第23話 真実の行方

文字数 3,806文字


 木村検事は大きく深呼吸した。
「畑山の供述調書の一部を読み上げるね。『あの子は——あの子というのは八木麗さんのこと——自分から乗ってきたんです。とても十六歳には見えませんでした。背も高いし、本人は二十歳だって言ってたので僕はそれを信じました』」
「なんですか? それ」とナオは怪訝な顔をする。
「原文のままだから感情を交えずに聞いてちょうだい。『お兄さんたち、薬持ってない?  と言って、僕たちのところにやって来たとき、あの子はすでに睡眠薬をやってたようです。きっともっと効くドラッグを求めていたんだと思います』」
「それがレイのことですか? 信じられない。全くのデタラメです」とナオは憤る。「レイは真面目だし、優等生だし、薬なんかやったこともない」
 木村検事はナオに強い視線を向けた。
「先を続けますね。この先は調書ではなく証言の書き起こしです。『僕は、若いのにそんな薬なんかに手を出しちゃダメだと説得しようとしたんです。でも、お兄さんカッコいいから持ってるでしょってしつこくて。よく聞いたら、藤本君の知り合いだって言うから車に乗せました。確かに性行為はしました。はじめに藤本くんが未成年だって教えてくれていたら、僕だってそんなことしませんよ。最初は男かと思ったけど、脱いだらイイ女。こういう言い方まずかったですか? まあそういうことです。それで、僕もその気になってしまいました。相手が欲しいっていうから。はい、僕の身体が欲しいって意味です。同意と言うよりこちらが押し切られた感じです。それなのにいきなり僕の股間を蹴ったりして、車中で暴れるから車から降ろしたんですよ』」
 ナオは黙って両手で顔を覆う。
「警察も検察もその証言を信じたんですか?」とボクはナオとレイの気持ちを代弁するように訊ねた。
「これは四年前の記録だから感想や意見は必要ないの。次は事件当時の参考人、藤本少年の証言。『ドラッグ持ってないか? って八木さんに聞かれました。そんなもの持ってないって答えました。八木さんは僕が畑山さんと一緒にいるのを見ていたから、あの人なら持ってると思い込んだんだと思います。畑山さんは高松にはあまりいないタイプのイケメンでしたから』。もちろん警察も検察も畑山たちの供述を鵜呑みにしたわけじゃない筈。でもその当時、被疑者の二人には前科も逮捕歴もなかったから、嫌疑不十分で不起訴になった」
「嫌疑不十分?」
「疑わしくは罰せず、或いは疑わしくは被告人の利益に——を原則として刑事裁判は行われる。だから検察は、裁判で有罪を証明できる確証を得られない限り起訴はしない。ときとして被害者に不満を抱かせることもあるけれど、それは冤罪を生み出さないために必要なことなのよ」
「でも、逆に自白を強要されて無実の人が罪になるって話もよく聞きます」と僕は疑問をぶつけた。「痴漢冤罪とか」
「取り調べで自白を強要されてしまうようなケースも確かに皆無じゃない。でも、これは全く逆のケース。私は検事になってから、刑法改正前に起きた事件の中から、強制性交に該当する可能性の高いものを一件一件掘り起こして慎重に再捜査を進めているの。この事件の法医解剖の記録によると、麗さんの死因は溺死・溺水。頭部に損傷が見られるが、傷口の付着物から海に落ちたときの傷と診断されてる」
 ナオがそっと涙を拭う姿を木村検事は見ていた。
「もう一人の被疑者——あなたを盗撮した山本は、二年前に別の事件で逮捕されてる。山本の弁護士は『不起訴となった事件で執拗に取り調べを受けたことが、盗撮犯として犯行を繰り返す遠因になった。その件で会社を解雇されたことから社会全体に恨みを抱くようになった』と主張している。でもそれは真実からはほど遠いわね。今日の証言で、山本の残虐性が明らかになってきたから。防犯カメラ映像に映ってない藤本の供述を証言として採用するには、彼がその場にいたことを証明する必要があるけれど、藤本の証言から当日の三人の行動を説明するわ」
 木村検事は一呼吸入れて、ペットボトルの水で口元を潤した。

 いよいよ本題に入る。
「畑山と山本の二名は、ビデオ撮影後も麗さんを解放しなかった。二日前に自分たちの犯行を目撃した麗さんを怖れ、オウム真理教を真似て『ポアしよう』と相談していた。山本はその日、港湾の防犯カメラが午前0時から停止することを同業者から聞いて事前に知っていた。車内で麗さんの意識が戻りそうになったため、藤本は追加の睡眠薬を麗さんの胃に流しこむ手伝いをしてる。彼らはシステムの停止時間を見計らって午前0時を回った後に現場に向かい、0時16分に到着。実は通信システムのエラーがあって、工事の作業開始が十五分以上遅れていたため、山本たちが到着したときにはまだカメラが回っていた。一分後の0時17分にシステムが停止したため、犯行時刻の映像記録は残されていないけどね。二人は藤本に手伝わせて、その日の作業のために駐車していたトラックの床下に麗さんを運び、運転席からも防犯カメラからも見えないことを確認して、左リアタイヤの前に麗さんの頭が来るようにトラックの真下に身体を寝かせた。工事は二時間以内に終わる予定だったから、麗さんが目覚める前に作業を終えたドライバーがトラックを発進させると、麗さんの頭部はトラックの後輪の下敷きになる。被害者の死体から過度の薬物が採取されて事故扱いとなり、気づかずに発進させた運転者は自動車運転過失致死罪で処罰される——とそういうわけ。実に卑劣な殺人計画ね」
「ひどい」とナオは小声で呟いた。
「なぜそこまでする必要があったんですか?」
「藤本は、麗さんが警察に行くことを怖れて畑山に相談した。でもまさか殺すとは思っていなかった、と証言している。藤本は二人と別れた後、怖くなってスクーターで現場に戻り、トラックの下から麗さんを引きずり出して、持っていた携帯を麗さんに返した。『これで救急車を呼ぶように』と言ったけれど、麗さんの意識ははっきりしなかった。誰かが話をしながら近づいてくる様子に気づいて一旦その場を離れ、再び現場に戻って誰もいないことを確認した藤本は、麗さんをトラックの近くから安全なところに移そうとした。麗さんが歩けないと判断した藤本は海辺まで引きずっていって防波堤の前に座らせた。その時に携帯に続けて着信があり、自分が捕まることを怖れた藤本は、携帯を取り上げてコンクリートの防波堤に叩きつけて海に投げた。麗さんからは『携帯を返せ』と何度も言われたが、『明るくなったら誰かに助けを求めろ。俺が助けなかったらお前はトラックの下敷きだったんだぞ』と言い残してスクーターで立ち去った」
「それじゃ、その前にレイはわたしのところに……」
「電話があったの?」
「ラインでした。今もメッセージは保存してあります」とナオは画面を開いて見せる。
「これだけ? ちょっと記録を取らせて」と言って、検事はメッセージの内容をメモしていた。「ボーイズ・ドント・クライって何かの暗号?」
「映画のタイトルです」とナオは答えた。「このメッセージの後はこちらから送ったメッセージに既読が付かなくて、電話をかけても出てくれなくて、そのうちに『電波の届かないところにいるか電源が入っていない……』ってメッセージになってしまったんです」
「藤本の証言にあった着信はあなたからなのね?」
「たぶんそうだと思います」
「藤本は、自分は麗さんを助けたんだと何度も繰り返していた」
「海に投げ捨てられた携帯は見つかったんですか?」とボクは質問した。
「麗さんが発見された後、付近の海を三日間捜索しても見つからなかったと記録されている」
「結局レイは誰に殺されたんですか?」とナオはストレートに質問をぶつけた。
「藤本の証言が真実なら、やはり事故か自殺。ただ、これは私の推測だけど、朦朧とした意識のまま立ち上がった麗さんが、携帯を見つけようと海面を覗き込んだ時にバランスを崩して防波堤から転落したという線が一番可能性高いんじゃないかな」
「やっぱりレイはわたしに連絡したかったんだ」と言いながらナオは涙を拭った。
「自殺じゃないんですね」と言いながら、ボクはほんの少し安心した。レイプされた悔しさから自ら命を絶ったとしたらあまりに哀しすぎる。
「でも、あくまでも私の推測よ」と言って木村検事は再びノートに視線を移す。「事件の翌日のニュース報道で、被疑者達は麗さんが水死体で発見されたことを知る。自動車事故ではなく海に落ちたことを畑山たちは不審に思っていた。藤本は、彼らにその夜の行動を知られたら自分も殺されると思ったと証言した。でもそれ以上に、防犯カメラに自分たちの姿やワゴン車のナンバープレートが記録されていたことに二人は動揺していた。山本はその夜の工事に立ち会った知り合いに何度も連絡して時間が遅れた理由を確認していた。ただ、そのことが捜査線に上がってきて、真っ先に山本が取り調べを受けたわけね。山本が徹底して黙秘したのは、供述の辻褄が合わなくなるのを避けるために畑山が指示していたため。シナリオは全て畑山が作り、山本も藤本も畑山の指示通りに行動した。それを今日の証言で得られたことは大きな収穫ね」
 木村検事は椅子に座り直して深呼吸した。
「以上が今日の供述記録から浮かび上がった新事実。これを真相というのはまだ早いけどね」

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