第13話 シェアハウス

文字数 2,476文字


 いくらカメラやマイクを取り外したところで、もうその場所で安心して寝起きすることなど到底出来なくなってしまった。ナオは、警察の現場検証を終えたあと、しばらく駅前のホテルに滞在することになった。
 隣人は山本信治という三十二歳の男だった。偶然なのかそれともナオを知っての犯行だったのか、同じ香川県出身というがナオには面識がなかった。盗撮は初犯ではなく岡山で逮捕歴があったが、罰金刑で済んだために前科は付かなかったらしい。しかし今回は再犯である上に、部屋に忍び込んで機器を設置した計画的犯行であるため、実刑判決の可能性が高いという。

 山本の弁護士から示談交渉を持ちかけられ、ナオはホテルのロビーで弁護士と会うことになった。ナオの頼みでボクも同席する。弁護士は、「被疑者がナオのファンであったために及んだ犯行であって悪意はない」と説明するが、個人のプライバシーや裸を覗こうと思うこと自体が立派な悪意ではないか? ナオに一方的な好意を持っていたのなら尚更のこと、悪質なストーカー行為そのものではないか。
「ホテルに泊まっている今も不安で眠れないんです」とナオは訴えたが、裁判所の証人席で好奇の目に晒されることに抵抗があったナオは弁護士に訊ねた。「裁判には出席? 出なければいけないんですか?」
「いいえ。示談に応じていただけたら、被害者の黒島さんの出廷は必要ありません。お気持ちはお察ししますが、本人も罪を償う覚悟は出来ております」
 ナオは困っていた。
「五十万円って、奪われたプライバシーの重みと比べたらあまりにも軽すぎませんか?」ボクは何も口を出さないつもりだったが、黙っていられなくなった。「もし示談に応じて、法廷で闘わずに刑が軽くなったら、その男はまた同じ罪を繰り返すことになりませんか?」
「純さん」とナオはボクを制止した。そして、弁護士の目を真っ直ぐに見つめながら自分の意志を伝えた。「示談に応じます。ただ、一つお願いがあります。動画の流出を防いでいただけないでしょうか」
 それは難しいだろう——とボクは思ったが、弁護士は意外にも「わかりました」と承諾した。
「山本は、あくまでも自分の興味本位で撮影したものなので一切拡散はしていない、と申しております。念のためプロバイダーにインターネットのアクセスログの開示を請求した上で、外部へのデータ流出も調べてもらいます」
「ありがとうございます」とナオは応えた。
 その手のサーバーは殆ど海外にある。例えばアメリカのサーバーで動画が公開されていたら、たとえ特定できても、データの削除を依頼することはとても難しい。それに、もし個人のPCやスマホにダウンロードされていたら、CIAやNSAでもない限り探し出すことは殆ど不可能……とそこまで考えて、ボクは開きかけた口を閉じた。それを伝えたところでナオを不安にさせるだけだったから。

 ホテルでナオと別れ、ボクは立川駅へ向かった。行き先は駅前の不動産店で、目的は下見を頼んでいた物件を見せてもらうためだ。一刻も早く新しい住まいを見つける必要があったが、ナオをあちこち引っ張り回すのは忍びなかったから、一人で下見してある程度的を絞ってから連れて行くつもりだった。
 駅に近い方から順に三軒続けて見せてもらった候補の中で、最後の物件だけが望んでいた条件にピッタリだった。六畳二間に広めのリビングルームの2LDKで、駐車場も完備している。しっかりしたRC造の建物は壁も厚く、周囲の騒音もほとんど気にならない。唯一のネガティブポイントは駅から遠いことだったが、自転車か自家用車で移動する自分たちにとっては、今住んでいるアパートとそれほど変わりはない。案内してくれた担当者の寺久保さんと、二時間後にもう一度見せてもらう約束をして、ボクはナオの待つホテルに戻った。
「約束したとおりこの後の時間は大丈夫だよね? ナオに見てほしいものがあるんだ」と言うと、ナオは少し戸惑い気味だったが、それが新しい住処だと知って少し安心したようだった。ホテルの部屋でナオの動画の仕上げを少し手伝ってから、ボクはナオを伴ってもう一度立川に向かった。

「お待ちしてました。時間ピッタリですね」と笑顔で出迎えてくれた寺久保さんは、三十代半ばくらいだろうか? 感じの良い女性だ。「ホームページには一昨日掲載したばかりなんですけど、今一番の注目物件なんです。今日だけで五件以上お問い合わせがあって、先ほどもお電話頂いたところなんですよ。でも、もちろんお客さまが最優先ですからご安心ください」
 寺久保さんは用意してあった営業車の後席にボクたちを乗せると、手慣れた様子でハンドルを握り、視線を動かさずに後ろの席に話しかける。
「パートナーの方もきっと気に入ってくださると思いますよ。お二人の新生活にピッタリのお部屋ですから」
「新生活……」とナオが小声で呟いた。
「あ、そう言うんじゃなくて、ボクたちはルームシェアなんです。()……」と言いかけてボクは口を噤んだ。こういうときになんて呼んだら良いんだろう? 彼女でもないし、彼でもない。ボクの気持ちを察したナオが先を続けてくれた。
「わたしたち、先輩後輩なんです。わたしが今まで住んでたアパートを急に出なきゃならなくなって、困ってたら能島さんがルームシェアの話を持ちかけてくれたんです」
「なるほど!」と、信号待ちのタイミングで寺久保さんがこちらを振り向く。「これからご案内するお部屋は、ちょうど六畳二間が全く同じ対象形になっていますから、そういうご用途にはピッタリですよ」

 目的地に着いた頃、もう太陽は西に沈みかけていたが、それでも南向きのベランダは明るく、築十五年にしては真新しく見えるその部屋をナオはとても気に入ったようだった。ただ一つ、半分に割っても今までのナオのアパートよりかなり高額になる家賃のことだけが少し気がかりだったが、それを耳にしても微笑んでいるナオの表情を見てボクは安心した。
 ナオは三日後に、ボクも三月中に引っ越すことを決め、ボクたちはその日のうちに仮契約を済ませた。
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