4-5

文字数 1,665文字

 里山にも面した遊歩道は公園内よりも湖に近く、腰ほどの高さの柵によって岩礁と隔てられている。街灯はまばらで暗い上、曲がりくねっていて見通しが悪い。さらに不安を煽るように、里山の木々がざわめいていた。

 200mほど行った岩礁に、その姿はあった。歩道に背を向けて夜空を見上げるシルエットは闇と半ば同化しており、熱を捉えられなければ通り過ぎていたかもしれない。呼吸を落ち着かせながら、声を聞き取れる距離まで近づいて、すでに収まりつつある熱波を打ち消すと、彼女はまるで人形のようにゆっくりと振り返った。

「樋上くんも、来てたんだ」

 暗くて表情は窺えなかったが、口調は落ち着いていて、どこか達観しているような雰囲気さえある。

「あ、いや……うん、ごめん、実は……」

 黙って駅からついてきていたこと、公園に着いてから、ふたりの雰囲気を見て心配いらないと判断しその場を離れたことを謝った。穂村さんは変わらない口調で、「全然気が付かなかった」とつぶやいた。

 危ないからと、上がってくるように促すと、素直に従った。柵をまたぎ、ふらふらと近くのベンチまで歩いていく。その座面には見覚えのある鞄が置いてあった。少し前まできっと、ここで佐伯先輩と話をしていたのだろう。

 穂村さんはベンチの端にそっと腰掛けて、うなだれた。すぐ横に街灯があるものの、顔を伏せていてやはり表情は伺い知れない。草木に囲まれるこのベンチに、熱を放出したまま座ったということは、まだそばにいて良いんだと判断して反対側の端にそっと座った。その際、何かを蹴飛ばした感触がして足元を覗き込むと、スプレー缶が転がっていた。暗闇に目を凝らしてよく見れば、地面にはいくつか黒く焼け焦げた痕がある。

「肝心な時に、力になれなくてごめん」

「樋上くんが謝ることじゃないよ。やっぱり、わたしにはまだ早かったんだ。もっと、制御できるように頑張らないと……」

 真夏のような熱を帯びた風が吹き付ける。言葉が見つからず再び地面に目をやると、焼け痕はまばらで、ひとつひとつが燃え広がる前に消火されたようだった。

「十分、頑張ってると思うよ」

 顔を上げて伝える。目の前に広がる湖面は、月に照らされ青く揺れていた。

「すごいよ、ひとりでちゃんと対処して、力も抑え込めるんだもん。僕だったら、木も湖も凍らせてた。それに、物が燃える温度とかもちゃんと知ってるし、狙った温度まで上げるのもすごく上手だよね。僕もこの間、少し練習しようと思って──」

 口だけでなく体全体が固まってしまったのは、震える小さな肩が視界に入ったからだ。

「うん……うん、わたしだってちゃんと、頑張ってるのに……」

 ぽろぽろと、温かい涙が落ちる。僕の身体は、まるで凍りついてしまったかのように動かない。できることと言えば、再び激しさを増した熱風が広がらないよう、冷気で覆い尽くすことくらいだった。

 すすり泣く声が聞こえなくなって、そっと隣の様子をうかがうと、ちょうど同じタイミングで顔を向けた穂村さんと目が合った。まだにじんでいたものの、涙は止まっていた。その目が大きく見開かれて、顔が真っ赤になった。

「ごめん、ちょっと不安定になってて……ああ、だめだ、しゃべるとまた涙出てくる」

「無理しなくていいよ。それに佐伯先輩、冷静になったら戻ってくるよね。僕、さっきのところにいるから」

 立ち上がったとき、何かが引っかかったような感じがした。見ると、コートの裾を穂村さんが掴んでいた。

「佐伯さんはきっと戻ってこないよ。あの人、プライド高いから」

「そう……なんだ」

「このまま話、聞いてほしい」

「ああ、うん」

 真っ白になった頭を懸命に働かせていると、また裾を引っ張られた。

「座らないの?」

「あ、いや、『このまま』って言うのが『この場所のまま』ってことなのか、『立ったまま』なのか、どっちかなって」

 ドッと汗が出て、慌てて座り直す。勢いの余りベンチが大きく揺れ、穂村さんが笑い声を上げた。

「ああ、可笑しい……」

 穂村さんはもう一度目元を拭ったあと、落ち着いた口調で語り始めた。
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