十二月十六日/幸せの木へ
文字数 2,010文字
学校から帰ると、お父さんはもう家にいた。周りには中途半端に中身の残ったお酒の缶が何本も置いてある。今日はお仕事から早く帰ってきて、そのままお酒を飲んでいたんだろう。
テレビの下の棚を開ける。中にお札は一枚もなくて、五百円が一枚とあとは小銭が散らばっているだけだった。
どうしよう、と僕は悩んだ。これだとお弁当が買ってこれない。起きた時にお父さんがお腹が空いていたら、準備をしていないと怒られてしまう。
少し悩んだ後、僕は冷凍庫から冷凍したお米の塊を取り出した。レンジで解凍して、温まったそれを使っておにぎりを二つ作る。
冷蔵庫の中はほとんど空だった。残っていた梅干しと、キッチンにある塩を取り出して味付けをした。お父さんはだいぶ酔っ払っていたから、梅干しを喜んでくれるかもしれない。
手についたお米を食べて、僕の夕食は終わりだ。手を洗い、お父さんの周りのお酒の缶を片付ける。洗濯物を畳んで衣装ケースにしまう。
まだお姉さんと会う時間には早かったので、今のうちに宿題を済ませようと決めた。僕が宿題の提出を求められる事はないし、授業で先生に答えるように言われることもないけれど。
勉強はしておくべきだし、クラスのみんなが宿題をする決まりなら僕もそうするべきだと思った。
それから一時間くらい、僕は宿題と勉強をした。
時計を見ると、少し早いけれどそろそろお姉さんに会える時間だった。
鍵を持って、僕は家を出る。
出がけにお父さんを見ると、一時間前と変わっていなかった。下着姿のまま、電源をつけっぱなしのエアコンの前で寝ている。風邪を引かなければいいなと思った。
今日もお姉さんは先に着いていた。幸せの木の前にしゃがみ込んで、腕から流れる血を飲ませている。わかってはいても、見るたびに痛くないのかと心配にはなった。
僕はお姉さんに近づく。お姉さんは顔を上げてにこっと笑うと、左手を木の上に差し出したままで、右手だけで器用に隣に置いてあるバッグから何かを取り出した。
「はいこれ、あげる」
顔の前に出されたお姉さんの手の上には、薄いビニールに包まれたクッキーが乗せられていた。手作りなのか形はあまり良くないけれど、とても美味しそうだった。久しぶりの甘い物の匂い。お腹が鳴りそうになって、僕は両手でお腹を押さえる。
「......お姉さんのでしょ? お姉さんが食べた方が良いよ」
物を欲しがったりねだるなんて、カッコ悪いからやめろ。お父さんが決めたルールだった。だから僕はそう言って断る。
けれど、お姉さんは首を振った。右手を僕の前から動かそうともしない。
「いいのいいの。今日、母親が家で友達とパーティーしてたのね。それでクッキーとか焼いてたんだけど、流石に食べきれなくて......捨てるのもちょっともったいないから、良かったら食べて」
美味しくなかったら残しても良いけど、と眉をハの字にしてお姉さんは僕に頼む。そう言われてしまうと、何となく僕も貰っても良いかなという気持ちになれた。欲しがったわけじゃなくて、お姉さんの都合で頼まれたのなら。
両手でクッキーを受け取る。本当にお姉さんは優しい。久々に食べるお菓子は、涙がこぼれそうになるくらい美味しかった。
目を赤くしてクッキーを食べる僕を、
「自らが 幸い君が さいはひの つゆも変わらぬ ものにてあれかし」
そう呟きながら、お姉さんはじっと見ていた。
今日は学校で、久しぶりにクラスメイトと話せた――と言っても、手紙が置いてあっただけだけれど――ことを、お姉さんに話した。お姉さんは大げさに驚いた顔をしながら、
「へえぇ、良かったじゃない! 少しずつでも、そうしてまた話してくれるお友達が増えるといいわね」
と、僕を祝ってくれた。
「うん。半信半疑だったけど、幸せの木って凄いなって思った。まだ出会って三日目だけど、もう僕に幸せを分けてくれてるんだもの」
僕は本心からそう言った。
ここでは、間違っているか怯えながら話さなくてもいい。それも、僕にとっては幸せなことだった。思ったことをそのまま話しても、無視したり叩いたりする人はいないから。
ジョウロで水をあげる。葉に垂れていた血が、水と混ざり合って地面に染みこんでいく。幸せの木が、美味しそうに水と血――幸せを飲み込んでいくように、僕には見えた。
今日も学校で起きたことや楽しかったことをお互いに報告しあった後、木のお世話を終えて僕たちは帰った。お互いに
「じゃあまた明日ね」
「うん、また明日!」
と、約束しあって。まるで、友達みたいに。
明日が楽しみだった。
学校でまた手紙で話ができるかもしれない。
またお姉さんと木のお世話もできる。
帰って布団に入った後、僕はすぐに眠りについた。
今日は目を瞑った後、教科書を読み返したりしなかった。
いつ起きるかわからないお父さんに怯えたりもしなかった。
早く明日になって欲しかったから。
テレビの下の棚を開ける。中にお札は一枚もなくて、五百円が一枚とあとは小銭が散らばっているだけだった。
どうしよう、と僕は悩んだ。これだとお弁当が買ってこれない。起きた時にお父さんがお腹が空いていたら、準備をしていないと怒られてしまう。
少し悩んだ後、僕は冷凍庫から冷凍したお米の塊を取り出した。レンジで解凍して、温まったそれを使っておにぎりを二つ作る。
冷蔵庫の中はほとんど空だった。残っていた梅干しと、キッチンにある塩を取り出して味付けをした。お父さんはだいぶ酔っ払っていたから、梅干しを喜んでくれるかもしれない。
手についたお米を食べて、僕の夕食は終わりだ。手を洗い、お父さんの周りのお酒の缶を片付ける。洗濯物を畳んで衣装ケースにしまう。
まだお姉さんと会う時間には早かったので、今のうちに宿題を済ませようと決めた。僕が宿題の提出を求められる事はないし、授業で先生に答えるように言われることもないけれど。
勉強はしておくべきだし、クラスのみんなが宿題をする決まりなら僕もそうするべきだと思った。
それから一時間くらい、僕は宿題と勉強をした。
時計を見ると、少し早いけれどそろそろお姉さんに会える時間だった。
鍵を持って、僕は家を出る。
出がけにお父さんを見ると、一時間前と変わっていなかった。下着姿のまま、電源をつけっぱなしのエアコンの前で寝ている。風邪を引かなければいいなと思った。
今日もお姉さんは先に着いていた。幸せの木の前にしゃがみ込んで、腕から流れる血を飲ませている。わかってはいても、見るたびに痛くないのかと心配にはなった。
僕はお姉さんに近づく。お姉さんは顔を上げてにこっと笑うと、左手を木の上に差し出したままで、右手だけで器用に隣に置いてあるバッグから何かを取り出した。
「はいこれ、あげる」
顔の前に出されたお姉さんの手の上には、薄いビニールに包まれたクッキーが乗せられていた。手作りなのか形はあまり良くないけれど、とても美味しそうだった。久しぶりの甘い物の匂い。お腹が鳴りそうになって、僕は両手でお腹を押さえる。
「......お姉さんのでしょ? お姉さんが食べた方が良いよ」
物を欲しがったりねだるなんて、カッコ悪いからやめろ。お父さんが決めたルールだった。だから僕はそう言って断る。
けれど、お姉さんは首を振った。右手を僕の前から動かそうともしない。
「いいのいいの。今日、母親が家で友達とパーティーしてたのね。それでクッキーとか焼いてたんだけど、流石に食べきれなくて......捨てるのもちょっともったいないから、良かったら食べて」
美味しくなかったら残しても良いけど、と眉をハの字にしてお姉さんは僕に頼む。そう言われてしまうと、何となく僕も貰っても良いかなという気持ちになれた。欲しがったわけじゃなくて、お姉さんの都合で頼まれたのなら。
両手でクッキーを受け取る。本当にお姉さんは優しい。久々に食べるお菓子は、涙がこぼれそうになるくらい美味しかった。
目を赤くしてクッキーを食べる僕を、
「自らが 幸い君が さいはひの つゆも変わらぬ ものにてあれかし」
そう呟きながら、お姉さんはじっと見ていた。
今日は学校で、久しぶりにクラスメイトと話せた――と言っても、手紙が置いてあっただけだけれど――ことを、お姉さんに話した。お姉さんは大げさに驚いた顔をしながら、
「へえぇ、良かったじゃない! 少しずつでも、そうしてまた話してくれるお友達が増えるといいわね」
と、僕を祝ってくれた。
「うん。半信半疑だったけど、幸せの木って凄いなって思った。まだ出会って三日目だけど、もう僕に幸せを分けてくれてるんだもの」
僕は本心からそう言った。
ここでは、間違っているか怯えながら話さなくてもいい。それも、僕にとっては幸せなことだった。思ったことをそのまま話しても、無視したり叩いたりする人はいないから。
ジョウロで水をあげる。葉に垂れていた血が、水と混ざり合って地面に染みこんでいく。幸せの木が、美味しそうに水と血――幸せを飲み込んでいくように、僕には見えた。
今日も学校で起きたことや楽しかったことをお互いに報告しあった後、木のお世話を終えて僕たちは帰った。お互いに
「じゃあまた明日ね」
「うん、また明日!」
と、約束しあって。まるで、友達みたいに。
明日が楽しみだった。
学校でまた手紙で話ができるかもしれない。
またお姉さんと木のお世話もできる。
帰って布団に入った後、僕はすぐに眠りについた。
今日は目を瞑った後、教科書を読み返したりしなかった。
いつ起きるかわからないお父さんに怯えたりもしなかった。
早く明日になって欲しかったから。