2-5
文字数 1,658文字
帰り支度を終えて教室を出ると、ロッカーのそばに鞄を持った穂村さんがいた。
「さっきはごめんね」
「え?」
「6限前の休み時間、話してる途中だったのに」
「別に、気にしてないよ」
つい、逃げるようにして階段へ向かってしまう。穂村さんは髪の毛を揺らして、すっと隣に並んだ。
「……怒ってる?」
いたずらが見つかった子犬のような表情に、罪悪感が押し寄せてきた。
「ううん、全然。ごめん、ちょっと素っ気なかった。考え事してて」
「良かった。あの人、少し強引なところあるから」
あの人、と言う口調には、憧れだけでなく親しみが込められている。
「もう付き合ってるの?」
穂村さんはぶんぶんと首を横に振った。
「まさか! 一度遊びに行っただけだし」
「そうなんだ。次の約束は?」
「それもまだなの。中々予定が合わなくて。うちの親、早い時間帯じゃないと許してくれないんだ。信じられないよね、小学生じゃないんだから。佐伯さんも驚いてたよ。というか、引いてた」
そう言ってため息をついた。
「土曜日は家庭教師の先生が来ることになってるから、日曜じゃないと難しいんだけど、日曜日は佐伯さん、部活で試合が入ることが多いみたいで。ようやく部活が無い日が見つかったと思ったら、その日はわたしの定期検査が入ってたりして」
「検査? どこか悪いの?」
穂村さんは周囲に目を配ってから、声をひそめた。
「ううん、
「大変だね……一緒に帰ったりは?」
「それも中々……バスケ部は帰り遅くて、合わせようと思ったら、門限過ぎちゃうから」
穂村さんはもう一度、大きなため息をついた。
この日、茶道部の活動はないらしい。一緒に靴を履き替えて外に出ると、目の前に広がるグランド場ではサッカー部が長い影を作って練習の準備をしていた。
「聞きたいことがあるんだけど、良い? 歩きながらで良いから」
玄関前の短い階段を降りて、穂村さんが言った。
「ああ、うん、良いよ」
校舎は高台にあって、長く続く階段を降りた先に正門がある。歩き出しですぐ、「家はこっち?」と尋ねられた。
高校の敷地の出入り口としては、正門の反対側にもうひとつ裏門があって、逆方面から通う生徒はそちらを利用している。僕もそのひとりだ。
「いや、あっちだけど」
「じゃあ、そっちから帰ろ」
「駅とは反対方向になるよ」
「それは樋上くんだって一緒じゃん。わたしから言い出したんだから、そこは譲りますよ」
穂村さんは有無を言わせぬ勢いで歩き出す。今度は僕が追いかける番だった。
「電車の時間は大丈夫なの?」
この辺りでは電車を1本逃すと、数十分は待つことになる。
「大丈夫大丈夫。部活がある日はもっと遅いもん」
「それはそうかもしれないけど」
「門限の最終便までは、まだ3時間くらいあるからさ」
「なら良いけど……それで、聞きたいことって?」
「そうそう、えっとね、瀬戸くんとはどういうきっかけで仲良くなったの?」
「瀬戸?」
「うん。彼、あんまり人と関わろうとしないでしょ? 樋上くんはどうやって親しくなったのかなって」
瀬戸と仲良くなる方法──これまで幾度となく聞かれてきたことだ。それこそ、中学ではその話題以外で女子と話す機会はほとんど無かったんじゃないだろうか。
「誤解しないでね! 別に、瀬戸くんを狙ってるわけじゃ無いから! ちょっとした好奇心ってやつだよ」
「疑わないよ」
とはいえ、友人としては瀬戸の方を推したい気持ちはある。瀬戸なら、佐伯先輩にだって引けを取らないだろう。しかし現状、穂村さんの想いは佐伯先輩に向かっていることを考えると、大方、友達に詮索を頼まれたというところか。
「きっかけ……」
普段ならはぐらかすことも多いのだけど、穂村さんの期待に満ちた視線を受けてはそうもいかない。下り坂を降りながら、当時の記憶を思い起こす。
「さっきはごめんね」
「え?」
「6限前の休み時間、話してる途中だったのに」
「別に、気にしてないよ」
つい、逃げるようにして階段へ向かってしまう。穂村さんは髪の毛を揺らして、すっと隣に並んだ。
「……怒ってる?」
いたずらが見つかった子犬のような表情に、罪悪感が押し寄せてきた。
「ううん、全然。ごめん、ちょっと素っ気なかった。考え事してて」
「良かった。あの人、少し強引なところあるから」
あの人、と言う口調には、憧れだけでなく親しみが込められている。
「もう付き合ってるの?」
穂村さんはぶんぶんと首を横に振った。
「まさか! 一度遊びに行っただけだし」
「そうなんだ。次の約束は?」
「それもまだなの。中々予定が合わなくて。うちの親、早い時間帯じゃないと許してくれないんだ。信じられないよね、小学生じゃないんだから。佐伯さんも驚いてたよ。というか、引いてた」
そう言ってため息をついた。
「土曜日は家庭教師の先生が来ることになってるから、日曜じゃないと難しいんだけど、日曜日は佐伯さん、部活で試合が入ることが多いみたいで。ようやく部活が無い日が見つかったと思ったら、その日はわたしの定期検査が入ってたりして」
「検査? どこか悪いの?」
穂村さんは周囲に目を配ってから、声をひそめた。
「ううん、
あれ
が身体のどこかに負担をかけてないか調べるために、毎月病院で診てもらってるの。しかも、東京の病院だよ? お父さん、わたしが突然倒れちゃうんじゃないかって心配してるんだ。あんなに気にしてたら、自分が先に身体壊しちゃうよ」「大変だね……一緒に帰ったりは?」
「それも中々……バスケ部は帰り遅くて、合わせようと思ったら、門限過ぎちゃうから」
穂村さんはもう一度、大きなため息をついた。
この日、茶道部の活動はないらしい。一緒に靴を履き替えて外に出ると、目の前に広がるグランド場ではサッカー部が長い影を作って練習の準備をしていた。
「聞きたいことがあるんだけど、良い? 歩きながらで良いから」
玄関前の短い階段を降りて、穂村さんが言った。
「ああ、うん、良いよ」
校舎は高台にあって、長く続く階段を降りた先に正門がある。歩き出しですぐ、「家はこっち?」と尋ねられた。
高校の敷地の出入り口としては、正門の反対側にもうひとつ裏門があって、逆方面から通う生徒はそちらを利用している。僕もそのひとりだ。
「いや、あっちだけど」
「じゃあ、そっちから帰ろ」
「駅とは反対方向になるよ」
「それは樋上くんだって一緒じゃん。わたしから言い出したんだから、そこは譲りますよ」
穂村さんは有無を言わせぬ勢いで歩き出す。今度は僕が追いかける番だった。
「電車の時間は大丈夫なの?」
この辺りでは電車を1本逃すと、数十分は待つことになる。
「大丈夫大丈夫。部活がある日はもっと遅いもん」
「それはそうかもしれないけど」
「門限の最終便までは、まだ3時間くらいあるからさ」
「なら良いけど……それで、聞きたいことって?」
「そうそう、えっとね、瀬戸くんとはどういうきっかけで仲良くなったの?」
「瀬戸?」
「うん。彼、あんまり人と関わろうとしないでしょ? 樋上くんはどうやって親しくなったのかなって」
瀬戸と仲良くなる方法──これまで幾度となく聞かれてきたことだ。それこそ、中学ではその話題以外で女子と話す機会はほとんど無かったんじゃないだろうか。
「誤解しないでね! 別に、瀬戸くんを狙ってるわけじゃ無いから! ちょっとした好奇心ってやつだよ」
「疑わないよ」
とはいえ、友人としては瀬戸の方を推したい気持ちはある。瀬戸なら、佐伯先輩にだって引けを取らないだろう。しかし現状、穂村さんの想いは佐伯先輩に向かっていることを考えると、大方、友達に詮索を頼まれたというところか。
「きっかけ……」
普段ならはぐらかすことも多いのだけど、穂村さんの期待に満ちた視線を受けてはそうもいかない。下り坂を降りながら、当時の記憶を思い起こす。