第21話 キャンドル

文字数 2,273文字


 ボクたちはもう一度ホテルに戻った。まだチェックインの時間には早かったのでロビーのソファに腰掛けると、今朝応対してくれたスタッフが声をかけてくれた。前夜の三倍以上広いデラックスツインの部屋に案内されたボクたちは、広いベッドでしばらく休憩し、約束の時間より二十分早く到着できるようにホテルを出発した。
「純さん、こんなに早く出る必要なかったでしょ?」とナオは言う。
「書店で本を買う時間が必要だから」
「本ならさっき買ったのに」とナオは不思議そうな顔をする。
「何も買い物しないのに車を駐めてたらお店にとって迷惑だし、ルール違反でしょ?」
「え? それでこれからまた本を買うの!?」とナオは笑い出した。

 最初に入店したとき、地方都市の書店とは思えないほど在庫が豊富なことに驚いたボクは、下見しておいた売り場を真っ直ぐに目指す。手に取った三冊の本の支払いを済ませ、木村検事が待ち合わせ場所に指定した出入り口に向かうと、ゴールデンウィークには珍しくパンツスーツ姿の女性が立っていた。その人が手にしていた携帯の画面にタッチしたタイミングで、ナオのスマホが鳴った。間違いないと確信したボクは先に会釈し、電話に応答したナオがすぐ後ろから頭を下げた。
「黒島さんですね?」と、その人はナオに向かって声を掛けた。
「はい。よろしくお願いします」
「こちらの方は?」
「東京から一緒に来てくれてる能島さんです」
「能島純です。よろしくお願いします」とボクも挨拶した。
「高松地方検察庁の木村有紗です」という挨拶とともにレイの家で見せて貰ったのと同じ名刺をナオに手渡した。
「ここで二人は再会したんですね?」と彼女はナオに訊ねる。「八木麗さんと参考人の少年」
「はい」とナオは答えた。「この場所でその藤本君にからかわれて、お金を巻き上げられそうになったレイは逃げたんだと思います」

 木村検事は周辺の様子を続けて何枚か撮影した。その後、三人でレイが辿った道を歩くつもりだったが、二日後にレイが水死体で発見された場所までは徒歩で移動するにはかなり遠い。ボクたちはプルリを書店の駐車場に駐めたまま、木村検事が乗って来たライトブルーの軽自動車で現場に向かった。
「この四月に高松地方検察庁に配置されてから、一昨年の刑法改正に基づいて起訴が妥当と思われる事件を調査しています」とハンドルを握りながら話しはじめた。「検察で一度不起訴にした事件の公訴を提起することは極めて希なんですが、八木麗さんの件は見逃すには不審な点が多すぎます。事件の被疑者だった二人はその後別の事件で逮捕されて、一人は服役中、もう一人も勾留中ですから、今こそ真実を証すべきときと考えています」
「容疑者は二人とも捕まったんですね」とナオはホッと安心した表情を見せた。

 レイが最後に発見された場所は、対岸に屋島を望む高松港の最西端。周囲には物流倉庫が建ち並ぶが連休中のためか人の姿も疎らで、おそらく夜は全く人気のない所だろう。
「レイの遺体は、ここに着いた輸送船の人に発見されたって聞きました」と言いながら、ナオは目を細めて海を眺めている。
「そのようですね」と木村検事は頷いた。「記録にもそうありました」
「今夜、死亡推定時刻の午前一時過ぎに、わたしたちもう一度ここに来てレイにお花を捧げたいんです」とナオはその晩の計画を伝えた。
「私も来て良いかしら? ご迷惑でなかったら」と検事は言う。「その時間帯の周辺の様子も確認しておきたいですし」
 断る理由は何もなかったから、午前一時にこの場所で——と約束し、木村検事は周囲の様子を何カットか撮影した後、ボクたちを書店の駐車場まで送ってくれた。

 深夜、そっとホテルを抜け出したボクたちはプルリで約束の場所へ向かった。
 現場近くでヘッドライトが人影を照らす。木村検事が来ているのかと思って近づくとどうやら男性らしい。こちらに背を向けるようにしゃがみこんで何かしていたが、慌てて逃げるように去って行った。
「純さん! 花」とナオが言うのでプルリを駐めて降りてみると、男がしゃがみ込んでいた辺りの防波堤に白菊の花束が立てかけられていた。そして線香が一本、その赤い先端から細く白い煙が力なく漆黒の空に消えていく。
「誰だろう?」と呟きながらボクはなんとなく予感していた。
「もしかしたら」とナオも呟く。
 そのとき、人影が消えていった道からヘッドライトが辺りを照らした。木村検事の軽自動車だった。
「今、このクルマの脇を自転車がすごい勢いで走って行ったけど」と彼女は運転席に乗ったまま窓越しにボクたちに尋ねた。「あなたたち見た? 藤本司だったでしょ?」
「このクルマを見て逃げ出したみたいです」とボクは伝えた。「きっと誰にも見られたくなかったんでしょう」
 ナオは、レイをイメージしたバラの花束と、レイが好きだったお菓子をその場所に供えた。持参したキャンドルを立てて火を点すと、正面に小さな香炉を置く。
 海に向かって三人で合掌を手向け、一人ずつ順番に線香を立てた。ナオはすでに短くなっていた道ばたの線香も一緒に香炉に入れた。
 ナオに続けてボクも再び合掌すると、検事さんは隣でじっと黙祷している。ボクも静かに目を閉じた。
「やっぱり藤本だったね」とボクが最初に口を開いた。「でも、ナオは優しいね」
「少しは反省してるのかな?」と悲しそうにナオは首を傾げる。
「明日の朝連絡を取ってみますよ。事件の重要参考人ですからね。そのあとは任せてください」と言ってくれた木村検事の彫りの深い横顔は、キャンドルに照らされてとても神々しく見えた。
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