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文字数 2,345文字

 デート当日は、よく晴れた気持ちのいい日だった。

 制服を着ていくと同じ高校の生徒だと佐伯先輩の印象に残ってしまう恐れがあるため、シャツにジーンズという服装で家を出た。

 ふたりの待ち合わせ場所は高校の最寄り駅だった。穂村さんは普段電車で通学しているそうなので、それに合わせたのだろう。一方、佐伯先輩は自転車通学だと聞いている。

 ショッピングセンターの駐輪場に自転車を置いて、駅まで歩いた。遅刻しそうな際の焦燥感が苦手な僕は、普段から集合時間の30分前には到着するようにしている。この日も待ち合わせは9時だったが、着いたのは8時半前だった。

 県外に続く特急も停まるこの駅は、市内で最も大きなターミナル駅ではあるが、この地方は鉄道自体があまり根付いておらず、在来線も1時間に1本程度しか来ないため、日常の足として利用する客はほとんどいない。この日も広い構内は閑散としていた。改札の横に売店があり、その正面には待合スペースが用意されている。待っている間、そこで段取りなどを確認しておくことにした。

 映画館の座席が取れたことに対する返信があったのは、昨日の朝だった。その際、映画の鑑賞代も含めて今回に掛かる費用は全て支払ってくれるという申し出もあったが、流石に断った。自分も映画は観たいからと伝えると、何とか納得してくれた。そのままメッセージで打ち合わせを行い、いくつかのことを取り決めた。そのひとつが、何らかの対応が必要になったときに送る合図だった。

 話の発端として、穂村さんが熱を発生させてしまったとき、僕がすぐに気がつけるかという懸念があった。熱の発生や消失があった際、その大まかな位置や量を感じ取る能力が僕らには備わっているが、わずかな変化であれば見落としがないとは言い切れない。合図を決めておいたほうが安心だという結論になった。分かりやすくて自然な合図を考えてもらったところ、右耳を触るという仕草に決まった。

 かばんから、この日のために買った伊達メガネを取り出してかける。時計を見てそろそろかなと思っていると、巨大な暖気が猛スピードで近づいてくるのを感じた。それは次第に減速していき、やがて動きを止めた。

 構内アナウンスのあと、電車から降りてきた人々が次々と改札を通ってきた。彼らはみんな額に汗を浮かべ、それをハンカチで拭ったり、胸元を扇いだりしていた。

「電車めっちゃ暑くなかった?」

「暑かった。暖房付くの早くね?」

 ジャージ姿の男子ふたり組は、そんな会話をしていた。

 問題の熱源はまだ改札の向こうにいるようだった。化粧室で身だしなみを整えているのだろう。

 5分ほど経ったあと、硬い表情をした穂村さんが改札から現れた。数日前から制服の衣替え期間に入っており、この日は夏用のブラウスではなく紺色のセーラー服を着ていた。髪は普段学校でしているようなひとつ結びとは違い、下ろしている。依然として熱を発し続けていて、ちょっとしたストーブのようだった。これは思ったよりも大変な仕事になるかもしれない。

 穂村さんは壁にもたれかかり、携帯を触り始めた。カメラ機能を鏡代わりにしているのか、高く上げ、真剣な眼差しで髪の毛に手櫛をいれている。彼女自身も暑いのだろう、時折ハンカチで軽く顔を触れては、前髪を直していた。

 すでに到着していることを伝える意味も込めて、周りを少し冷やすことにした。穂村さんはすぐに気がついたようで、周囲を見渡し始めた。私服の上に眼鏡をかけていたこともあり、視線は一度僕を素通りしたが、引き返してきた際に目が合った。穂村さんは表情を緩めて小さくうなずいたあと、携帯を操作した。

 僕の携帯のディスプレイが光る。

『やばい、吐きそう』

『もう少し涼しくする?』

『お願いします』

 冷気を強めると、穂村さんはふうと大きく息を吐いた。

 数分後、穂村さんがパッと顔を輝かせて駆けだした。駅舎の入り口に立つ、大きなバックパックを背負った人物が佐伯先輩なのだろう。背が高く、半袖のカッターシャツからのぞく腕は血管が浮き出ていてたくましい。記憶の中にぼんやりと描いていた顔よりも、ずっとほりの深い目鼻立ちをしていた。

「悪い、待った?」

「いえ、さっき来たところです」

 ドラマみたいなやりとりは、ふたりの間で行われると本当にドラマのようだ。熱量が上がって押し負けそうになり、慌てて強度を上げる。

「良かった。話が決まってからずっと楽しみで、今日まですげー長かったよ」

「私も楽しみにしてました」

「マジで? 嬉しいな。それじゃあ、行こうか」

 ふたりに遅れて僕も駅を出る。自転車を押して歩く佐伯先輩の隣で、穂村さんはぎこちない歩き方をしていた。車1台分ほどの距離を開けて後を追う。まさか尾行されているなんて、佐伯先輩は思いもしないだろう。ショッピングセンターまでは大通り一本で、すれ違う人々の多くがふたりに目を奪われていた。

 佐伯先輩は話し方や身振り手振り、それに歩き方さえ様になっていて、顔はもちろんのこと、身体全体を纏うオーラや雰囲気まで格好良い人だと思った。顔立ちは整っていても、どこか憂いを帯びた瀬戸とはそこが決定的に違う。時折見える横顔には余裕があって、緊張感はまるで感じられない。

 あとひとつ横断歩道を渡れば到着というところで信号に引っかかり、ふたりに追いついた。

「中間試験、どうだった?」

「ええと……まずまずでした!」

「まじで? 穂村って勉強できる方? ならさ、今度数学教えてよ。俺もう、1年の範囲からさっぱりで」

「あー……すみません、見栄張りました……ほんとは全然で、数学は特にやばくてたぶん赤点です」

「ちょ、なんだよそれ!」

 笑い声を合図に信号が変わる。穂村さんの緊張もだいぶほぐれてきているようだ。
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