十二月十七日/自宅、お父さんと

文字数 1,891文字

 夕方になっても雨は強く降っていた。夕方になって日が落ち、雪でも降りそうなくらいに寒い。暖房の前で部屋干ししていた洗濯物は、きちんと乾いていた。ほっとした。
 お父さんは今日は仕事に行かなかったようで、朝と同じスウェットのままでお酒を飲んでいた。僕は手早く洗濯物をたたむと、渡されたお金を持ってコンビニに走った。頼まれたお酒とお弁当を買い、また全力で走って家に帰る。傘は持っていたけれど、僕の体は飛沫でうっすらと濡れていた。
 お腹が少し鳴った。もっと給食を食べておくべきだったと後悔する。最近は夕方にお父さんが居なかったり寝ていることが続いていたし、昨日お姉さんと約束した事や、今日またクラスメイトと話せた事で頭がいっぱいだったのだ。
 帰って家のドアを開けると、玄関にお父さんが立っていた。顔が怒りとお酒のせいで真っ赤に染まっていて、まるでお話に出てくる赤鬼みたいに見える。
「おせぇよ! このグズ!」
 お腹を蹴られる。背中がドアに当たって、金属質の嫌な音を立てた。思わず僕はお腹を抱えてしゃがみ込む。
 蹴られるのに慣れてはいるけれど、どうしても身体は反射的に自分を守ろうとしてしまうみたいだ。
 お腹に当てていた僕の右手を、お父さんが捻り上げる。そして腕に引っかかっていたコンビニの袋を取り上げた。中身を見て、
「はぁあ!? またこの弁当かよ! 食い飽きたって言ってただろ! ったく本当に使えないなお前はよぉ!」
 と怒鳴り声をあげる。今度は僕をつかんでいた右手が強く振られ、勢いで僕は玄関の床に転んだ。額が靴を入れている棚に擦れて、かっと熱くなった。そんな僕を見下ろしながら、お父さん鼻を鳴らしながらお酒の缶を取り出す。プシュ、という炭酸の抜ける音。ごくごくと喉を鳴らしながら、お父さんは踵を返してまた部屋の中に戻っていった。
 先程までコンビニの冷蔵庫に入っていたし、外は寒かったから、お酒が冷えていなくてお父さんが怒ることはないと思う。良かった。これ以上機嫌が悪くなってしまったら困る。
 何度かお腹をさすって、僕は立ち上がる。濡れている気がして額を触ると、切れたところから薄く血が滲んでいた。たいした怪我ではなかった。
 立ち上がって洗面所に行くと、僕は額を冷水で洗った。ティッシュを一枚取って拭く。消毒液や絆創膏は居間にあるから今は使えない。あったとしても勝手に使うことは許されていなかった。
 自分の部屋に戻るため、僕はドアを開けて今の隅を通る。お父さんはもう僕を見てはいなかった。テレビでやっている番組を眺めている。矢継ぎ早に繰り出される冗談。観客と一緒に、お父さんはゲラゲラと笑っていた。買ってきたお酒はすでに二本目が開けられている。
 もしかしたら今夜はもう一回コンビニに行くことになるかもしれない。
 部屋に戻り、僕は額の血で枕を汚さないように注意しながら横になった。
 冷たい布団の中で、お腹をさする。濡れて冷えた体が震えた。蹴られたところが痣になってないといいな、と思う。
 今日はたぶん、もうお父さんは出かけたりしない。この分だと寝付くのも深夜になるだろう。お父さんがいる間に外に出ることはできなかったし、もしコンビニに買い物を頼まれたとしても神社に寄ることはできない。そんな事をして遅くなってしまったら、今度は蹴られる程度じゃ済まないのはよく知っている。
「............はあぁ」
 小さく息を吐く。せっかく約束したのにな。

 今日も、お姉さんに話したかった。
 たくさん学校でお話ができたこと。
 久しぶりに学校が楽しかったこと。

 胸の奥が、棘が刺さったようにチクチクした。
 
 お姉さんに会う前は、こんな毎日が当たり前だった。一言も話さない日だって珍しくなかった。学校でも、家でも、外でも、僕は居ないものだった。
 ――なのに。まだたったの二日話しただけなのに。
 幸せの木から貰ったものが、僕には大きすぎた。
 人と触れ合うのが嬉しい、楽しい、幸せなことだって思い出してしまった。

「……っ、」
 絵の描かれた自分の両腕を、服の上からきつく両手で抱きしめるように握る。
 
 お父さんと一緒にいることが、
 ずっと続けてきた僕の毎日が、
 不幸で辛いことのように感じてしまって。

 考えないことにして、僕は目を閉じる。
 いつものように教科書を頭の中でめくる。
 
 朝片づけたけれど、夜になるとまた散らばっている着替えとDVDパッケージも。
 吸い殻のねじ込まれた、タバコとお酒の匂いがする空き缶も。
 低く続くお父さんの、笑い声とテレビへの文句も。
 
 今までと同じ。
 僕にとって当たり前の日常だった。
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