僕のお父さん

文字数 2,508文字

 僕のお父さんは「グレー」という仕事をしているらしい。内容を正確に聞いたことはないけれど、お父さんは答えてくれないのは知っていた。仕事の話をすると、お父さんは不機嫌になって声を荒げて壁を叩く。
 もっと小さい頃。お父さんがどんな仕事をしているのか知りたかった僕は、お友達のお父さんに
「グレーな仕事ってなんですか? お父さんがやってるんだけど、僕詳しく知らなくて」
 と聞いたことがある。「グレーな仕事」という言葉を口にした時、友達のお父さんは酷く顔を歪めていた。
 次の日から、その友達とは遊べなくなった。
 それから一週間も経たないうちに、僕と遊んでくれる友達は居なくなった。

「わざわざ遠くの小学校に入れてやったのに、余計な事しやがって! 面倒事を起こすな!」
 お父さんはそう言いながら、僕をひどく怒って殴った。

 それからはお父さんの事は誰にも話さなくなった。別に僕が話そうとしなくても、そもそも僕に話しかけてくる人なんて居なかったけれど。
 僕のお父さんと友達のお父さんやお母さんは、『違う』のだと理解した。後から気づいたけれど、友達はお父さんやお母さんに怒られていても叩かれたりはしていなかった。
 
 三年生になって少し経ったある夜、お父さんは僕の髪を銀色に染めると言った。少し派手な服を着ただけで担任の先生はものすごく怒る。友達が怒られて泣いているのを、僕はよく見て知っていた。髪の毛なんて染めたら、どんなに厳しく叱られるかわからない。
 僕は泣きながらやめてくれるよう頼んだ。何でも言うことを聞くから。いい子にするから。どんな女の人が来ても仲良くするから。静かにするから。毎日家のお掃除するから。叩かれても泣いたりしないから。コンビニにご飯を買いに行く時、ちゃんと五分で帰ってくるから。そのために走るのも速くするから。もう大切なDVDを踏んだりしないから。

 でもダメだった。
「俺の息子が舐められてるのは苛つく、担任どもをビビらせたい」
 ビニール紐で縛られた後、僕の髪は銀色に染められた。

 次の日、僕は恐怖で震えながら学校に行った。
 でも、叱られる事はなかった。お父さんの言う通り、「先生がビビる」事もなかった。
 ただクラスメイトも先生も、僕を見ると目を逸らした。僕がここに居ないみたいに。透明人間になったような気分だった。
 
 帰ってから僕は、お父さんに「先生、ビビったりしてなかった。僕のこと見てくれなかった」と伝えた。
 お父さんは面倒そうにお酒の入ったカップを傾けながら、
「何の話だよお前、それより飯」
 と答えた。昨日の事は覚えていないみたいだった。酔っ払うと、よくある事だった。

 十二月になった。僕はクリスマスが待ち遠しかった。毎年その日は、朝になるまでお父さんは帰ってこない。数日間帰ってこない年もあった。だからその間は叩かれたり怒られたりしなくて済む。冷蔵庫が空になってお腹がすくかもしれないけれど、いざとなれば台所にあるお砂糖とかを舐めて過ごそうと思っていた。
 先々週――十二月一日、家には彫り師さんが来ていた。彫り師さんっていうのはお父さんの背中に絵を描いてくれる人で、昔からのお父さんの友達らしい。たまにお父さんと彫り師さん、あと女の人二人で家に居る事もあった。
 その時は夜中まで家が賑やかなので、僕は布団の中で教科書を読み返して過ごしていた。と言っても灯りがないので、実物ではなく頭の中で教科書を思い出しながら、だけど。
 たくさんお酒を飲んだ二人は、僕に絵を描くなら何がいいかで盛り上がっていた。僕は本当に嫌だったけれど、言えば二人が怒るのは知っていたので黙っていた。
 鯉とか翼とか、あとよく知らない言葉が並ぶ。そのうちお父さんが
「面倒だから今から入れちまうか」
 と言い出した。流石に彫り師さんは断る。身体が成長しきってからでないと絵が歪むから、と。しかしお父さんは止まらない。
「歪んだら歪んだで味が出る。変になったらお前が何か足せばいい。どうせ入れるなら今から入れて箔をつけてやりたい」
 それに俺の息子が舐められるのは嫌だから。そう言った。悪い親父だと彫り師さんは笑った。
 二人が僕をじっと見た。立ちあがろうとした僕の腕を掴む。やめてと叫ぼうとした時、髪を染められた時を思い出した。何を言っても、どう願っても、やめてくれるはずがないのだ。
 力の抜けた僕の体を、お父さんが押さえ込む。彫り師さんが持ち歩いている道具を拡げる音がした。注射の前みたいに、僕の両腕をアルコール綿で拭く。
 器具の先端が少し見えた。僕は目をきつく閉じて、教科書を思い出す。
 好きな話。僕の好きな話。
 たくさんの小さなお魚の話。
 優しい王子様とつばめの話。
 サーカスの火の輪くぐりの話。
 激痛が腕に走る。たまらず僕は悲鳴を上げる。うるせぇ! お父さんの怒鳴り声。頭を叩かれる。口に何か詰め込まれる。とても痛かった。痛くて、痛くて、痛かった。
 気絶していた僕が目を覚ますと、お父さんは既に布団にくるまって寝ていた。彫り師さんはもう居なかった。
 僕は口に入っていたお父さんの下着を吐き出すと、翌日に洗濯できるように下着についた唾液をお湯で揉んで落としてから、洗濯機に入れた。それからお父さんが起きた時に電気代の無駄だと怒られないように、居間の電気を消して寝た。
 翌朝。僕の両腕の絵の部分からは、血の混じった液体が滲んでいた。着ていた服がくっついて、瘡蓋のように固まって脱げない。このままだと学校に遅れてしまう。
 お湯をつけたティッシュで何度も擦ると、なんとか服は剥がれた。ほっと息を吐く。
 すると起きてきたお父さんが、僕を見て心底嫌そうな顔で言った。
「きったねえなお前、寝巻きはちゃんと洗っとけよ」
 その後、お父さんは自分の使い古しの薬を僕にくれた。絵を描いたあとは塗らないといけないのだと、化膿されたら後々面倒だからと言っていた。
 お父さんが後処理に詳しくて良かったと、僕は少しほっとした。
 あれから二週間。まだ少し、腕はピリピリ痛む。
 僕の両腕には、怖い顔の人と羽根みたいな模様が描かれていた。この絵がなくなる事は、たぶんもうない。
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