第15話 エイリアン

文字数 3,530文字


 ボクも引っ越しを終え、ナオと二人のルームシェアがスタートした。
 盗撮事件でナオはかなりナーバスになっていた。だからプライバシーを尊重し、当面は今まで同様に一人暮らしのペースを維持できるよう、互いの空間には極力踏み込まないルールを決めた。慣れてきたら、食事や洗濯を助け合うこともあるかもしれないが、ゴミ捨てや掃除は当番表を作って分担し、それ以外はできるだけ干渉しない約束だ。

 生活環境と共に仕事も一歩前進し、ボクは石川さんの事務所から正式に仕事を受けるこようになった。彼は約束通り地方自治体の仕事を橋渡ししてくれ、ボクが書いたシナリオをベースに制作したパイロット動画を先方はとても気に入ってくれた。ところが理不尽なことに、土壇場で地元のプロダクションに仕事を奪われてしまい、気の毒に思った石川さんはボクに別の仕事を与えてくれた。それがナオ自身の宣材動画だったから、ボクは飛び上がるほど喜んだ。アフィリエイトなどのインターネット上の広告収入ではなく、ちゃんとギャラを貰って撮影するのは自分にとって初めての経験だったし、クラゲやネコや愛車のプルリやベスパと一緒にナオの姿をフレームに収めるワンカットワンカットがボクにとっては至福の時間だった。ギャラを頂くのはなんだか申し訳なく思えたほどに。
 ボクが撮影・編集した宣材動画の効果がどの程度プラスになったのかわからないが、定時制高校卒業と同時にグッド・セーブと専属契約を結んだナオの仕事は確実に増えていった。さらに将来のドラマや映画への出演に向けて、五月の連休明けから費用会社持ちで短期集中型の演技指導を受けることも決まった。

 連休の三日前、かなり遅い時間にナオがボクのドアをノックした。
「こんな時間にすみません」と言ったままナオはドアの外に立っている。「純さんに相談があるんです」
 部屋へ招き入れようとしたボクは、二人で取り決めたルールを思い出し、ナオの後ろについてリビングへ向かった。一つ屋根の下で暮らすようになって、逆にナオとの間に距離を感じ始めていたボクは、ナオが石川社長ではなく自分に相談してくれたことが嬉しかった。
「ゴールデンウィークはもう予定埋まってますか?」と言いながらナオは紅茶を入れてくれた。
「実は何も考えてないんだ。久々にプルリでドライブしようかと思ったけど、何処行っても混んでるでしょ。ここで本でも読んでるのが賢いのかもしれないかなって」とボクは笑いながら答えた。
「のんびりしたいのにすみません」と言いながら、ナオは二人の間にティーカップを置く。
「わたし、演技のワークショップが始まる前に四国に行きたいんです。でも飛行機の予約が取れなくて」
「さすがにこの時期は無理でしょ」と言ってから、ボクは相談の真意を理解した。「もしかしてプルリで?」
「わたしも少し運転交代します」とナオはすまなそうに頭を下げる。
「休憩しながら行けば、一日で行けない距離じゃないと思うけど……」
 ボクはアイフォンのマップを開く。ルート検索の結果はすぐに表示された。
「小豆島までちょうど六六六キロ。正味十時間弱か」と言ってから、ナオの言葉を思い出した。「あれ……さっき四国って言った? 小豆島じゃなくて」
「島にも寄りますけど、そこから高松に行きたいんです。飛行機なら逆になりますけど」
「それって、もしかして?」
「五月五日が八木レイくんの命日なんです」と言ってナオは瞼を閉じた。
「なるほど。今年はその八木レイくんの年忌法要なの?」
 ナオは首を横に振る。
「亡くなったのは四年前だから、たぶんそういうのはないと思うんですけど……」長い睫の下でナオの瞳が真っ直ぐこちらを見つめている。「レイのお母さんに会いたいんです。純さんに会う一年前の五月、レイの三回忌の法要に立ち会った時に『あの子は殺された』って言ってたのがずっと気になってて」
 ボクは絶句した。ナオは静かに紅茶を啜り、ボクがカップに口を付けるのを待って話を続ける。
「レイとは小学生の時から一緒でした。わたしたち真逆だったから、最初から仲良しだった訳じゃないんです。レイは泥だらけになって男子とサッカーやってたし」
 ボクはその光景を頭の中に描きながら深く頷いた。
「わたし……五年生の時にイジメに遭ってたんです。レイはすごく大人で、苛めてた子たちを諭してくれて。それを見ていた先生がレイのことをみんなの前で褒めたの。その日から、わたしはクラスで苛められなくなった。中学に上がってからはレイとどんどん仲良くなって、勉強も教えてもらうようになった。レイは勉強だけじゃなくいろんなことを教えてくれたし、お互いの悩みもよく判ってたから、二人で先生に相談して、中二の二学期からレイは男子の、わたしは女子の制服で通うことを学校が認めてくれたんです。最初は反対した人のほうが多かったけど、レイは海外の事例とかインターネットで調べて、人権集会で弁論までしてくれた」
「人権集会?」
「学校で障害や差別について学んだり、本土から講師を呼んで講演を聞いたり、生徒達の発表や話し合いもあるんです」
「へぇ。そんなのボクたちの高校であったかな?」
「その年はレイの提案でLGBTが人権集会のテーマになったんです。レイのリーダーシップには先生達も一目置いてたし、県内模試ではいつもトップクラス。だから本土の高校に進学して国立大を目指すって誰もが思ってた。もちろんわたしもそう信じてたし。わたしは東京に行くことになって、離ればなれになったけど、レイはちゃんと高松の進学校に合格して島から通うようになったんです。でも学校の校則の問題で……レイはずっと悩んでた」
「進学校の校則って時代錯誤みたいなものも多いからね」
「男女で校章も違うんです。男は男らしく、女は女らしくっていう教育方針。レイは入学式にズボンを履いて出席したら厳しく注意されたって。仕方なくスカート履くようになって、『死ぬほど恥ずかしい』ってラインをわたしに送って来ました」
「互いに連絡は取り合ってたんだね」
「はい。それで、その制服姿を中学の一年上の藤本ツカサって奴に市内で見られたんです」
 穏やかなナオが『奴』と呼ぶには余程のことがあったんだろう。ボクの心中を察したか、ナオは説明を続けた。
「その先輩は、わたしたちのことをいつもからかってたんです。『われ、ほんまに人間か。エイリアンみたいやな』って。でも、レイはそんな言葉の暴力に絶対負けなかった。怖がるわたしに『エイリアン』の映画を見せながら、『この醜い姿こそあいつの心そのものだ。今度エイリアンって言われたら、お前こそエイリアンだって言い返してやろう』って」
「なるほど、それはナオちゃんにとって頼もしいヒーローだね」
「藤本ツカサが先に卒業して島を出て行ったおかげでやっと平和になったの。それなのに、レイは高松で制服姿を笑われて、そいつに『化け物』って言われたんです」
 ボクはその言葉に衝撃を受けた。小さな頃の記憶が津波のように押し寄せてきて、感情を抑えるのに必死だった。
「それがゴールデンウィークの直前。その後、今度は私服を着ていたときにレイはまたそいつに遭ったって。兄貴分みたいな二人と一緒にいたツカサに『今日は男前やな』ってからかわれて。お金を巻き上げられそうになったけど、レイは相手の股間を蹴って逃げたって。そこまではレイがラインで直接教えてくれました。でも、それからしばらく連絡が付かなくなって、二日後に『ぼくはボーイズ・ドント・クライのブランドンそのものだ』ってメッセージを残して完全に連絡が途絶えました」
「そのツカサって奴に殺された?」
 ナオは大きく頭を振って否定した。
「あいつはそんなこと出来るような奴じゃない。主犯格はあいつの兄貴分の二人だと思うんです。でも、どうして? 警察の取り調べを受けたはずなのに、わたしたちには名前さえ教えてくれないの」
「取り調べを受けたってことは、殺人として起訴されたの?」
「証拠不十分で起訴もされなかったって」と言うナオの目に涙が溢れる。「事故死ってことになったんですけど、おかしな事が沢山あるんです。泳ぎが得意だったレイが溺れるはずはないし、睡眠薬を飲んでたって言うけど、レイは薬を嫌ってた。第一そんな状態で港に行きますか? それも深夜の一時前に」
 ナオの目尻から大粒の涙が零れ落ちた。ボクはナオの肩を優しく叩き、そのまま背中を摩ろうとした掌を、気づかれないようにそっと遠ざけた。
「話してくれてありがとう」時計を見るともう二時近かった。「今日はこんな時間だから、もう休もうか。明日、ゆっくり四国行きの計画を立てない?」
 涙を拭いながらナオは静かに頷いた。
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