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文字数 1,926文字

 映画館に着いたふたりは自動券売機の列に並んだ。事前に予約をしていれば、売り場に行かずともそこで入場券を発券できるらしい。僕はロビーのソファで待つことにした。案内を見ると、僕らの上映回、それに次の回も満席で、午後以降も全て残り僅かとなっていた。

 発券を終えたふたりはフード売り場に立ち寄ったあと、それぞれの飲み物と大きなポップコーンをひとつ携えて僕の前を横切り、そのまま入場していった。

 公開したばかりの人気作品とあって、最も広いシアターが割り当てられていた。500席くらいはありそうなこの部屋なら、多少対応が遅れても電車のように空間全体が暑くなることは無さそうだと、座席でくつろいでいると、前の席のふたりはこんな会話を始めた。

「なんかすげぇ暖房効いてる?」

「そ、そうかもしれないですね」

 真正面に座る穂村さんが右耳に手を当てながら答える。僕は姿勢を正し、急いで熱を吸収した。

「暑い? 係の人に聞いてみようか?」

「いえ! 私は大丈夫です!」

「そう? あ、涼しくなってきた。誰かが言ってくれたのかな」

「良かったです、あはは……」

 事前に聞いていたとおり、上映が始まるとそちらに意識が向くようで、タイトルバックが表れるころには熱はすっかり収まっていた。終盤、怒涛の展開に高揚したのか微かに熱風が吹いたが、佐伯先輩も映画に集中していて微動だにしなかった。

 エンドロールが終わって照明がつくと、前の方で「ポンッ」と小さな破裂音がした。近くにいた人々が驚きの声を上げる。佐伯先輩もそのひとりだった。ふたりの席の間に置かれたポップコーンの容器をのぞき込んで言う。

「え? 今、弾けた?」 

 緊張していたことを急に思い出したのだろうか、温度が上がるのが早すぎて間に合わなかった。しばしの沈黙のあと、穂村さんは音を立てて両手を合わせた。

「もしかすると、席が揺れた衝撃が引き金になったのかも!」

「ああ! なんか似たようなのテレビで見たことある。ペットボトルの水が一気に凍ったりしてた」

 今回の超常現象とは少し違うように思うが、佐伯先輩が納得してくれたならそれに越したことはない。穂村さんも賛同すると、佐伯先輩は満足したようにうなずいた。

 映画館を出たふたりはひとつフロアを降り、レストラン街にある洋食店に入った。

 僕もガラス張りのディプレイに並んだたくさんのサンプルの前で少し時間を置いたあとに入店する。ファストフード以外の飲食店をひとりで利用するのは初めてだったので、少し緊張した。案内されたのはふたりが座るテーブルの斜め向かいの席で、穂村さんの顔が見える位置に座れたのは運が良かった。

 穂村さんは目から熱線が出るんじゃないかと思うほど真剣な顔つきでメニューを見つめていた。熱線はともかく熱波を発する心配はなさそうだったので、僕も料理を選ぶことにした。やはりファストフードに比べると、どれもそれなりの値段はする。仕方ないと腹を括って、最も安いミートソースのスパゲッティを注文した。

 ふたりも考えがまとまったようで、僕の注文を受けてくれたのと同じ、大学生くらいの女性店員が心なしか先ほどよりも明るい表情と高い声色で対応する。佐伯先輩はメニューを指しながらも、視線はしっかりと店員の顔に向かっていた。その凛々しい眼差しは、穂村さんが惹かれるのも分かるような気がする。

 注文を終えて店員が離れると、ふたりは話を再開した。内容までは聞こえてこないが、穂村さんの高揚した表情と佐伯先輩の大きな身振り手振りからすると、映画の感想で盛り上がっているのだろう。かと思えば、今度は穂村さんが赤くなった顔を両手で覆ったり、笑顔をぶんぶんと横に振ったり、周りに熱波を放ったりしはじめた。魅力的な所を数え上げられているのかもしれない。

 やがて先ほどの女性店員がスパゲッティを持ってきてくれた。やはりその声色はやや低く聞こえた。気にしないことにして、食べ始める。普段あまり選ぶことのない料理だったが、思った以上に美味しく、夢中になって食べた。

 しかしそれが良くなかった。ふと自分の役割を思い出してふたりの席に目をやると、穂村さんがしきりに右耳を触っていた。彼女の前に置かれたビーフシチューからは、ものすごい勢いで湯気が立ちのぼっている。料理が運ばれてからしばらく経つはずだが、その温度は厨房で火にかかっている状態よりも恐らく高い。非常識な熱さでは無いが、舌の火傷は免れないだろう。幸い、佐伯先輩は話すことに一生懸命なようで、その不自然さには気づいていないようだった。慌てて適当な温度まで下げると、穂村さんは右耳から手を離し、少し微笑んでから、スプーンで掬ったビーフシチューに優しく息を吹きかけた。
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