第6話 心の中の巨人

文字数 2,394文字

 日曜の撮影のご褒美として、ボクは次の土曜日にナオを映画と夕食に誘った。以前モデルさんに支払ったギャラからしたら安いものだけれど、その分夕食は奮発するつもりだったし、ボクにとっては日曜の午後に叶わなかったデートの仕切り直しにもなる。
 映画好きのナオが選んだ洋画作品は、映画好きを自負する僕もノーマークだった。上映館が限られていたため、コンビニのアルバイトを終えた夕方に駅で待ち合わせして、電車で映画館に向かった。
 映画の主人公は頭にウサギの耳を着けて眼鏡をかけた少女で、自分が住む海辺の街がいつか巨人に襲われるという妄想を抱いている。彼女は周囲と摩擦を起こしながら孤独な戦いに身を投じていくが、ほんとうに闘うべき相手は自分の心の中にいる——と、そんな内容。劇場を出るときにナオから感想を求められた。
「メールにも書いたけど、ナオに教えてもらうまでこの映画のことを全然知らなかった」と前置きすると、ボクは率直な感想を伝えた。「正直に言うと、あまり没頭は出来なかったかもしれない」
「わたし一人だけ泣いてましたもんね」とナオは苦笑いした。
「でも、主演の子の演技はなかなか良かったよ」
「わたしもそう思いました。あの子まだ十五か十六」
「なるほど。好きな女優さんなの?」
「いえ。今日初めて観たし」とナオは笑った。
「それじゃなぜこの作品を?」
「ネットで予告を見ていたらすごく観たくなったんです。わたしも、目に見えない巨人と闘ってるから」
「心の中の巨人?」
「心の中にも、身体の中にも、自分の周りにもいる……巨人」
 ボクはすぐに言葉を返せなかった。

 数日前に少しまとまった収入があったので、映画のあとの夕食は寿司店に連れて行った。
「回転しないお寿司って、たぶん事務所を辞めてから初めてかも」
「と言うことは、三年ぶり?」
「そうですね。でもわたし、純さんにご馳走になっちゃって良いんですか?」
「もちろん。中トロでもウニでも好きなもの頼んで」
 中トロは好きだけどウニは苦手というナオは本マグロの三種盛りを注文し、ボクは自分で言った通りに中トロとウニを頼んだ。
「わたし、意外と食いしん坊ですよ」とナオは笑う。
「そんなに高い店じゃないから大丈夫だよ」と言ったものの、ボクの笑い顔は少し引き攣っていたかもしれない。ナオがもしテレビに出てくる大食い女子みたいに底なしの胃袋の持ち主だったらお手上げだ——と不安になったが、杞憂に過ぎなかった。
「この店は一度来てみたかったんだ。一人じゃ寂しいから一緒に来てくれて嬉しいよ」
「わたしも誘ってもらって嬉しいです。でも、お酒付き合えなくてすみません」
「全くダメ?」と日本酒のグラスを傾けながらボクは訊ねた。
「ダメですよ。未成年に勧めちゃ」
「勧めるつもりはないよ」と苦笑する。「まったく飲まないの? って意味で聞いただけ」
「二十歳になるまでは……って自分で決めてるんです」
「ほんとに真面目だね、ナオは」
「真面目かなぁ。結構オタクですよ」
「オタクは不真面目なの?」
「あ、カテゴリーが違いますね。真面目なオタクも不真面目なオタクも存在するから」
「じゃ、真面目なオタクかな? ナオもボクも」
「純さんもオタク?」
「ユーチューバーなんてオタクの代表選手でしょ?」
「ユーチューバーって……自分で認めるんですね」とナオは笑った。
「映像作家って言っても、世間の人に『どんな作品を作ったんですか?』って聞かれたら何も答えられないし、今はユーチューブが一番の収入源だから」
「純さんがユーチューバーだとすると、私はコンビニ店員ですね」
「美しすぎるコンビニ店員」
「やだ」とナオは頬を赤らめる。「やめてください、そういうの」
「そうやって照れる顔がまたかわいい」
「純さん、からかってます?」
「半分」
「半分?」
「綺麗だとか可愛いって思うのは本心だから」
「そう言ってもらえるのは嬉しいけど」
「けど?」
「本当のわたしは純さんが考えてるよりずっとおぞましいかも……」
「ナオの中に巨人がいる?」
「いつか純さんにはちゃんとお話しします」
「今日でもいいけど」
 ナオは俯いて、少し考え込んでいた。
「まだ……心の準備が出来てないんです」
「心の準備……」と言いながらボクはナオの心の中を覗いてみたいと思った。
「すみません」とナオは頭を下げる。「実はわたしから純さんにお願いがあるんです」
「ナオのお願いならなんでも、って聞く前に言うのはリスキーかな?」とボクは苦笑いした。
「あらためてこんなこと言うの恥ずかしいんですけど」と言いながらナオは真っ直ぐボクを見つめる。「わたしの友だちになってくれませんか?」
 想像もしなかった言葉に「友だち!?」とボクは素っ頓狂な声を上げた。「彼氏じゃなくて?」
「友だち」とナオは微笑んだ。
「告白した相手に『ずっと友だちでいて欲しい』って言われたことはあるけど、告る前に友だちって言われたのは初めてかも」と苦笑しながら顔を覗き込んだら、ナオは真顔で見つめ返した。
「友だちとしてわたしのことを理解して欲しいんです」
「わかった。友だちになってもモデルを続けてくれるなら」
「もちろんです」
「でも、そう言う意味ではボクたちはもう友だちだったんじゃないの?」
「純さんがそう思っててくれるなら嬉しいです」
 二人で寿司をつまみながら、ユーチューブに話題を移した。
「この間も話したけど、ナオの反響がすごいんだ。このモデルさん誰? って」
「嬉しいけど……でもちょっと怖い」
「売れることが?」
「それもありますけど。ネットってバッシングもあるでしょ?」
「ナオのことバッシングするようなヤツは、少なくともボクのフォロワーにはいないと思うよ」
「純さんにはいつかちゃんと説明します」
 それ以上詮索する気はなかったから、ボクたちは次の撮影の打合せを進めた。
 最後は仕事の話で終わったが、ボクはこの日を三回目のデートと数えることにした。
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