第6話 シンデレラじゃなかった④

文字数 2,911文字

 今回はお金の話です。
 結婚に際しては何より大事な話かもしれない、お金の話です。

 かなり前のことになりますが、あるテレビ番組で「愛とお金と、どっちが大事?」という子供の質問に対し、各都道府県のおばあちゃんたちがいろいろ答えていたコーナーがありました。その答えの一つ一つが、強烈に印象に残っています。

「そりゃ決まってるわよ。愛よ」
 とか、
「愛。お父ちゃん、優しかったわ~」
 などという言葉には、長く生きてきた人の声だからこそ並々ならぬ重みが感じられます。模範的かつ美しい答えが出てきた時には、思わず涙が出そうになりました。

 一方で、
「何だかんだ言っても、やっぱりお金よ」
「お金がなきゃ生活できないでしょ!」
「愛だなんてねえ、そんなものいくらあったって、生活に困った途端に消えてなくなっちゃうのよ」
 身も蓋もない意見は、どこか投げやりで叩きつけるような口調で語られますが、現実問題として確かにその通り。お金を馬鹿にしちゃいけません。

 その番組では大阪府の「お金派」が、あるいは沖縄県の「愛派」がダントツに多いことで笑いを取っていましたが、ここでは県民性を問題にするわけじゃありません。大阪府民ではないけれど、四十代の私はやっぱり「まずはお金でしょ!」と思っていますから(笑)。
 だけど二十代の私は「愛」を取った、というのが今回の話。
 いや、沖縄県民でもないんですけどね。

 あの後、両家の顔合わせを経て、私たちはどうにかこうにか結婚しました。そしてK君の勤める会社の社宅に暮らし始めたのですが、しばらくしてそれは起こりました。

 義父から電話があり、長男である義兄とともにK君が呼び出されました。それぞれのお嫁さんは来ないでくれとのこと。
 K君は車を出し、例の山の中の実家に向かいました。何だか不穏なものを感じましたが、私は行けないので仕方がありません。黙って見送るのみでした。

 そしてこの日、帰ってきたK君から話を聞いて、私は息を呑みました。
 K家の貧しさは当然分かっていましたが、私はお金持ちと結婚するのが夢だったわけじゃありません。そんなのはどうでも良いことだと、特に贅沢を望まなければやっていけるものだと思っていました。
 しかしこの考え方は甘いと思い知らされたのが、この日だったわけです。

 あの優しそうな義父。実は生活費に困ってあちこちから借金をしていました。借りた相手は、いわゆるマチ金。
 内心、私もぞっとしました。高利であること、支払いが遅れた時の督促が厳しいことは、話に聞いて知っていましたから。

 K君の手に、複数の機関から借りた金額のメモがあります。二人して覗き込み、むむ、と考えました。一つ一つはそんなに大きな額ではないとはいえ、総額はそこそこです。
 そして、これを自力では返せずに子供たちに相談してきた義父。そんなにも困窮していたのか、と私も愕然としました。

 皆さんだったら、どうしますかね(笑)?
 義父が自分の希望として息子たちに語ったのは、自宅周辺の土地を切り売りして借金を返済する段取りを付けて欲しいということだったようです。
 バブル期じゃないんですから! 山の中の小さな土地では買い手が付くはずもありません。

 それに義父の本音としては、息子のどちらかが自分たちと一緒に住み、住宅ローン(結構な額が残っていました)を引き継いで欲しいということだったかと思われます。その場にいた二人はそのプレッシャーを一層強く感じたことでしょう。
 当然ながらこれは難しい。兄弟ともそれぞれ自分の家庭を別に持っているし、この義実家から職場まで、通える距離ではなかったのですから。

 このとき義兄とK君の二人は、両親を説得して自宅売却を決断させました。二人にはずいぶんと泣かれてしまったようですが、そのお金でまずは借金をきれいにしようということになったようです。

 四匹のワンちゃんたちを連れての借家への引っ越しは、当然大変だったわけですが、その話はまた別の機会に。
 社宅に戻ってきたK君の前で、私は借金の額が書かれたメモから目を離せませんでした。自宅売却なんて本当にできるのかどうか、売りに出したとしても買い手がつくのかどうか、この時点では何も分かりません。とにかく「やばい」借金の方が、気になって仕方がなかったのです。

「これ、一日も早く返した方がいいんだよね?」
 私が何を言いたいのか、いち早く察したK君は、ぐっと沈黙していました。
 そう。結婚退職してしまった私ですが、それまで自分のボーナスには手を付けずに貯金していたので、この時点でちょっとは持っていたのです。少しの間、貸すぐらいなら何でもない。そしてもし返してもらえなかったとしても、それで夫の愛が持続するなら私に悔いはない。

 ああ。もしも今、若い女性が良いお嫁さんになろうとするあまり、義理の親の借金の尻ぬぐいをしようとしていたら、私は全力で止めますよ!
 それ、不良債権ですからね! 返ってきませんからね!

 だけど、私は出しました。しめて250万円、返ってこないことを覚悟して。
 すべては愛するK君のために。
 借用証書も作らず、今思うと本当に杜撰なやり方でしたね。

 ただ、結果から言うと、私の場合は返してもらえました。マイホームを手放したお金でという話ですが、義父はギリギリの線で、信義則を重んじてくれたんでしょう。
 これはたまたまそうであった、ということに過ぎませんから、くれぐれも若い皆さんは、私の真似をしないように(念押し)。

 この一件で、私が手にしたものがあったとしたら、それはK君と義父の信頼に他なりません。ある意味このお金は「何があっても見捨てない」という意志を示すものでもあったので、他人同士が結婚する中で避けては通れない小さなわだかまりが、この時にすうっと溶けていったような気がします。

 だけど、すべてが片付いて「つばめさん、振り込んでおきましたよ」と義父がさっぱりした笑顔を見せた時、義母はその横で泣いていました。義母にしてみれば、夫が、子供たちが、自分の希望を叶えてくれなかったという不満の方が大きかったのでしょう。

 ただでさえ困難を抱えた義母が、ずっと働いて家族を支えてきたことは立派だったと思います。義父もまた会社勤めをしたり、自営業をしたりといろいろやったようですが、この夫婦の場合、どちらかというと妻である義母の方が大黒柱だったんですね。

 共働きもなかなか厳しいなあと思うのは、こういう現実を目にした時。
 K家の場合、家計はすべて義父が管理していました。義母は難しいことは分からないからと、義父に任せっきりにしてきたようです。自分の定年退職後にいきなり困窮するとは思ってもみなかった、とも言っていました。また二人とも、ローンの額が身の丈に合っていないという自覚はなかったようです。

 とにかくそこまで切迫しているK家の財政状況でしたから、このあと義両親(と犬)の生活費をどうするかが大問題に。
 相続で揉める話はよく聞きます。貧乏な家ほど揉めるともいいますが、いやいや、本当に貧乏な家は生きている間が大変なんですよ!
 だけどその話はまた次回に。
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