十二月十八日/学校、図書室、帰宅

文字数 1,748文字

 起きた時には、もうお父さんは居なかった。仕事で朝早くに出かけた様子はなかったから、深夜の僕が寝ている間にどこかに行ったのだろう。
 かなり酔っ払っていたから、出先に泊まっているのだろうと予想はできた。
 冷凍庫の中身を確認する。冷凍してあるお米はまだ少し残っていた。ラップが巻かれたままのそれを電子レンジに入れてら温めボタンを押す。そのまま洗濯機も回した。居間に散らばった物を掃除して、学校に行く準備をする。
 しばらく放置していたレンジ内のご飯はかなり溶けていた。塩を少しかけて齧る。中心部はやはり凍ったままでシャリシャリしていたけれど、何とかお腹は満たすことができた。
 止まった洗濯機の中から洗濯物を取り出し、外に干す。昨夜までの雨のせいで湿度が高く、うっすらと霧がかかっていた。
 今日は一日中、よく晴れる予報だ。
 洗顔と歯磨きをして、押し入れから服を取り出す。用意しておいたランドセルを背負うと、僕は家の鍵をかけて学校に向かった。
 外の冷たい空気が、額の傷に沁みた。

 当たり前だけれど、午前中に僕に話しかける人はいなかった。見ても見ないふり。真新しい額の傷にはみんな気づいていないはずはないけれど、それについてクラスメイトや先生に問われる事はなかった。
 気が楽だ、と僕は思う。言い訳を考えなくて済むからだ。怪我をしても、お父さんに何かされたとは言ってはいけない。そういう、ルールだった。
 授業の後、黙々と僕は給食を食べ終えた。片付けをして教室を出ようと立ち上がる。今日も図書室で過ごすつもりだった。教室入り口の扉を開ける。
 何となく視線を感じ、半身だけ僕は振り返る。すると、クラスメイト......最近図書室で話している彼女が、じっと僕を見ていた。
 一瞬、声をかけようと悩んだ。しかしきっと人がいる場所でそんなことをすれば、彼女に迷惑がかかるのは明白だった。
 他人から見れば下を見たのか判断のしにくい程度の会釈を返すと、僕は教室の扉を閉めた。

 僕が図書室で本を読み始めて数分後、彼女は現れた。いつも通りに本を持って僕の隣に座る。だが昨日とは違い、本を開く前にメモを渡してきた。急ぐように。
『額の傷、どうしたの?』
 メモにはそう書かれていた。キャラクターが話しているような可愛い書き方ではなく、メモに殴り書きした感じの文字だった。
「......」
 僕はそれを眺めたまま、少し考える。言い訳しなくて済む、なんて朝考えていたけれど。彼女に聞かれる可能性をすっかり忘れていた。
 でも、学校でお父さんの事を話すわけにはいかない。お姉さんにはあの雰囲気と場所のせいでついこぼしてしまったけれど。お父さんとのルール違反だし、話してもし学校中に広まってしまっても困る。
『昨日、玄関で転んだ時に擦った。もう痛くないから大丈夫』
 さらさらとそう書いて、返す。彼女はメモを受け取ると一瞬、不審そうな顔をしてそのメモを読んでいた。更に聞かれたらどうしようと僕は不安になる。
 が、それでも一応納得したのか、彼女がそれ以上僕の額の傷について問う事はなく。
 いつも通り、メモをやりとりしての無言の雑談を済ませ、僕らはバラバラのタイミングで教室に戻った。
 
 帰り道。
 日が落ちかけて冷え切ったアスファルトを歩く。雨も降っていないし、今夜は神社に行きたいと思った。
 お父さんが早く帰ってきていないといいな、と思いながら僕は家路を急いだ。辿り着くと、不安と全力疾走での疲れが入り混じった嫌な心臓の鼓動で胸が苦しくなる。
 鍵を回して、かちゃりと扉を開ける。当たり前のようにお父さんは居なかった。帰ってきた様子もない。
「......はぁ」
 思わずため息が漏れる。家事を頭の中でリストアップしながら、奥に進む。ランドセルをしまう。
「......」
 何だか、いつもより疲れている気がした。嘘をつくのは、心を削る行為だ。学校でも話せる相手が多ければいいのにと願っているのに、その反面僕は嘘をついている。
 とても悲しい事実だった。でも。
 お父さんとのルールを破るわけにはいかなかった。
 慣れていても、また叩かれるのは嫌だった。
 部屋の寒さが、額と両腕に沁みて痛い。頭を振って考えを振り払うと、まずは洗濯物からやっつけようと僕は立ち上がった。

 
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