第2話 ユーチューバーとコンビニ店員

文字数 2,599文字


 喜びも束の間。ナオと知り合ったその日以降、コンビニの店内で姿を見なくなった。
 ATMを利用するために立ち寄った木曜の朝も、ボタン電池を買いに行った金曜の午後も、いつもなら必ずレジで見かける土曜の夕方も、いつ店に行ってもナオの姿はそこにない。気になって建物の裏手を覗いてみてもピンクの自転車はなかった。
 あの日、別れ際に名刺を渡したのがまずかったのだろうか——とボクは少し後悔していた。定時制なら名刺を持っている同級生もいるに違いないと勝手に想像したが、相手はまだ未成年の高校生だ。
 こんなとき、ボクはいつもネガティブな妄想をしてしまう。
 ——ナオは、ボクのことを意図的にサドルを盗んで近づいたストーカーと思い込み、怖くなって店を辞めてしまったのではないか?
 そもそもストーカーなら名刺は渡さないと思うが。

 日曜日になってもナオは店に現れなかった。思い余ったボクは、店のマネージャーに訊ねてみた。
「黒島さんね。実家からお祖母ちゃんが危篤だって連絡があって、四国に帰ってるんですよ。明日はシフトに入ってるから、もし来れなくなったら夕方までには連絡があるはずです。あの子はそういうところきっちりしてるから」
 ほっとすると同時に、病的なほどの自分の心配性が可笑しくなった。店を後にするとき、自然に笑みが零れてきて慌てて戒める。ナオのお祖母さんは大丈夫だったのだろうか。

 その日の夕方近く、見覚えのない携帯番号からショートメールが届いた。
『突然のメッセージですみません。水曜日はありがとうございました。実家に帰ったのでしばらくお休みしてました。今高松空港から帰りの飛行機に乗るところです。帰ったら相談させていただきたいことがあるのでまた連絡します NAO』
 ボクは、何の相談だろう——とワクワクしながらすぐに返信した。
『お祖母さん大変でしたね。帰りは気をつけて。今日なら予定空いてますから、帰ったら連絡ください JUN』

 フライト中なのかメッセージはいつまでも開封済みにならず、空が暗くなり始めた頃にスマホの呼び出し音が鳴った。
「こんばんは。ナオです」
「良かった……。今どこから?」
「羽田です。これからリムジンバスに乗りますけど」
「じゃ、立川でどうですか?」

 立川駅の北口でボクはナオを出迎えた。
「今日はすみません。突然相談なんて」
「それより、お祖母さんはどうだったの?」
「メールにもありましたけど、どうしてお祖母ちゃんのこと知ってるんですか?」
 ボクは一瞬言葉に詰まったが、正直に打ち明けた。
「何日も姿が見えなかったから、心配になってマネージャーに訊いたんだ」
「そうだったんですね。心配させちゃってごめんなさい、お祖母ちゃん、わたしが病院に着いたら意識が戻って、少し話も出来るようになったんです」
「それは良かった。お孫さんのパワーで生き返ったんだね」
「すぐに帰ろうとしたら、家族が週末までいなさいって」
「実家は四国なんだね」とボクは尋ねた。親戚縁者がいるわけではないが、多少馴染みがある。
「瀬戸内海の小豆島なんです。これお土産……」とレモンケーキをボクに手渡し、ナオは照れくさそうに俯いた。「空港で買ったから、島のお土産じゃないんですけど」
「ありがとう。実はボクの先祖も瀬戸内海の能島(のしま)っていうところの出身なんだ」
「へぇ? それで能島(のじま)さんなんですね?」
「こういうのって目に見えない縁なのかな?」とボクが言うとナオは微笑んだ。なぜだろう? ナオの笑顔を見るとボクは胸の奥が締め付けられるほど切なくなる。

 駅ビルの八階でお好み焼きを食べながらナオは自分の身の上を語り始めた。
「十五でスカウトされて一人で東京に出て来て、半年で契約解除になっちゃったんです」
「それでも実家に帰らずに一人で頑張ってきたのか」
「今年でもう三年ですよ。もうすぐ十九だから焦りもあるんですけど、高校卒業したら俳優の養成所に通うつもりなんです」と見つめる眼差しにはいつになく力が籠もっている。「わたし、女優になりたいんです」
「君くらい可愛かったらなれると思う」とボクは軽い気持ちで言ってしまった。
「それ本気で言ってます?」と言うと、ナオはバッグの中からかなり年季の入ったDVDを取り出した。「自分が生まれた頃の映画ですけど、わたしにとって大切な思い出の作品なんです」
「『ボーイズ・ドント・クライ』——ヒラリー・スワンクがアカデミー賞取った映画だね」
「やっぱりご存じでしたね」
「実はちゃんと観たことないから今度観てみるよ」
「それじゃこれを観てください」とナオはDVDをボクに渡した。「わたしは中三の時に親友とレンタルで観たんですけど、東京に来てからまた観たくなって、その頃のマネージャーさんから頂いたんです」
「大事なDVDをありがとう。帰ったらすぐに観せてもらうね」
「ありがとうございます」
「ところで、相談って?」
「頂いた能島さんの名刺……」と話し始めたナオを遮ってぼくは言う。「純で良いよ」
「はい。純さんの名刺に映像作家って書いてあったから、実家のPCで見せてもらったんです。ユーチューブにたくさん動画があるんですね。ビックリしました」
「ありがとう」と言いながら頬が緩んだ。あのとき名刺を渡したのは間違いじゃなかった——と、やっと自分を肯定することが出来た。
「名刺にユーチューバーって書いたら良いのに」
「ユーチューブは副業みたいなものだから。そこそこの収入にはなってきたけど、機材やソフトの紹介動画ばかりだから自分が作りたい作品からはほど遠いし。それで、実はボクからもナオちゃんにお願いしたいことがあるんだ」
「なんですか? わたしで出来ることなら」
「その前にナオちゃんの相談を聞かないと」
「はい」と、ナオは姿勢を正した。「純さんのユーチューブに、モデルさんを撮影してる動画がありますよね?」
「もしかして?」
「わたしをモデルに使ってくれませんか? もちろんノーギャラでいいので」
「まいったなぁ」
「ダメですか?」
「そうじゃなくて、ボクは、ギャラはあまり払えないけど、モデルになってくれない? ってお願いしようと思ってたから」
「ホント!? 嬉しい!」
「でも、ほんとにノーギャラで良いの?」
「もちろんです!」
「交渉成立だね。それじゃ出演料の代わりに黒島ナオのプロモーションビデオを作るよ」
 ボクはその日の夕食を一回目のデートとして数えることにした。
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