第16話 エイリアンズ

文字数 2,988文字


 ナオの目的は、まずレイの母親に会って話を聞くこと。そして、四年前に連絡が途絶えてから五月五日の朝、高松港で水死体として発見される前日までのレイの足取りを確認し、死亡時刻と推定される午前一時前後に港で花を供えてお祈りをすること。さらに、もしそれが叶うならレイを死に追いやった原因を確かめること。そのために、史上初の十連休となったゴールデンウィークを全て利用する必要はなかったから、ボクたちは連休半ばの五月一日に出発して、六日の深夜に戻るスケジュールを立てた。それなら、連休中の渋滞で足止めを食うリスクも少なくなるはずだった。
 備前市の日生(ひなせ)港から小豆島に向かうフェリーは最終が十八時半だから、食事時間を含めた休憩を考えると早朝には出発しなければならない。もし途中で渋滞に巻き込まれたら、瀬戸内海を目の前に車中泊と言う可能性もある。だから一日目は赤穗のビジネスホテルに一泊して、翌朝のフェリーで小豆島に向かうことにした。
 二泊目はナオの実家に泊めてもらう予定だが、ボクは亡くなったばかりのナオのお祖母さんの部屋で休むことになるらしいが、それも一泊だけ。ナオの家族は一週間くらいゆっくりするものと思っていたらしく、スケジュールを聞いてガッカリしたようだ。
 ボクたちは旅の三日目の早朝にはフェリーで高松港に渡り、そのまま高松に二泊する。
 帰りもナオの実家に泊まることになるが、翌朝八時台のフェリーで帰路につく予定だから、家族と話をする時間は殆どないだろう。それはあまり社交的でないボクにとってはかえって好都合だ。

 午前六時半に立川を出発したボクたちは、八王子から圏央道を経由して東名から新東名へと海沿いの道を進む。前の晩にガソリンで満腹になったプルリは、久々の遠出が嬉しいのかエンジンも快調でとても機嫌が良い。
 前のオーナーが換装していたプルリのオーディオには外部入力の端子があったから、ナビはいつものようにスマホ用アプリを利用して、そのアイフォンから音楽も再生した。ボクのプレイリストは洋楽ばかりで、ナオは洋楽にあまり興味がないのか誰の曲かを確かめることも滅多にない。
 少し早めにランチ休憩を取るため、午前中は三百キロ近い距離をノンストップで走りきるつもりだったが、ナオのリクエストに応えて御殿場でトイレ休憩を取った。ボクが運転席で待っていると、ナオが女子トイレに入っていく様子が一瞬サイドミラーに映り、見てはいけないものを目にしてしまったような罪悪感を感じた。

 新東名高速道は流れが速く、次の休憩先の浜松までは迷いようもない。
「しばらくナビは必要ないから、ナオのアイフォンをつないでみて」と言うと、ボクはボリュームを下げてプラグを抜いた。「ナオがいつも聴いてる音楽を聴かせてくれる?」
 ふだんあまり耳にしないJ―POPのサウンドがプルリの車内を満たす。もちろんボクでも一声聴けば誰か判るアーティストもいたが、ナオのプレイリストはボクにとって未知の世界だった。「これ誰の曲?」とその度にボクは訊ね、「クリープハイプ」とか、「あいみょん」とか、「米津玄師」とか、「ポルカドットスティングレイ」とナオは答え、どんなアーティストなのかを丁寧に説明してくれる。そうやって、ボクたちは互いのお気に入りの音楽に包まれながらひたすらプルリを西に進めた。

 浜松のパーキングエリアにプルリを駐めると、ナオはボクに封筒を手渡そうとした。中を確かめると一万円札が十枚も入っている。
「これ、どういうこと?」
「高速代やガソリン代、フェリーやホテルや食事代もこれで払ってください」とナオは言う。「慰謝料からなので、お世話になった純さんへのお礼でもあるんです」
「いやいや、これは受け取れないよ」
「純さん、ごめんなさい」とナオは下を向いた。「わたし、一人で行くのが怖くて、飛行機のチケットが取れないって嘘を言いました」
「飛行機のことは気づいてた。でもボクもナオと一緒に旅行したかったから、おあいこだよ」ボクは封筒から四、五枚の紙幣を取り出した。「これは多すぎる」
 ナオは顔を上げて、ボクを見つめる。
「これはわたしの人生の問題。でも、純さんの助けが必要だから、受け取ってもらえないと困るんです」
 その真剣な眼差しに圧倒されて、ボクは目を逸らした。
「早く行かないとレストランが混みはじめますよね」とナオは笑う。
 時計を見ると三十分近く予定より遅れている。
「とりあえず預かっておくけど……」とボクは渋々封筒をポケットに入れながらドアを開けた。
「お休みの日だから時間に拘らなくてもいい筈なのに、なんでみんな十二時にお昼食べるんでしょう?」
 ナオの質問には答えず、ボクはプルリのドアをロックした。
 食後のコーヒーを省略して出発したボクたちは、二時間後には予定通り大津に着き、サービスエリアの三階にある展望デッキに向かった。
「今日はこんな天気だからあまりよく見えないけど、ここからだと名神高速越しに琵琶湖が一望できるんだ」
「純さん、あの建物は?」とナオが高速道路の向こう側を指さす。
「上りのサービスエリアだよ。夜景が綺麗だろうな」
 ナオはスマホのブラウザーで何かを検索していたが、開いた画面をボクに見せた。
「上りのサービスエリアからの夜景。純さん、あそこから夜景撮りたいでしょ?」
「そうだね。でも瀬戸内海にはもっと綺麗なところがたくさんあるでしょ?」

 念のためプルリのガソリンタンクを満タンにして、ボクたちはその日最後の旅程をスタートさせた。
 スマホのナビを使うために自分のアイフォンを繋ぎ直すと、シャッフルモードにしてあったアイチューンがアルバム数枚分しか入れてないJ−POPから一曲を選んで、もの悲しいギターのイントロを再生しはじめた。ナオから聞いた話を思い出したボクが、次の曲に送ろうと画面に手を伸ばしたとき、「待って」とナオに止められた。
「この曲、前にも聴いたことがある。誰の曲?」
「キリンジって二人組。今はもう二人じゃなくなったけど……」
 じっと黙って耳を澄ませていたナオが、サビにさしかかった途端に小さな声で呟いた。
「エイリアン? エイリアンズ?」
「曲名は『エイリアンズ』」とボクは答えた。

 ゴールデンウィークとはいえその日は遠出する人が少なかったのか、途中で大きな渋滞に遭うこともなく、日没の直後に赤穂に到着した。
「天気が良かったら海に沈む夕日が見れたのに」とナオはがっかりしていたが、ボクは予定通りに辿り着けたことで一安心していた。
「でも、ドライブは順調だったよ」とボクは励ましたつもりだった。「このあと夕飯食べたら今日はゆっくり休もう」

 赤穗を選んだのに大きな理由はない。小豆島に向かうフェリーは日生から出港するが、二十キロ手前の赤穗の方がホテルもレストランも選びやすかっただけだ。駅前のビジネスホテルにチェックインを済ませたボクたちは、少し離れたレストラン街に徒歩で向かう。
「純さんすごく疲れたでしょ? わたし全然運転しなかったし」
「プルリは運転が楽だからそんなに疲れてないよ」と応えたが、ほんとうのところ肩や首はかなり凝っていた。
 後ろから肩を揉んでくれたその柔らかな指先に癒されて、ボクは幸福を感じていた。プルリを降りてから無意識に首をぐるぐると回していたことに、きっとナオは気づいていたに違いない。
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