ、会場の照明と比べると幾分ほの暗い灯の下から様子をうかがう。ここまでの移動中もそうだったが、これまでと比べて雰囲気ががややぎこちないように見える。会話が少なく、あまり視線を合わせようとしない。笑顔が全くないわけではないのだけれど、話すときだけ意識して表情をつくっているような感じだ。いつも会話をリードして、和やかな雰囲気を作ってくれる佐伯先輩の口数が少ないのが大きいように思うが、佐伯先輩もこの日は緊張しているようだから、仕方がないのかもしれない。

 わらび餅ドリンクを受け取ったふたりは、他のキッチンカーには寄らずに休憩スペースの方へ向かった。僕も距離を保ってそのあとを追う。

 離れた場所から眺めても休憩スペースの照明の明るさは際立っていたが、近くまで来てみるとまるで昼間のようだった。人が集まっているとはいえ、これでは視界の端に映っただけでも気づかれてしまうかもしれない。僕は道を逸れ、会場隅の暗がりに身を隠した。

 小さめの円卓を挟んで向かい合わせに座ったふたりは、初めこそやはり緊張感が漂っていたが、物珍しいわらび餅ドリンクや、周囲の賑やかな雰囲気も手伝って、次第に睦ましさを取り戻していった。

 それまでの心配を他所に、写真を撮りあったり、イルミネーションを指さしたりしながら談笑する姿を眺めていると、憑き物が落ちたような気持ちになった。ふうと吐いた白い息が夜風に流されて消える。少々の熱くらい、こんなふうに冷たい外気がかき消してくれるだろう。

 僕はこっそり、穂村さんの特別な笑顔を目に焼き付けた。
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