第19話 ダブルブッキング

文字数 2,503文字


 夜七時に高松港に到着したボクたちは、先にホテルにチェックインを済ませ、徒歩で夕食に出かける予定だった。ところがホテルで問題が起きた。シングル二部屋を予約していたはずが、手違いで一部屋しか予約できていない。実のところ予約は出来ていたのだが、予約サイトのシステムエラーによるダブルブッキングで、後から予約した人が先にチェックインしてしまったらしい。ホテルは新館の工事中で部屋に限りがある上に、連休中のために全ての部屋が埋まっていた。辛うじて宿泊できるシングルの一部屋は、ベッドがセミダブルサイズのためにエキストラベッドを入れる余裕がないという。ボクが困っているとナオが交渉し始めた。
「もし一部屋に二人で泊まるとしたら、料金は何人分になります? 一人分でも高すぎるように思うんですけど」
 返答に困ったフロントの女性は電話で上司に相談する。しばらくして支配人が現れた。
「お客様、このたびは当方の手違いで大変なご迷惑をおかけしてしまい申し訳ございません。お代を頂戴するわけにはまいりませんので、もしこちらのお部屋でよろしければ、そのままご利用いただけますでしょうか」
「いいんですか?」と、交渉が成立したナオは嬉しそうだ。一方のボクは勢いに押されてなすがままだった。
「狭いお部屋で恐縮ですが、アメニティはお二人分ご用意いたします」と言うと、支配人は熨斗の印刷された封筒を差し出す。「こちらはグルメ券になっております。当ホテルのレストランだけでなく、二百店舗以上の市内の飲食店でお使いいただけますので、どうぞご利用ください」
 驚いたことに支配人自身が部屋まで案内してくれた。子供くらいの世代のボクたちに向かって深々とお辞儀する真摯な態度に、ボクは恐縮してしまった。
 部屋で二人きりになった途端、ナオは小さな歓声を上げる。
「やった! 純さん、宿泊料タダだよ」
 こういうところはまるで関西人だし、まだ子供だな——とボクはナオを眺めながら思う。
 ベッドはシングルよりは広いし、以前に借りたキャンピングカーに比べたらずっと余裕がある。でも予約するときに、それだけは譲れないとツインではなくシングル二部屋を希望したのはナオだったから、ボクはただただ呆気にとられていた。
「ナオちゃん、これダブルベッドより狭いけど」とボクは戸惑いながらベッドを眺めていた。「ここに二人で寝るんだよ。大丈夫?」
 ナオは服を着たままベッドに横たわる。
「純さん、隣に寝てみて」と言われてボクも横になった。
「ね? 余裕でしょ」とすぐ隣でナオは言う。確かに腕と腕は触れあうが身体が密着することはない。
「純さんはいや?」
 ボクはゴクリと唾を飲み込んだ。
「あ、エッチはなしだけど」とナオはちょっと困った顔をした。「そんなの無理かな?」
 そんな目で見つめられたら……自信なんて吹き飛んでしまうのに。
「無理じゃないよ。友だちだから」と言いながら、心の中で付け加えた——ナオを守るってレイと約束したから。
「良かった」とナオは安堵のため息をつく。「ほんとはね、一人になるのが怖かったの。いよいよ眠れなくなったら純さんの部屋をノックしてベッドに入れてもらおうかって、ずっと考えてた」
 はじめは冗談かと思ったが、ナオは本気でそう思っていたらしい。
「きっと、レイがこういう風にしてくれたんだと思う」

 ホテルから頂いた封筒には千円のグルメ券が十枚入っていたから、その日はホテル内のレストランで夕食を済ませた。
「わたしたち、わらしべ長者みたいね」とナオは笑うが、なんだか申し訳ない気がしてボクはそのことにはコメントしなかった。
「部屋のお風呂、綺麗だったけどユニットバスだったね。どうする? このあと」
「私ダメなの。大浴場とか銭湯とか」とナオに言われてボクはハッとした。
「ボクは朝シャワー派だけど、ナオは湯船に浸かる派だよね?」
「浴槽にお湯溜めてもいい? トイレ使えなくなっちゃうけど」
「いいよ。その代わり先にトイレ使わせてね」
「お風呂はいいの? 純さん、疲れてるはずだからほんとはお風呂に浸かったほうが良いんだけど」
「ナオの実家くらい広い風呂なら入りたいけど」
「トイレだけじゃなく、ちゃんとシャワーもしたほうが良いよ。今日は朝から一日動いて、汗かいたり外の汚れがたくさん身体にくっついてるから」

 ナオの言うとおりボクは疲れていたのだろう。先にシャワーを浴びてスッキリしたはずだったのに、ナオが風呂から出た後、お湯を流す前に浴槽に浸からせてもらったら、そのまま眠ってしまった。ナオに起こされて部屋に戻り、浴衣に着替えて冷蔵庫にしまっておいたビールを飲みはじめたら、半分も飲まないうちにベッドに倒れ込んでしまい、その後の記憶は全くない。ナオを守るなんて口だけになってしまって、ほんとに情けない。

 朝の日差しで目を覚ましたとき、ナオはもう着替えて椅子に座っていた。
「おはよう」とボクは目を擦る。
「おはようございます」と微笑む笑顔が眩しい。「純さん、赤ちゃんみたいな寝息を立てて、気持ちよさそうに寝てましたよ。おかげで昨夜は全然怖くなかった」
 五日の夜の予約も電話で仮押さえはしていたが、念のため確認しておく必要があった。朝食前にフロントで前夜の礼を伝える。支配人は外出中とのことだったが、預かっているという手紙を渡された。そこには丁重なお詫びとともに『今夜から二泊、シングル二部屋でもデラックスツイン一部屋でもどちらでもご用意致します』と書かれている。ボクたちは厚意に甘えて連泊可能だというデラックスツインをお願いし、朝食に出かけようとしたときに係の人に呼び止められた。
「よろしければ、こちらもお使いください」とまたまた朝食券を頂いてしまった。
 こちらに来てからいろいろハプニングはあるが、災い転じて福と為すの諺通り、どんどんプラスの方向に導かれていく。それもレイのおかげか? レイだけに見えない霊の力……なんて悪趣味な冗談は頭の中に留めておいて、口が裂けてもナオに言うつもりはなかったが。

 朝食を終えたナオとボクは、レイが一月だけ通った高校に向かう。そこでレイの父親と会う約束だった。

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