第20話 観覧車

文字数 2,425文字


 香川県一の進学校は連休中のためか固く門が閉ざされていた。少し離れたところに立っている初老の男性がこちらに向かって会釈している。
「おはようございます。レイさんのお父さんですね?」とナオが先に挨拶する。
「おはようございます。遠くからご苦労さまです」と相手は丁寧に頭を下げた。「八木麗の父親の直樹(なおき)です」
「はじめまして。ナオさんの友人で能島純と言います」
「はじめまして。のじまさんはどんな字を書かれる方ですか?」と聞かれた。不思議な質問をする人だ。
「野原の野ではなく、能島城(のしまじょう)の能島です」
「あぁ、村上水軍の。それじゃ愛媛の方?」
「出身は静岡ですが、先祖がその能島水軍だったようです」
「瀬戸内の血を引いていらっしゃるんですね。それで、能島には行かれましたか?」
「いえ、まだです。いつか行ってみたいと思っていますが」
「あそこの桜は昭和の時代に植えられたものですが、なかなか美しかった。秀吉が愛でた京都の醍醐寺には敵いませんが」
「実は、最近『村上海賊の娘』を読み終えたばかりなんです」
「ほう? 私も読ませていただきました」
 この人はきっと原作を読んでいるに違いない。ボクは漫画の連載しか読んでいないことを少し恥ずかしく感じた。
「レイのお父さんは社会科の先生ですよね?」と突然ナオが言う。そんなことは先に教えて欲しい。
「お恥ずかしいほど物を知らん島の出の田舎教師です」と謙遜するが、ボクは危うく釈迦に説法するところだった。


 レイのお父さん、八木直樹さんの誘いでボクたちは喫茶店に入った。
「私があの子の名付け親なんです。若い頃に女優の大原麗子さんに憧れとったから、女の子が生まれたら麗子にするつもりでした。けど、逸美から今の時代は下に子を付けるのは流行らない言われて、『麗』と名付けたのがあの子にとっては良かった。あいつは男装の麗人そのものだったでしょう?」
「はい。でも……」とナオが切り出した。「お父さんはレイさんが校則のことですごく悩んでたことをご存じでした?」
「知っとったけど、正直そこまでとは……」
「制服が違うだけでなく、校章まで違うんね。男女で」とナオは話を続ける。「百七十四センチであのルックスやから、レイにとってスカート穿くことは屈辱的やったはずなんです」
 はじめはナオの口ぶりにハラハラしたが、二人の会話はどんどんフランクになっていく。土地の言葉には心の距離を縮める働きがあるのかもしれない。
「担任の高橋先生と連休前に話し合うたけど、麗一人のことで校則をすぐに変えるわけにはいかんって、それはあの子も納得しとったはずなんです」
 ナオは少し涙ぐんでいた。
「あの子は我慢強い子やけん、もっとこっちから話を聞いたればよかった」とお父さんも涙を拭う。
「ゴールデンウィークに引っ越すってレイから聞きましたけど、連休前にはもうお父さんのところに移っとったん?」
「四月の半ばくらいから何度か泊まりに来よった。宅急便で荷物送って越してきたんは連休の初日やったけどな」
 逸美さんから聞いた話で勝手にイメージを描いていたが、レイと父親の関係は悪くなかったようでボクは少しほっとした。
「ゴールデンウィークはレイ一人で?」とナオは尋ねた。
「最初の二日は一緒やったよ」
「それじゃ、事件が報道されたとき、お父様は高松にいらっしゃらなかったんですか?」とボクは不用意に言葉を挟んでしまう。それが目に見えない均衡を崩してしまったらしい。
「それが悔やまれるんや」と言って直樹さんは目を瞑って天を仰ぐ。「家族旅行はレイが高校に入学する前から決めとったことやし、ちゃんと留守番してるから旅行楽しんできてって言うて、麗は明るく私たちを送り出してくれた。あの子はしっかりしとるけん、一人でもちゃんとやれる思うとった。それがまさかあんなことになるとは……」
 レイのお父さんは俯きながら溜まった涙をハンカチで拭った。
 午前中は三人で四年前のレイの足取りを辿るつもりだったが、ナオもボクも直樹さんの辛そうな表情を見るのは心苦しく、その先は二人だけにしようと決めた。

 ボクたちは、下校時に港に向かうレイが藤本に制服姿を笑われたサンポート高松広場へ向かった。プルリを駐車場に駐めて辺りを歩いてみる。
 慣れないスカートを穿いたレイは、きっと誰にも顔を見られないようにうつむき加減で港に向かっていたに違いない。そして広場に差し掛かった時、よりによって一番会いたくない藤本に出遭ってしまった。それはレイにとっては憂鬱な出来事だったろう。

 その後一旦ホテルに戻ってプルリを駐車場に駐め、ボクたちは四年前にレイが藤本と二度目に遭遇した書店に徒歩で向かった。その場所でレイは「今日は男前やな」と藤本から声を掛けられたと言うが、そこは木村検事との夕方の待ち合わせ場所でもある。
 屋上に観覧車がある書店をボクは生まれて初めて見た。
 老朽化のため取り壊すことが決まっている観覧車は、この連休が最後とあって多くのカップルや親子が列を作っていた。本を買えばゴンドラに乗るチケットが貰えるという。しかし、朝からいろいろ動いたせいで空腹には勝てず、ボクたちは腹ごしらえを優先して、近くのうどん屋でこちらに来て初めての讃岐うどんを頂いた。
 昼食後、本の入った袋を手にしたボクたちは観覧車の順番を待つ列に並び、ゴンドラから高松港を見下ろした。観覧車日和という言葉があるかどうか知らないが、まるでそのために準備したような快晴の下で、「あれがわたしたちのホテル」「あそこに見えるのが屋島。上のお寺が屋島寺」「あそこに大きなフェリーが停まってるでしょ? あの向こう側の海岸でレイは見つかったの」とナオは指で示しながら説明してくれた。
 しばらく休業していた観覧車が動いているのはこの年のゴールデンウィークだけということを、ナオもここに来るまでは知らなかったらしい。偶然と言うには出来過ぎている。ここでもレイの見えない力が働いているのだろうか?

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み