第14話 夢

文字数 3,218文字


 いざ不動産契約となった途端に問題が生じた。
 ボクはほとんど学校に通っていない学生のうえに収入が不安定なユーチューバーで、コンビニを辞めてネットの広告収入で生計を立て始めたナオはまだ未成年。そのせいで、ボクたちは二人とも保証人の代わりを果たす賃貸保証会社の審査に通らなかった。
 引っ越しを延期せざるを得なくなったナオは、マネージャーの石川さんに相談した。
 彼は連帯保証人を引き受けてくれると言うが、石川さんに相談する前になぜボクに言ってくれなかったのか——と、ボクは一抹の寂しさを感じた。とはいえ実家と縁が薄く、他に保証人を頼めるような当てもないボクは、結局石川社長に頭を下げることになった。彼は保証人を引き受けてくれただけでなく、ナオの引っ越しも手伝ってくれることになり、家財道具を運ぶトラックまで事務所の経費で手配してくれた。


 引っ越し当日、石川さんはジャージの上下に首にタオルという出で立ちで現れた。三人で汗を流すうちにボクも六本木に事務所を構える社長との距離がすっかり縮まった。最初に冷蔵庫。続けてワードローブとベッド、デスクやテーブルセットなどの大物を運び終えると、残りの段ボールを一気に運び上げ、三人でテーブルを囲んだ。
「さすがに疲れたね。とりあえず乾杯しよう」と言いながら、石川さんはナオの冷蔵庫から缶ビールと炭酸水を取り出してそれぞれに手渡す。冷蔵庫をセットしたタイミングで彼が軍資金を渡し、ナオがコンビニで調達してきた袋の中には、飲み物だけでなく元マネージャーの大好物ポテトチップスも二袋入っていた。
「お疲れさま!」と彼は栓を開けたアルミ缶を高く掲げる。
「乾杯!」とボクも勢いよく開栓して応えた。「お疲れさまでした」
「二人ともお疲れさまでした」とナオは静かにペットボトルの炭酸水を掲げ、石川さんとボクを労う。「ほんとうにありがとうございます。あとは一人で少しずつ片づけられると思います」
 石川さんは左腕のタグ・ホイヤーに視線を移す。すると、ほとんど同時にインターフォンが鳴った。いつの間に頼んだのか宅配ピザの配達だった。
「純君は何か食べ物のアレルギーある? 卵とか魚貝とか?」と、昼飯時に入った牛丼屋で聞かれた質問はこのためだったのか——と今更気づいた。
「さぁ、パーティーだ!」と言って石川さんが目配せすると、すぐに立ち上がったナオは冷蔵庫にお替わりのビールと炭酸水を取りに行く。嫉妬心を抱く隙もなくなったボクは、二人の阿吽(あうん)の呼吸に感心して、軽く溜息を漏らしながら正直な気持ちを打ち明けた。
「こんなこというと失礼ですけど、今日で石川さんのイメージがずいぶん変わりました」
「変わったって?」と彼は苦笑する。「今までどんなイメージ抱いてたの?」
「なんて言うか……ボクみたいな田舎者は、六本木で芸能関係の会社経営してる人がこんな風に一緒に汗をかく姿って想像してなかったので……」
「ナオちゃん、僕は体育会系マネージャーだったってちゃんと彼に話しておいてよ」と社長はナオに笑いかける。「今はこんな体型だけど、学生時代はサッカー部でね。青学の川口って言われてたんだよ。あー、川口って言ってもわからないか」
「日本代表のゴールキーパーですよね」とボクは応えた。「なるほど。それで会社名が『グッド・セーブ』なんですね」
「嬉しいなぁ! わかってくれた」と言いながら彼は握手を求めた。「サッカーファンなんだね」
「いや、サッカーのことはあまり詳しくないんですけど。実は小学校の先輩なんです」と、子供の頃をあまり思い出したくなかったボクは、ちょっと小声で説明した。「卒業生では一番の有名人ですから」
「ってことは富士市出身?」と聞かれてボクは頷いた。

 三人の共通の話題は映画だった。杯を重ねる毎に石川さんはどんどん饒舌になっていく。
「僕は映画や映像の専門家じゃないけど、実は結構映画オタクなんだ。学生時代にサッカーやってなかったら、たぶん映画作ってたと思うよ」
 お互いハリウッドの大作映画よりは単館系作品が好みだったが、全員がショーン・ペン監督作の『イントゥ・ザ・ワイルド』をベスト3に挙げたことで話はクライマックスになった。
「ナオは『ボーイズ・ドント・クライ』も好きだったよね。昔あげたDVD、今も持ってる?」と石川さんが尋ねると、ナオは「もちろんです! 今も大事にしてます。ありがとうございました」と応えた。石川さんがナオを呼び捨てにしたことで、忘れかけていた嫉妬心がボクの心に波紋のように拡がり、そのDVDはボクも借りました——とは言えなくなってしまった。
「あの映画を観て女優になりたいと思った——ってナオが話してくれたこと、今でも覚えてるよ」と石川さんは続けた。「今もその気持ちは変わらないんだろ?」
「でも今は、ヒラリー・スワンクや『ナチュラルウーマン』のダニエラ・ヴェガみたいなトランスジェンダーの役じゃなくて、端役でもいいから普通の女の人の役をやってみたいんです」
「なるほど。ナオは若いけど一本筋が通ってるね」と石川さんは微笑んだ。「それで純君の夢は? どんな作家になりたいの? ユーチューブ見る限り技術系が得意みたいだけれど」
「夢——ということなら、ブラッドベリを映像化したいんです。『万華鏡』とか」
「そりゃまたスケールが大きいなぁ。宇宙空間の話だよね。夢よりもう少し現実的なところでは?」
「低予算でも、上田監督の『カメラを止めるな!』みたいな作品が制作できたらいいですね」
「確かにあれは面白かった。でも、あの作品は特別だよ。協力してくれる仲間が沢山いなかったら、ああいう作品は作れないよね。映画で一番金がかかるのは人だから。自腹切ってでも一緒に作ってくれる仲間が不可欠だ」
「はい……」と、あまり仲間のいないボクは力なく返した。
「それに作家性を求めるなら、先ずは企画力が大切。上田監督も、あちこちの映画祭に短編作品を応募して賞を取りまくってたでしょ?」
「そうですね。ボクも短編なら何度か映画賞に応募したんですけど、佳作止まりで」
「その佳作になった作品、今観れるかな?」と石川さんに振られ、ボクは観念した。
「『猫の上にも三年』というショートムービーですけど」

 動画の再生が終わり、その場になんとも微妙な空気が流れているのをボクは感じ取っていた。
「なるほど」と呟いたまま石川さんは顎を撫でている。「これは蚤の視点で描いたんだね?」
「わたし、今初めて観ました」とナオは言う。「純さん、見せてくれなかったから」
 ナオには言葉を返さずに、ボクは石川さんだけに尋ねた。
「感じたままおっしゃってください」
「一人の映画ファンの感想になってしまうけど……」と彼はボクを気遣いながら批評する。「視点は面白い。でも面白そうだと感じた期待が少しずつしぼんでしまう感じかな? オチは良かったから、三年ってタイトルに拘らないほうが良かったんじゃないかな? それから、尺はあと三分短くても良かったね」
 図星だった。それでも石川さんはボクを評価してくれた。
「正直に言うとね。ナオを撮った動画を見て、結構やるなって感じてたんだ。特にクラゲの映像」
「あ、あの時の……」とナオが呟く。
「あれはスタビライザーのテスト動画だったんです」とボクは苦笑いした。
「もちろん知ってるよ。それでもセンスは感じたよ。ところで純君は、省庁や自治体のPR動画とか、ショールームやイベント向けの企業PRとかの短編映像をやってみる気はある?」
「もちろんです!」とボクは即答した。
「それじゃ、先ず一本作ってみようか。企画はあるから、それに沿って台本を書いてくれるかな? それをクライアントが気に入ってくれたら演出も任せるっていう段取りでどうだろう?」
「ありがとうございます」
「純さん、良かったね」とナオは言ってくれたが、その途端に自分が石川さんの手の内で転がされているような軽い敗北感を味わった。

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