第27話 ワークショップ

文字数 2,129文字


 演技のワークショップで、ナオは役者としての筋が良いとか演技のセンスがあると講師陣から褒められていたらしい。中でも、映画監督の——名前を聞いても思い出せなかったからそれほど売れっ子ではない——一人からナオは特に高く評価されていた。
 ナオは自分ではあまり自慢めいたことは言わないが、少し前に会った事務所の石川さんが嬉しそうに話してくれた。

 ところが、三ヶ月間のワークショップが最後の月に入ったばかりの頃、ナオはひどく落ち込んで帰ってきた。
 見かねたボクは声を掛けた。
「なにかあったの? ボクでよかったら話を聞かせてくれる?」
 ナオは少し躊躇していた。
「事務所に相談することだと思うけど、石川さんは沖縄に出張中だし……」
「ボクじゃ解決つかないことみたいだね」
 ナオは頭を横に振った。それがどちらを意味するのか、ボクはすぐに測りかねた。
「聴くだけしか出来ないかもしれないけど、もし少しでも力になれるなら」
 下を向いたままナオはゆっくりと話し始めた。
「ワークショップで一番仲良くなった子に酷いことを言われた」
 ナオは目に涙を堪えていてなかなか先を続けられない。
「前に話してた沢渡玲奈(さわたりれいな)のこと?」
 ナオは頷いた。
 あまりテレビを見ないボクでもその顔は以前から知っていた。ナオに言われるまで名前は知らなかったが、大きな事務所に所属する玲奈にはファンも多く、すでに写真集も発売されている。そんな玲奈をレーナと呼ぶようになって、ナオはとても喜んでいたはずだった。
「レーナは焦ってるの。年内に出演する映画も決まってるから」
 ナオとは比較にならないほど玲奈は恵まれている。ティーン向け雑誌のモデルとして人気を得て、テレビドラマへの出演経験もある玲奈は、年内に準主役級で映画デビューするために特訓を受けている——とナオから聞いていた。
「なんて言われたの?」
 しばらく続いた沈黙の後、ナオは静かに語り始めた。
「『ナオは女優を目指してるって言うけど、ナオみたいな子が女優になるのって、私たち女への挑戦? それとも嫌がらせ? トランスジェンダー役専門ならわかるけど、女の役をやりたいって、それは烏滸(おこ)がましいって言うか……女優って女がやるから女優じゃないの?』って」
 その目に湛えていた涙が一気に流れ落ちた。
「こうも言われた『歌舞伎の女形もそうだけど、異性の目で観てるから女より女らしく女を演じられるわけでしょ? そんなの女優じゃないよ!』って」
 ボクは一瞬絶句した。
「……玲奈には何かあったのかな? でなければ親しくなった友だちにそこまで酷いことは言えないと思うけど」
 どんなに難しい状況でも、ナオは一度口を開くと、自分が体験したことは感情を交えずに冷静に語ることが出来る。相手の言葉や目にした状況を正確に再現する才能にボクはいつも驚かされる。
 その時も、ナオは悲しみを心の中に封印して、その日の出来事を客観的に語ってくれた。
「その日の演技指導で監督に『沢渡玲奈! いつまでやっても下手くそだな』ってみんなの目の前で罵倒されたの。『なんだ、その作り笑いの笑顔は。お前はモデルの癖が抜けきってない。これはグラビア撮影やランウェイじゃないんだぞ』って」
「殆どパワハラだね。でも、それってナオちゃんには関係ないことでしょ?」
「監督に引き合いに出されたの。『今の一連の流れ、黒島やってみろ』って言われて。凍り付いたその場で演るのも辛かったけど、終わったら『どうだ? お前の演技とどこが違うか黒島に聞いてみろ』って。その後はみんな腫れ物に触るような感じ。昼休みになってもレーナはずっと泣いてて、教室に一人で残ってたから一緒にご飯行こうって誘った。励ますつもりだったけど、わたしが声をかけたのは無神経すぎたと思う」
「そのときに言われたんだね」
 ナオはこっくり頷いた。そして目を瞑って話を続けた。
「でもその言葉、その思いは玲奈だけじゃない。たぶんみんなの本音。もし私じゃなくて他の子が声を掛けたら玲奈は立ち上がったのかもしれない。それでみんなで私の悪口を言い合って元気になるの。子供の頃から、ナオは可愛いって誰かに言われる度に、でもあの子は男だから私たちと違うのよ、って励ましあってる女の子たちを何度も見てきた」
 そんなネガティブな話はナオらしくないよ——と言いたかったが、ナオよりも遥かにネガティブな自分にはそんなことはとても言えない。
「純さん、人ってどうしてお互い傷つけ合うのかな?」
 突然の問いかけにボクは言葉を失った。実はボクは家族に傷つけられたんだ——と口元まで出掛かった体験を心の中に仕舞い込んだ。
「ナオは誰も傷つけてない」
「そんなことない。レーナはわたしのせいで傷ついた」
 涙を拭くために席を立つナオの姿をボクは見過ごせなかった。すぐに立ち上ってナオを抱き止め、その耳元で呟く。
「ナオの立場だったら、ボクも声をかけたと思う」
 ボクの肩に顔を埋めながら、ナオは声を上げて泣いた。

「おはよう!」
 次の朝、ナオはいつもの笑顔で明るく挨拶してくれた。過去のことは引きずらずに前に進む決意がはっきり伺えた。
 そんなナオへのご褒美だろうか? 全国ネットの朝の情報番組への出演オファーが飛び込んできた。

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み