第25話 ポーチドエッグ

文字数 2,027文字

 高松での三日目の夜、街に食事に出たあとは真っ直ぐホテルに戻って翌朝のスタートのために十一時過ぎにはベッドに入った。けれどもボクはなかなか寝付けなかった。一日で七百キロの距離を運転するためには充分睡眠を取らなければ……そう思えば思うほど肉体的疲労と反比例するように目が醒めてくる。
 中学三年のときに睡眠障害で心療内科を受診して以来、いったいどれほどの睡眠導入剤を身体に摂り入れたことだろう? その後はずいぶん改善して、ここしばらくはドリエルなどの改善薬しか飲まなくなっていたが、ボクはこの旅行の荷物に眠剤を入れて来なかったことを後悔していた。急に薬が必要になるときはたいてい薬局が閉まっている時間帯なのだ。

 時計の短針が二時を回った頃、隣のベッドに視線を移すとナオがじっとこちらを見つめていた。
「純さんも眠れないの?」
「ナオも?」
 ナオは静かに頷くとボクにこう言った。「そっちに行っても良い? わたし、怖くて眠れない」
 ボクはそっと掛け布団の端を持ち上げてナオをベッドに招き入れた。左腕でナオの肩を抱き留め、その背中を静かに摩ると華奢な背中は小刻みに震えている。
「映画のレイプシーンを思い出しちゃって……」と嗚咽するナオをボクは両手で強く抱きしめた。
 やがて硬くなったボクの先端がナオの下腹を衣越しに刺激すると、ナオのそれもはっきりと感じられるようになった。もう決して逃げないと誓ったボクは更に強く抱きしめる。ナオの頬に微かな模様を描く涙を濡れた舌先で拭うと、瀬戸内の潮の味がした。

 翌朝、ホテルの朝食が準備される前にボクたちは出発した。支配人はまだ出勤前だったから、ボクとナオはホテルのレターセットにお礼の言葉を書き残し、フロントのスタッフに託した。
 コンビニで買ったパンで簡単な朝食を済ませ、帰路はもう小豆島に寄らずに、ボクたちは淡路島経由でまっすぐ東へ向かった。こどもの日の振替休日にあたる六日は連休最後の日とあってそれなりの渋滞を覚悟をしていたが、すでにピークは過ぎていたため道中は意外とスムーズだった。一度の休憩だけで甲南パーキングエリアに着いたボクたちは、まだレストランが空いている午前中に忍者の里で昼食休憩を取った。
 その後ナオにハンドルを託して助手席に身を沈めると、ボクはウトウトと眠り込んでしまった。目を覚ましたのは浜松のサービスエリアで、スマホ用のナビを見たら二百キロ近く先に進んでいた。
「ずいぶん長く運転させちゃったね」と目を擦りながらナオに詫びる。「気づかなくてごめん。もっと早く休憩してくれたら良かったのに」
「純さん、気持ちよさそうに眠ってたし」とナオは微笑む。「起こしちゃかわいそうだと思ったから」
「ナオのドライブがスムーズだったからかな?」と言うとナオは照れくさそうに笑った。
「わたし、こんなに長く運転したことなかったけど全然疲れなかった。プルリのおかげかな?」
 念のためにガソリンタンクを満タンにして浜松を出発し、途中何度か休憩しながら八王子インターに着いたとき、空はまだ明るかった。

 いつもの駐車場にプルリを駐め、久々に部屋に戻ったボクは熱いシャワーで身体の汚れと汗を洗い流した。冷蔵庫からキンキンに冷えた缶ビールを取り出してソファに座ると、ナオはそれをグラスに注いでくれる。
「純さん、お疲れさま!」と労ってくれるナオのシャンパングラスはすでに炭酸水で満たされていた。
「ナオちゃんもお疲れさま!」
 ボクたちは乾杯し、帰りにテイクアウトしたピザを分け合った。
「そうそう、預かった軍資金、まだ沢山余ってるからナオに返さないと」と立ち上がろうとするボクをナオは制止した。
「そんなのあとでいいじゃない? 今日はゆっくり休みましょう」とボクを見つめる。「明日から少し忙しくなるし」
 ボクが見つめ返すとナオは視線を逸らして立ち上がった。
「わたし、お風呂入ってくるね」
 ナオを見送ったあとボクはそのままソファで眠りについてしまった。気づいたとき、照明が落とされた部屋にナオの姿はなく、ボクの身体には毛布が掛けられていた。ありがとう……と心の中で礼を言い、自分のベッドに戻らなきゃと思いながら、そのまま朝まで眠り込んでしまった。

 活気づき始めた街のノイズで目を覚ましたとき、もうナオは出かけた後だった。食卓にはクロワッサン、それにサラダとポーチドエッグが並んでいる。そんなことは初めてだったが、まったく気づかなかった。きっと眠っているボクを起こさないために、音を立てないよう気遣いながら作ってくれたに違いない。
 ボクはテーブルに置かれていた二つ折りのメモを開いた。

『おはようございます
 コーヒーも入ってます
 料理あまり上手じゃないから簡単なものでごめんなさい
 これから事務所に行ってきます
 あしたから演技指導がはじまるのでちょっと緊張してますけどわたしは元気です
 純さんにはすっごく感謝してます
 もう泣かないから安心してください
 ナオ』
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み