12月14日/最初で最後の
文字数 3,145文字
適度な長さのロープを買う。刃物も一応買ったけれど、たぶん使うことはない気がした。私が自分を殺せるレベルに自分を刺せるなんて、思えなかった。臆病者だ、死にたがっている癖に。
「切腹は介錯がセットって言うしね」
再び言い訳を呟く。キャンプ用品コーナーにある練炭セットをしばらく眺めた後、私は会計を済ませにレジに向かった。
放置されている車に不法侵入して、練炭で.....というのも少し考えた。けれどそれには窓ガラスを割ったりしなければいけないだろう。それだと車内を密閉できず、自殺が成立しない。
それに、もう死んで責任を放棄する予定とはいえ、最後の最後に知らない人に多大な迷惑をかけるのも嫌だった。
死のうとしている限り、大なり小なり他人に迷惑はかかるけれど。私の気持ちの問題だ。
ホームセンターを出る。吹いている風が冷たかった。ネックウォーマーを鼻まであげて、私は夕方まで時間を潰せる場所を探す。
日が落ちて人が少なくなったら、公園の木にロープを括るつもりだった。
全国チェーンのハンバーガーショップで、私は腰を落ち着けた。いつも頼むセットを購入して、席に着く。ポテトをつまみながら、スマホを見ると何件かメッセージが来ていた。全て友人からだった。
私がサボった事はバレているようだった。家に連絡は行っているらしい。それでも街中を捜索されていないという事は、母が確認もせず適当に嘘をついたのだろう。
優しいからではなく、確認するのが面倒だから。
自分の責任を追求されたくないから。
もちろん母からのメッセージは来ていなかった。今日ばかりは安堵した。母が私に興味がなくて良かった。
昼時を過ぎて人もまばらな店内で、私は鞄から本を取り出して読む。焦りはなかった。時たま外を眺め、最後になるだろうこの街の風景を眺めた。特に感慨はない。ただ、普段より薄っぺらで、一枚の板で作られた安っぽいセットのように見えた。
自分自身と、同じように。
日が落ちると、店内は帰ってきた学生の姿が目立ち始めた。頃合いだ。上に何も乗っていないプラスチックのプレートを返却すると、私は目をつけていた公園を目指す。途中、自転車の中高生と何回もすれ違った。友人とばったり会ってしまったらどうしようと少し不安だったが、幸運にもそれは杞憂で終わった。
迷いのない足で私は公園に向かう。川の近くにある広い公園で、中にはいくつも遊具がある。日中は子供達とその親で賑わう公園だ。
だが、夕方になって門が閉められてからは一気に人が居なくなる。入り口近くでたまに不審者がいたと通報がある程に。
今の私には、誰が居ようが関係のない話だ。
そこに向かうのは、ずっと昔。祖父から聞いた話を覚えていたからだった。もう亡くなった祖父は、『朝に散歩に行ったら首を吊って死んでいる人を見つけたことがある』と何故か自慢げに話してくれた。早朝はまだ門は開いていない筈だが、敢えてそこは指摘しなかった。
祖父が話を盛っていた可能性もなくはないが、いずれにせよ夕方以降は人もいなくて首を吊るには適した場所なのは確かだ。
「知りにけむ 聞きてもいとへ 世の中は 浪の騒ぎに 風ぞしくめる」
その場を選び、そこで実際に死ねた先人がいるというのは、私にとって非常に安心できる要素だった。道路や民家が遠いのもポイントが高い。
喧騒を離れて、母の事も忘れて、ただ孤独に静かに死にたかった。少なくとも私の中では、最後なのだから。
歩みを進めるにつれて、すれ違う人がどんどん減っていく。地方都市の光景から、田舎のそれに変わっていく。
私も自転車に乗ってたら良かったのに。ありえない想像をしながら、私は二十分程歩き続けた。
既に辺りは暗く、公園の前の道も帰宅の途を急ぐ車ばかりだった。軽く辺りを見回し、こちらに注目している人が居ないのを確認すると、私は柵を乗り越えて公園内に入る。
人生最初で、最後の不法行為だ。
当然だが、中は暗かった。防犯用なのかいくつかの常夜灯は存在しているものの、中にある建物は完全に灯りが落ちている。人気のなさも相まって寒さで凍りそうな風景の中、仕舞われているボート小屋のアヒルが虚ろな目で私を見ている。
こんな物がまだ現役で活躍している事に少し驚きつつ、私は手頃な高さの木や柱を探す。本当であれば折れる心配のない金属製のものが良いのだが、どれも高さが適していなくて難しそうだった。
十分ほど歩き回って、結局遊具の少ない一角にある木の前で私は準備を始めた。もちろん椅子なんてないので、足場になりそうな石を運んでくる。かなり心許ないが、仕方なかった。
ぶら下がっても足がつかないギリギリの高さの枝に、勢いをつけて縄を投げる。上を何度か通して、下に輪を作る。足場が石を積んだものであるため、かなり作業が難航してしまった。何とか形になった頃、私は汗だくになっていた。
「はあぁ......」
少しその場に座り込んで休憩する。枯れた芝生がスカート越しにお尻を刺して、痛かった。酷く虚しい気分になる。
「なにやってんだろ、私......」
弱音がこぼれかける。慌てて両手でパチパチと頬を叩き、覚悟を取り戻した。折角ここまで準備をしたのだ。
死ななきゃ、ちゃんと。
今やめたら、ただ私が惨めなだけだ。
二つの石を積んで、私はふらつきながら縄の先を手に取る。首を輪に通そうと努力する。石が今にも崩れてしまいそうだ。映像作品によくあるように、思考を巡らせて覚悟を決める時間はなかった。
私は何とか輪を首に通した。恐怖はあまりなかった。馬鹿馬鹿しいけれど、足元が崩れて転んで怪我をしてしまうほうが怖かった。同時に足元の石を右足で蹴った。
足場がなくなり、自重で私は首を吊る形になった。勢いで下顎が押されて、歯がぶつかり合ってガチッと鳴る。痛かった。
首に痛みが走る。一瞬で両手足の先が冷たくなる感覚、がして、私は、
あれ、これ本当に死 ?
全身に衝撃が走る。その後、何かに強く左肩を打ちつけた感覚があった。
「痛っ......」
思わず右手で左肩をさする。普段はない勢いで尻餅をついたせいか、全身がびりびりと痛んだ。
目を開ける。案の定だったが、私が縄をかけた枝が折れていたのだった。枝の切断面を見ると、そもそも半ばまではカビのようなもので腐食していて脆くなっていたようだ。暗いせいで、よく見えていなかった。
「はあぁ......」
ため息をついて首に手を当てる。縄をかけた時の勢いで少し擦りむいてはいたが、特にひどい痛みはなかった。
つまり私は、半端な覚悟で学校をサボり、夜間に公園に不法侵入して、大した覚悟も用意もなく自殺未遂をして、ただ擦り傷を作っただけの、愚か者だってこと。
身体中が酷い疲労感に襲われる。衝撃のせいか、頭痛も強かった。
二度目の挑戦をする気力は、正直もうなかった。折れた枝から縄を回収して鞄にしまう。そして立ち上がると、私は公園の出口に向かった。
惨めだった。そして、首を吊った瞬間の、あの感覚。あの両手足が冷たくなる死の感覚は、もう二度と味わいたくないと思ってしまった。
結局、私は別に死にたいわけじゃなかった。
ただ母から逃げたいだけの臆病者だった。
再び柵を乗り越える。疲れからか体の動きが鈍く、なかなか上手くいかない。
「うっ、くっ.......」
しばらく時間をかけて、湿った手を何度か滑らせながら、ようやく私は再び柵を乗り越えることができた。
鉄錆の匂いのする手で、私は顔を再び拭う。涙が溢れて止まらなかった。何が理由かは、自分でもわからなかった。ただただ、頬を伝う涙を手のひらで拭いながら、私は来た道を反対に歩き続けた。
「切腹は介錯がセットって言うしね」
再び言い訳を呟く。キャンプ用品コーナーにある練炭セットをしばらく眺めた後、私は会計を済ませにレジに向かった。
放置されている車に不法侵入して、練炭で.....というのも少し考えた。けれどそれには窓ガラスを割ったりしなければいけないだろう。それだと車内を密閉できず、自殺が成立しない。
それに、もう死んで責任を放棄する予定とはいえ、最後の最後に知らない人に多大な迷惑をかけるのも嫌だった。
死のうとしている限り、大なり小なり他人に迷惑はかかるけれど。私の気持ちの問題だ。
ホームセンターを出る。吹いている風が冷たかった。ネックウォーマーを鼻まであげて、私は夕方まで時間を潰せる場所を探す。
日が落ちて人が少なくなったら、公園の木にロープを括るつもりだった。
全国チェーンのハンバーガーショップで、私は腰を落ち着けた。いつも頼むセットを購入して、席に着く。ポテトをつまみながら、スマホを見ると何件かメッセージが来ていた。全て友人からだった。
私がサボった事はバレているようだった。家に連絡は行っているらしい。それでも街中を捜索されていないという事は、母が確認もせず適当に嘘をついたのだろう。
優しいからではなく、確認するのが面倒だから。
自分の責任を追求されたくないから。
もちろん母からのメッセージは来ていなかった。今日ばかりは安堵した。母が私に興味がなくて良かった。
昼時を過ぎて人もまばらな店内で、私は鞄から本を取り出して読む。焦りはなかった。時たま外を眺め、最後になるだろうこの街の風景を眺めた。特に感慨はない。ただ、普段より薄っぺらで、一枚の板で作られた安っぽいセットのように見えた。
自分自身と、同じように。
日が落ちると、店内は帰ってきた学生の姿が目立ち始めた。頃合いだ。上に何も乗っていないプラスチックのプレートを返却すると、私は目をつけていた公園を目指す。途中、自転車の中高生と何回もすれ違った。友人とばったり会ってしまったらどうしようと少し不安だったが、幸運にもそれは杞憂で終わった。
迷いのない足で私は公園に向かう。川の近くにある広い公園で、中にはいくつも遊具がある。日中は子供達とその親で賑わう公園だ。
だが、夕方になって門が閉められてからは一気に人が居なくなる。入り口近くでたまに不審者がいたと通報がある程に。
今の私には、誰が居ようが関係のない話だ。
そこに向かうのは、ずっと昔。祖父から聞いた話を覚えていたからだった。もう亡くなった祖父は、『朝に散歩に行ったら首を吊って死んでいる人を見つけたことがある』と何故か自慢げに話してくれた。早朝はまだ門は開いていない筈だが、敢えてそこは指摘しなかった。
祖父が話を盛っていた可能性もなくはないが、いずれにせよ夕方以降は人もいなくて首を吊るには適した場所なのは確かだ。
「知りにけむ 聞きてもいとへ 世の中は 浪の騒ぎに 風ぞしくめる」
その場を選び、そこで実際に死ねた先人がいるというのは、私にとって非常に安心できる要素だった。道路や民家が遠いのもポイントが高い。
喧騒を離れて、母の事も忘れて、ただ孤独に静かに死にたかった。少なくとも私の中では、最後なのだから。
歩みを進めるにつれて、すれ違う人がどんどん減っていく。地方都市の光景から、田舎のそれに変わっていく。
私も自転車に乗ってたら良かったのに。ありえない想像をしながら、私は二十分程歩き続けた。
既に辺りは暗く、公園の前の道も帰宅の途を急ぐ車ばかりだった。軽く辺りを見回し、こちらに注目している人が居ないのを確認すると、私は柵を乗り越えて公園内に入る。
人生最初で、最後の不法行為だ。
当然だが、中は暗かった。防犯用なのかいくつかの常夜灯は存在しているものの、中にある建物は完全に灯りが落ちている。人気のなさも相まって寒さで凍りそうな風景の中、仕舞われているボート小屋のアヒルが虚ろな目で私を見ている。
こんな物がまだ現役で活躍している事に少し驚きつつ、私は手頃な高さの木や柱を探す。本当であれば折れる心配のない金属製のものが良いのだが、どれも高さが適していなくて難しそうだった。
十分ほど歩き回って、結局遊具の少ない一角にある木の前で私は準備を始めた。もちろん椅子なんてないので、足場になりそうな石を運んでくる。かなり心許ないが、仕方なかった。
ぶら下がっても足がつかないギリギリの高さの枝に、勢いをつけて縄を投げる。上を何度か通して、下に輪を作る。足場が石を積んだものであるため、かなり作業が難航してしまった。何とか形になった頃、私は汗だくになっていた。
「はあぁ......」
少しその場に座り込んで休憩する。枯れた芝生がスカート越しにお尻を刺して、痛かった。酷く虚しい気分になる。
「なにやってんだろ、私......」
弱音がこぼれかける。慌てて両手でパチパチと頬を叩き、覚悟を取り戻した。折角ここまで準備をしたのだ。
死ななきゃ、ちゃんと。
今やめたら、ただ私が惨めなだけだ。
二つの石を積んで、私はふらつきながら縄の先を手に取る。首を輪に通そうと努力する。石が今にも崩れてしまいそうだ。映像作品によくあるように、思考を巡らせて覚悟を決める時間はなかった。
私は何とか輪を首に通した。恐怖はあまりなかった。馬鹿馬鹿しいけれど、足元が崩れて転んで怪我をしてしまうほうが怖かった。同時に足元の石を右足で蹴った。
足場がなくなり、自重で私は首を吊る形になった。勢いで下顎が押されて、歯がぶつかり合ってガチッと鳴る。痛かった。
首に痛みが走る。一瞬で両手足の先が冷たくなる感覚、がして、私は、
あれ、これ本当に死 ?
全身に衝撃が走る。その後、何かに強く左肩を打ちつけた感覚があった。
「痛っ......」
思わず右手で左肩をさする。普段はない勢いで尻餅をついたせいか、全身がびりびりと痛んだ。
目を開ける。案の定だったが、私が縄をかけた枝が折れていたのだった。枝の切断面を見ると、そもそも半ばまではカビのようなもので腐食していて脆くなっていたようだ。暗いせいで、よく見えていなかった。
「はあぁ......」
ため息をついて首に手を当てる。縄をかけた時の勢いで少し擦りむいてはいたが、特にひどい痛みはなかった。
つまり私は、半端な覚悟で学校をサボり、夜間に公園に不法侵入して、大した覚悟も用意もなく自殺未遂をして、ただ擦り傷を作っただけの、愚か者だってこと。
身体中が酷い疲労感に襲われる。衝撃のせいか、頭痛も強かった。
二度目の挑戦をする気力は、正直もうなかった。折れた枝から縄を回収して鞄にしまう。そして立ち上がると、私は公園の出口に向かった。
惨めだった。そして、首を吊った瞬間の、あの感覚。あの両手足が冷たくなる死の感覚は、もう二度と味わいたくないと思ってしまった。
結局、私は別に死にたいわけじゃなかった。
ただ母から逃げたいだけの臆病者だった。
再び柵を乗り越える。疲れからか体の動きが鈍く、なかなか上手くいかない。
「うっ、くっ.......」
しばらく時間をかけて、湿った手を何度か滑らせながら、ようやく私は再び柵を乗り越えることができた。
鉄錆の匂いのする手で、私は顔を再び拭う。涙が溢れて止まらなかった。何が理由かは、自分でもわからなかった。ただただ、頬を伝う涙を手のひらで拭いながら、私は来た道を反対に歩き続けた。