十二月二十日/幸せの木、見慣れた瞳を

文字数 1,657文字

 一度家に帰り、買ったものをビニール袋に入れた。
 再び家を出る。
 いつも通りに石段を上る。
 違うのは、ただ。夜ではないから、道が明るかった。
 無言で僕は足を動かし、神社裏手に向かう。
 もう、通い始めて一週間。ここに来る時は、いつもドキドキして楽しかった。

 朝の冷たい空気の中、お姉さんはいつも通りに木に血をあげていた。早朝の光の中、白い腕の上を赤い血が這って、雫になってこぼれる。
 僕はビニール袋を後ろ手に抱えたまま、お姉さんの横に腰を下ろした。何もかも、いつも通りに。
「私も楽しみで、君よりずっと早く来ちゃった。あ、今日はお世話の後どこか行く? もし君が良かったら、お昼一緒に食べたりしようよ」
 満面の笑みでお姉さんは言う。いつも通りに。
 素敵な話だった。
 一緒にご飯を食べて。一緒に話して。一緒に木のお世話をして。
 幸せなお姉さんと、友達みたいに。
「お姉さんは、どうしてこの木を育ててるの?」
 僕はお姉さんに問う。昼食の件に触れなかったせいか、お姉さんは少し訝しげに眉を寄せた。
「え、あー、えっとねぇ」
 それでも小首を傾げ、照れくさそうに笑う。
「私ね、いつか小説家になりたいなって思うの。だから幸せの木をそだてて、その夢が現実になったらいいなあって。夢が叶うって幸せな事じゃない? 別に幸せの木に全てを託すわけじゃないけど、力を貸して欲しいなって」
 結構壮大な夢じゃない? そうお姉さんは幸せそうに微笑む。
 凄い解答だった。
 疑う余地なんてまるでない。
『そっか、だからお姉さんはここで毎日手首を切っているんだ。自分の幸せのために、前向きに!』
 そう、昨日までの僕なら言えたのに。

「......そうなんだ」
 手を伸ばして、僕は幸せの木を撫でる。血と朝露に濡れ、つやつやと光る葉の先を。
 背のだいぶ伸びた木は、土にしっかり根付き。
 周りの雑草とは比べ物にならない成長をしている。
 たった一週間で。
 僕のお世話のおかげで。
 お姉さんが幸せを分けたおかげで。
 普通の植物だったらありえない成長速度だった。これは特別な、幸せの木だから。

 僕は後ろ手に抱えていたビニール袋を前に出す。
「今日、買ってきたものがあるんだ。お姉さんに見て欲しかったから」
「あら、なあに? 楽しみ!」
 お姉さんは嬉しそうに、弾んだ声で言う。僕は袋を地面に置くと、中身を両手で抱えて取り出した。

 それは安っぽい、リビング用の観葉植物だった。もちろん本物じゃない。作り物だ。
 向きを調整して、幸せの木の隣に並べる。
根が土に埋まっていない分、僕の買ってきた観葉植物の方が背が高かったけれど......。葉の向きも、伸び方も、コピーを取ったようにそっくりだ。つやつやと安っぽい葉の光り方も。
 夜の暗い中では気づかなかったけど、明るい陽の光の下で見れば、それは一目瞭然だった。
 昨日切った『病気の葉』あたりをめくる。幸せの木には切ってしまったから勿論ないけれど、僕が買ってきた植物には葉が残っていた。
 丸とCの合わさったような、製作した会社を示すロゴの形に、葉の裏側が膨らんでいる。
「さっき買ってきたんだ。偽物だけど。百円均一のお店にあったんだ。あそこ便利だよね。ここからすぐ近くだし」
 僕が話すと、沈黙が落ちる。返答は何もない。表情も笑顔のままで変わらない。僕の言葉にお姉さんが何もリアクションを起こさないなんて、初めての事だった。
「もう一度聞くね。お姉さんは、どうしてこの木を育てているの? 毎日手首を切って血をあげて。僕が気づかないように、毎日地面を掘り返して、木を少し地面から出してはまた埋め戻したり。その為だけに僕よりいつも早く来たり。お姉さんは何がしたいの?」
 お姉さんから目を逸らさず、僕は問う。
 お姉さんは答えない。
 笑顔も崩したりしない。

 ただ、その目が。
 お姉さんの、あの優しい目じゃなかった。
 奥に絶望の澱が溜まっている。
 お父さんに叩かれた後、鏡を見ると目が合う、僕と同じ瞳をしていた。
 
 毎日見慣れた、幸せじゃない人の目だった。
 
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