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文字数 1,718文字

 その日、曜日を間違えるという致命的なミスをおかした僕は、持ってきていない科目の教材を誰かから借りる必要があった。そのような相手は瀬戸しかいなかったので、ホームルームが終わったあと2組の教室に向かうと、彼が座っているはずの席に別の男子生徒がいた。どうやら席替えがあったらしい。碁盤の目をたどるように視線を動かしていくと、中央列一番後ろの席で文庫本を読んでいるのを見つけた。

「おはよう、少し頼みがあるんだけど」

 横から声をかけた僕に、瀬戸は「うん?」と気怠そうな声で返事をした。本に向けていたのと同じ表情で僕を見る。別に機嫌が悪いわけではない。普段からこうなのだ。

 事情を話すと、彼は眉ひとつ動かさず「間抜けだな」と呟いた。せめて表情か口調のどちらかだけでも、もう少し砕けた雰囲気にできたら、誤解されることも無いのにと思う。

「それで、何が必要?」

「ええと──」

 確認してもらったところ、運の良いことに足りない科目は全て揃っていた。

 早速、1限目に必要な化学の教材を借りて、ついでに週刊連載の少年漫画の話をした。小学生のころからともに愛読している作品が、佳境を迎えているのだ。純粋な戦いだけでなく、綿密に張り巡らされた伏線に定評のあるその作品の結末について、ああでもない、こうでもないと予想を述べ合った。

 授業開始のチャイムも近づき、礼を言って帰ろうとしたとき、近くで自分の名前を呼ぶ声がした。

「樋上くん、曜日を間違えたの? まぬけだねー」

 声がした方を見ると、瀬戸の左隣の席に、愛嬌の見本のような表情をした穂村さんが座っていた。僕が教室に入ってきたときは席を外していたのか、まるで気が付かなかった。

「仲良いんだね、ふたり」

 本に視線を戻したまま微動だにしない瀬戸の代わりに僕が答える。

「小学校から一緒だから」

「小学校から?」

 穂村さんは大きな目をぱちくりさせたあと、「そうなんだ?」と瀬戸の顔を覗き込んだ。瀬戸は視線を合わせようともせず、ぶっきらぼうに「ああ」とだけ答える。

 姿勢を戻した穂村さんは今度は僕を見つめ、「ほうほう」と頷いた。その瞳に吸い込まれそうになり、慌てて顔を背ける。


「樋上、もう授業始まるぞ」

 瀬戸に言われて時計に目をやると、休憩時間は残り1分を切っていた。慌てて自分の教室に戻った。
 

 午後になって再び教材を借りようと1組の教室を出ると、すぐ近くに穂村さんが立っていて驚いた。「やあ」と手を挙げられたので、「やあ」と会釈して2組に向かおうとした途端、呼び止められた。

「ちょっと! 無視しないでよ」

「え、僕?」

「教科書とか、要るんでしょ?」

 よく見ると、彼女は教科書と資料集を抱えている。

「ああ、うん。でも瀬戸は?」

「なんか、部活の顧問の先生に呼ばれたんだって。それで、代わりに渡しておいてって頼まれたから、はい」

「そうなんだ、わざわざありがとう」

「どういたしまして」

 教材を受け取ったタイミングで、2組の教室の方から穂村さんの名前を呼ぶ声が聞こえた。そこには、片手を上げた佐伯先輩が立っていた。

「先輩!」

 穂村さんは明るい声で歩み寄る。

「どうしたんですか?」

「移動教室の帰り。生物室、4階だろ? 折角だから、ちょっと寄ってみようかと思って」

「そうなんですね、びっくりしました」

「なら思惑通り。懐かしいな。俺、1組だったから」

 佐伯先輩はそのまま1組の教室まで歩みを進めた。僕のことなど、まるで視界に入っていないようだった。

 佐伯先輩が教室の中を覗き込むと、それに気づいた女子たちの驚きと困惑、喜びが入り混じった声が響いた。

「そういえば、昨日の電話の続きだけどさ」

「あ、はい」

 ふたりの会話が始まり、置いてけぼりになる。佐伯先輩の言葉を聞きながらも、何度か視線を送ってくれる穂村さんに目だけで挨拶をして、その場を離れた。穂村さんは咄嗟に身体を動かして何か言いかけたが、すぐに佐伯先輩の方へ向き直した。

 自分の席に戻ると、視線を感じた。出入り口の近くで男子たちが3人、嘲るような笑みを浮かべていた。目が合ったところで誤魔化そうともしない。堪らず視線を逸らしたのは僕の方だった。吐いた息が白く色づき、慌てて呼吸を止めた。
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