第26話 ネットダイビング

文字数 2,413文字


 以前にWEBの検証に使用していたノートPCを久々に起動し、いくつかのシステムアップデートを終えると、ボクは覚悟を決めてブラウザーを立ち上げた。
 昔はインターネット上のWEBページを訪ね歩くことを暢気にネットサーフィンなどと呼んだらしいが、ボクが向かうのは台風さながらの荒波の下。それも海に喩えたら海底の奥底だから、ネットサーフィンと言うよりネットダイビングだ。
 検索リストの先には、踏んでしまえば自爆しかねない地雷のようなサイトもあるし、懐に手榴弾を投げ込まれるように気づかないうちにマルウェアに感染するリスクも高い。最初は善意によって世界中に広まったインターネットは、あっという間に人々の欲望や悪意によって膨れ上がり、今や善も悪も入り乱れた無法地帯だ。
 検索窓にいくつかのキーワードを入れ、海外の動画サイトを探し回る。表示されたリスト上のURLを注意深く確認しながらボクはネットダイビングを続けた。
 昼食代わりに前夜残したピザを電子レンジで温めて野菜ジュースで胃に流し込み、寸暇を惜しんで次々と表示される動画を確認し続けた。トイレやバスルームの盗撮。公道でのレイプ。目を覆いたくなるような光景に出会すことも少なくない。女性の身体を傷つける行き過ぎたSM行為に、これが同じ人間、同じ日本人のすることだろうか? とわが目を疑う動画もあった。ボクは世界中に処刑の有様を見せつけたIS(イスラム国)の動画配信を思い出していた。
 そうやってネットダイビングに八時間以上を費やした末、漸くその動画に辿り着いた。
 はだけた男物のワイシャツ。その奥で捲り上げられた白いTシャツの下に小ぶりな胸の膨らみが露わにされる。男性のように髪を刈り込んだその女性は意識が朦朧としているようで、まったく抵抗していない。ラウンジのような室内はどうやらワゴン車らしく、ソファのようなシートの上に横たえられた女性を役者のような顔立ちの男が執拗に痛めつける。写真で確認していた畑山だ。彼女は微かに抵抗を示すが、男は構わずその肩を押さえつける。
 ボクは動画の再生を止めると、「もう充分だ」と呟いた。
 ダウンロード用ツールでPCに刺したUSBメモリにファイルを保存すると、サーバーのアドレスを特定してリモートツールでデータを消去しようとした。もちろん違法行為だが、相手も違法で公開している。しかし、感情に流されてはいけない、これは事件の証拠なのだ、と自分を戒めた。その時、同じサイトのサムネールに入浴シーンを見つけた。そうでないことを祈りながら動画を開くと、予想したとおりそれはナオの姿だった。
 ボクは二つのムービーファイルのインスペクタを表示して、海底に眠る沈没船を探す深海探査艇のようにインターネット上の同一ファイルを探し回る。幸い他には見つからなかった。

 ナオが帰っていることには気づいていた。
 ドアをノックされ、ボクは慌ててPCの画面を閉じる。ドア越しにナオの声が聞こえた。
「純さん、夕飯何か食べました? もしまだだったら貰ってきたお寿司が冷蔵庫にあるから食べてね」
 ボクは深くため息をついた。ナオが盗撮動画のことを知ったらいったいどれほどのショックを受けるだろう。
「ありがとう。今日はお疲れさま」ボクは椅子に座ったまま返答した。「今朝もご馳走になっちゃったね。すごく美味しかったよ」
「簡単な物しか出来なくてごめんなさい」
 そのままじっと息を潜めているとドアの外に立つナオの気配が消えた。
 しばらくすると壁越しにナオの声が聞こえて来た。どうやら台詞の練習をしているらしい。ナオと顔を合わせるのが怖かったボクは、部屋を出てキッチンに向かう。冷蔵庫から濃い緑色の包装紙で包まれたパックを取り出し、巻き寿司とバッテラをペットボトルのお茶と一緒に頂いた。
 声が静まったタイミングでドアをノックすると、ナオはすぐにドアを開けた。出来るだけ目を合わさないように用件だけを伝える。
「お寿司、ごちそうさま。これからちょっと出かけてくるね」
「うん、わかった」ナオはボクの顔を心配そうに覗き込む。「純さん、なんだかすごく疲れてそう。大丈夫?」
 話をすると何か悟られそうな気がして、ボクははぐらかした。
「昨日はちゃんとベッドで寝なかったからね。でもナオのおかげで風邪引かずにすんだよ。いろいろありがとう」
 ナオはそれ以上何も言わずに、微笑みだけを返してくれた。

 スマホを片手にボクは駐車場に向かう。プルリのドアを開けて運転席に座り、入力したばかりの携帯番号を呼び出した。
 何回か呼び出し音が続いた後に「はい」とクールな声がスマホの小さなスピーカーから聞こえた。
「木村さんですね。能島です。高松ではお世話になりました」
「あぁ、能島さん。何かありました?」
「実は見つかったんです。レイの動画」
「こんなに早く? 凄いじゃない」
「レイ以外の動画も何点かあったので、他の事件の解決にも役立つかもしれません」
「助かるわ」
「ただ、困ったことにナオの盗撮動画も見つかったんです」
「あなたにとっては困ったことでも、こちらにとっては有力な証拠になる。メールでURLを送ってくれる?」
「このあとすぐに。でも、URLはいつ削除されてもおかしくないので、ダウンロードしたファイルをUSBメモリで郵送します」
「ありがとう。面倒だろうけど、郵送は書留にしてね」
「わかりました。それで、一つ……いや二つお願いがあるんですが」
「どんなこと?」
「一つはこれ以上拡散しないよう、法的手段を講じて動画の削除をサーバーの所有者に依頼できないかということなんです」
「サーバーは海外でしょ?」
「カリフォルニアです」
「難しいけれど、カリフォルニアなら前例があると思う。もう一つは?」
「ナオの盗撮動画のこと……彼女には黙っていて欲しいんです」
 ボクはナオを

と呼んだことに自分でも驚いたが、木村検事はそのことには触れなかった。

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