第28話 ランウェイ

文字数 2,764文字


 運も実力のうち——という言葉があるが、事務所の名前グッドセーブに反して「ナイスシュート!」と言いたくなるほど幸運が重なって、ナオのテレビ出演は決まった。
 所属する三人の新人タレントの売り込みのため、石川さんがアポを取ったテレビ局のディレクターが偶然ナオのビデオブログのファンだった。そのディレクターが以前に担当していた情報番組の準レギュラーが沢渡玲奈だったことから、ワークショップでの二人の様子を取材することがその日のうちに決まった。自宅でのオフの様子も録りたいとのことで、撮影クルーは立川まで訪れ、期せずしてキー局の外注先プロダクションがナオの紹介ビデオを制作してくれることになった。

 自宅での撮影にはボクも立ち会わせてもらった。正直、こんなに雑でいいのか……と呆気にとられるほど良く言えば手際よく進み、撮影はあっという間に修了してしまった。
 ワークショップでの撮影も順調だったらしいが、撮影スタッフと旧知の仲だった沢渡玲奈は取材を機にナオへの態度を一変させたらしい。ナオへの謝罪は「この間はひどいこと言ってごめん」の一言だけだったと言うが、きっと玲奈は自分がイニシアティブを取れたことで心の平静を得られたのだろう。

 三ヶ月のワークショップも終了し、いよいよナオが全国ネットで紹介される日がやってきた。
 午前六時四〇分、司会者がナオのビデオブログを紹介すると、続いてナオのプロフィールとして、生い立ちや日常を一分四〇秒にまとめた映像がオンエアされた。
 そしてカメラが、まだ空が暗いうちからずっと待機していたナオの姿を捉えた。その表情は柔らかく、ナチュラルメイクは朝の番組にピッタリでとても初々しい。司会者とのやりとりはほんの二言三言だったが、前日から胃が痛むほど心配していたボクとは対照的に、ナオは作り笑いではない本物の笑顔を全国に届けた。
 出番が終わっても、残り時間をスタジオの隅に用意された席で過ごしていたナオの姿はときどき画面に映っていた。番組修了まで気が抜けないだろうとボクは一人でハラハラしていたが、ナオはきっちり最後までその日の務めを果たしていた。

 ナオは一日にして有名人になり、日頃「テレビなんてオワコンだよ」と言っていたボクもその影響力の大きさを再認識した。インターネットの検索ワードには「黒島奈緒」がランクインし、オンエアの日は事務所の電話が鳴り止まなかったという。
 端役とは言え、ナオはテレビドラマの出演も決まり、CMの仕事も複数の依頼が来た。翌年に2020東京オリンピック・パラリンピックを控え、差別や偏見をなくそうと声高に叫ぶマスコミや企業にとって、一見美少女にしか見えないナオの起用は、LGBTQに理解があることをPRするには恰好の、そしてとてもハードルの低い一歩になる。それはナオにとってチャンスになる反面、話題作りが先行してナオの女優としての未来には却ってマイナスになるんじゃないかと、心配性のボクは思ってしまう。
 そんな八月以降、スポンサーやテレビ局と交わした守秘義務もあるのか、ナオはボクに仕事のことをあまり話さなくなった。


 初めてのテレビドラマ出演はほんの一瞬で、台詞も一言だけのエキストラに近かったが、続いて出演したテレビのバラエティ番組では、お笑い芸人とペアを組んで参加したクイズコーナーで身体を張った罰ゲームをやらされていた。夏休みだけに小さな子供への受けを狙った企画かもしれないが、ナオを選ぶ必然性のない番組への出演にボクは不満を持った。

 テレビ局や広告代理店にいいように使われ、ナオが食い物にされてしまう恐ろしさを感じたボクは、社長の石川さんに直談判した。
 少し強引にアポを取って事務所を訪ねたボクの話を、石川さんはコーヒーを入れながら黙って聞いてくれた。
「言いたいことはよくわかった。でもその心配は杞憂だよ」とボクの前に来客用のカップを置き、石川さんは遠慮するなと顎でサインを送って自分のマグカップに口を付けた。「何から話したら良いのかな?」
 しばらく考えていた石川さんは、思いついたようにこんな話を始めた。
「昔、同業者から聞いた話だけど……。今は沢山のタレントやアーティストを抱える大手芸能事務所の話。老舗の芸能事務所から独立したときは、たった一人のシンガー・ソングライターしか所属していなかった。ところがそのたった一人のアーティストが事務所を辞めることになってしまい、代わってコンテストで入賞したばかりのアマチュアバンドのプロデビューをサポートすることになった」
「アマチュアバンドですか」
「その当時はまだ無名のね。でもそのバンドの、特にリーダーだったボーカリストの実力には音楽業界の人々も注目していたんだ。ところが、彼らは音楽そのものよりも話題作りを優先するような売り方で芸能活動をスタートした。『せっかく実力があるのに勿体ない』とか『うちの事務所ならもっとちゃんとアーティストとして売り出すのに』と批判が絶えなかったそうだ。ところが彼らは、『あんな売り方をしたら半年後には消えてしまうだろう』という周囲の心配を余所に、自分たちのペースで活動の幅を拡げていって、有無を言わせぬ実力で日本を代表するアーティストになった。事務所も彼らの成功と共に発展して、今では最大手の芸能事務所になった訳。その話をしてくれた同業者は『才能が周囲の常識を遥かに上回っていたんだ』って言ってたよ」
 石川さんはコーヒーを一口啜るとニヤリと笑った。
「大谷翔平もそうだろう? 最初は誰もが、『プロ野球の世界で、二刀流なんて絶対に通用しない』って言ってたよね?」
「今の話、要するに売り方がどうあれナオの女優としての実力はそれらすべてを上回ると、そういう意味に捉えていいんですか?」
 石川さんはニコニコ笑いながら「その通り」と頷いた。
「社長がそこまで言うなら……」とボクは納得したが、話題の主が気になった。「ところで、そのアマチュアバンドのボーカリストって誰ですか?」
「サザン・オールスターズの桑田佳祐だよ」
 そう言われたらボクにはもう言葉がなかった。


 八月に撮影した梅酒のCMがテレビ画面に登場するようになった九月、ナオは東京ガールズコレクションに出演した。
 さいたまスーパーアリーナの広大な空間にも臆することなく、堂々とランウェイの中央を歩くナオの姿。百六十四センチの身長は、長身なモデル達の中だと全く目立ないが、堂々としたウォーキングは何年もモデルを経験している女神たちにまったく引けを取らない。ランウェイには滑走路の意味もあるが、ナオはこのランウェイから手の届かない世界へと飛び立っていくのではないか? と、自分で描いた妄想に一抹の寂しさを感じながら、ボクはナオが放つその輝きを網膜に焼き付けた。

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