第24話 検事の哀しみ

文字数 2,620文字


 木村検事は欠伸をかみ殺した。きっと昨夜は殆ど眠っていないのだろう。
「不起訴になったあと、畑山と山本は高松を離れた。広島から岡山、兵庫と場所を変えて犯行を繰り返すようになった。藤本はたびたび二人から連絡を受けて、事件のことを決して口外しないよう厳しく口止めされていた。畑山が逮捕されたことをネットニュースで知って、藤本は初めて真実を明かす決心をした。でも、もし彼が四年前に真実を証言していたら、被害者の女性たちは悪質な犯罪者の餌食にならずに済んだはず。それを私が藤本に言ったら彼はしばらく嗚咽していた」
「よくわかりました。ほんとうにありがとうございます」とナオは深々と頭を下げた。
「殺人未遂だったんですね。でも、暴行の件はどうなるんでしょう?」とボクは尋ねた。「刑法が改正されて検察が起訴できるようになった訳ですよね。それで、検事さんはこの事件を調べ始めたって言われてませんでしたか?」
「それが、簡単にはいかないのよ。強制性交の事実が証明できなければ罪には問えないから。被害者が亡くなったこの事件のような場合は特に証明が難しい」
「藤本の証言があってもダメなんですか?」
「彼はワゴン車の外にいて犯行を見ていないと言うから目撃証言として採用するのは難しい。被疑者自身が自供してくれれば良いけど、曖昧な藤本の証言以外に強制を証明する物が何もないからね。告発されている他の事件は被害者の証言で立証できても、この件はこの件の証拠が必要なの。例えば性交時に記録された映像や音声があれば重要な証拠になるけれど」
「ナオの、黒島さんのラインのメッセージ記録は証拠にならないんですか?」
「さっき見せてくれたこれね? 『ぼくはボーイズ・ドント・クライのブランドンそのものだ』って、これはどういう意味?」
「この『ボーイズ・ドント・クライ』っていう映画の中で、主人公のブランドンは女性であることを隠して暮らしていて、それを男たちに咎められてレイプされるんです」
「……そういう意味ね。でも、これだけだと難しい、っていうか無理ね。このメッセージはレイプ以外の別の意味に捉えられてもおかしくないでしょ。だって、麗さんも同じような立場だったわけでしょ? LGBT」
「わたしと同じ……」とナオが呟いた。
「え? ちょっと待って。あなたは女の子じゃないの?」
「フルネームは黒島尚人です」
 木村有紗検事はもともと大きな目を二回りも拡げてしばらくナオを見つめた。
「驚いた! 人生最大の衝撃。それじゃあなたと麗さんは?」
「中学時代、真逆の立場で励まし合ってました」
「いやぁ、失礼なこと言ってしまうかもしれないけど、すごく可愛いらしい美少女だって……最初そんな風に見えたから」
「嬉しいです」とナオは顔を赤らめた。
「あ、そうなんだ? いろいろ勉強になるわ」と木村検事は確認するように何度も頷いた。
「ちょっと頭冷やして整理するわね。この件で証拠としての可能性があるのは、彼らが動画をアップロードしていた海外のサーバーにデータが残っていないかってこと」
「依頼者がいないのにわざわざ証拠になるような動画をアップしますか?」
「そこなのよ。藤本の証言によるとビデオは撮影していたようだけど、他の事件と同じように元のファイルは消された可能性が高いかな」
「ところで、勾留されている畑山の裁判はこれからなんですよね? 他の事件って何件くらいあるんですか?」とボクは訊ねた。
「公訴が確定してる事件だけで十七件。山本と共犯関係にあったものがそのうち十三件。でもそれは氷山の一角ね」
「怖ろしい」と言ってナオは目を閉じて頭を振った。

「ひとつ心配なことがあるんです」
 ナオの言葉に反応して木村検事は身を乗り出した。
「どんなこと?」
「半年後に刑務所から出てきた山本に居所を見つけられて、また被害に遭うことはないんでしょうか?」
「服役後に次々と他の犯行が明らかになったから、彼は間もなく再逮捕されるはず。かなり重い罪になるから、しばらくの間自由の身になることはないでしょう。将来、刑を終えたとしても、何かあったら即逮捕だから安心して。とにかくこんな凶悪犯罪者を野放しにしておいたら、罪のない女性が何人傷つけられるかわからないし」
「安心しました」とナオは小さくため息をついた。

 ナオとボクは初めてペットボトルの蓋を開け、ミネラルウォーターを口に含んだ。
「国会で改正刑法が可決されたのは、レイの三回忌の翌月なんです」とボクは伝えた。
「そうなのね? まぁ、それは偶然かと思うけど」と検事はそっけない。
「能島さん」と彼女はボクに呼びかける。「能島純さん。あなたはナオさんの彼氏? いやそういうのも変なのかな?」
「師匠です」とナオは説明する。「動画配信のスペシャリストなので」
「スペシャリストは大袈裟だよ」と言ってボクは頭を掻いた。
「なるほど。それでRAIDのことも……。やっぱりあなたにお願いしよう。もし証拠になりそうな動画をインターネットで見つけたらすぐに私に連絡して」
 名刺を取り出すと、裏に携帯番号を書いてボクに手渡してくれた。
「どんなデータでも良いから。そうね、麗さんの関係だけじゃなく、畑山や山本が関わっていそうなものがあったら何でも。彼らの被害者は他にも沢山いるはずだからね」
「わかりました」
「私はこれから目撃者を探す。藤本が現場で聞いたという話し声の主も当たってみないと。もう四年も前のことだから、見つけるだけでも大変だけどね」
「ありがとうございます」とナオはまた頭を下げた。
「黒島ナオさん。あなたほんとによく頑張ったね。あなたの頑張りは麗さんもきっと喜んでるはずよ。あなたはきっと良い女優になるわ。あれ、女優?」一瞬不思議そうな顔をした後、すぐに微笑んだ。「女優よね。うん」
 木村有紗検事はクールビューティーを画に描いたような人だったが、笑うとえくぼが出来る。この人のそんな顔をボクたちは初めて見た。

「木村さん……木村先生?」と最後にナオが質問した。「先生は、どうしてこんなに熱心に過去の犯罪を調べているんですか?」
 しばらく沈黙が続いた。検事は手に持ったボールペンで何度か軽く机を叩いたあと、急にその手を止めた。
「あまり人に話したことはないけど……、あなたたちなら良いかな」と言ってボクたちを交互に見つめ、にこりと微笑んだその顔はなんだかとても哀しそうだった。
「実は私も十代の頃に性犯罪の被害に遭った一人なの」
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