第5話 シンデレラじゃなかった③

文字数 3,297文字

「他人様の家に上がったときは、どこか褒める所を見つけ、話題にしてみましょう」
 などといったアドバイスがあります。K家に着いた私は、早速これを実践しようとしました。だけどK家のような荒れ放題の家では、これが難しいこと。

 ようやっと私は、唯一の例外と言ってもいいかもしれない、それを見つけました。
 出されたコーヒーカップです。恐らく作家物なのでしょう。手作り感のある、なかなか凝った作りの陶器でした。
 ぱっと気分が明るくなりました。求めていたのはこれですよ、これ!

「素敵な器ですね」
 すかさずカップに触れ、お義母さんに話しかけてみました。これはきっとお義母さんの自慢のカップなんだろうと、その作家さんについて何か聞けるだろうと予想したのです。

 でも一筋縄じゃいきませんでした。
「別に」
 お義母さんから返ってきたのは、ぶっきらぼうなその答えのみ。
 K君が私をフォローしようと、横から割り込んできます。
「これ、どこで買ったんだっけねえ?」
「さあ。覚えてない」
 間髪を入れず、お義母さんの不機嫌な声が返ってきます。横で聞いていたお義父さんも同様です。
「記憶にないですねえ」
 取り付く島もないとはこのことです。

 結局カップについては謎のままでしたが、こちらが歩み寄ろうとしていることは理解してもらえたようです。緊張が解けてきたのか、義母は自分が何に対して怒っているのか、ようやく話してくれました。

「下のAさんがね、うるさいって言うのよ」
 どうやら犬の無駄吠えについて、ご近所から苦情があったようなのです。
 確かに山の中とはいえ、あれだけの声ですから、トラブルになっていてもおかしくはありません。
「Aさんの家の犬だって、相当なものなのよ。うるさいなんて言わせないわよ」
 義母は憤懣やる方ない様子でした。
 そしてもう一つ、義母には気に入らないことがあったようです。

「あの人たち、結婚式のやり方がひどいのよ」
 それは長男夫婦への不満でした。二人はこの両親の意向に逆らう形で(両親が指示した田舎の教会ではなく、自分たちが選んだおしゃれなホテルで)結婚式を執り行ったようです。まるで自分たちは自分たちのやり方で生きていく、との意思表示をするかのように。

 そう、言い忘れましたが、K君は次男なのです。私は気楽なはずの次男の嫁!
 結婚式については宗教の問題がからんでくるので、また別の回に取り上げたいと思います。

 とにかく長男夫婦とはこの時点ではまだ会っていなかったのですが、「問題アリ」なこの両親と距離を置こうとする意向が強く感じられました。
 でもその気持ち、分かるなあ。私も同じようにしようかなあ……。

 うつむいて話を聞きながら、私も正直そう思いました。何しろこの人たちの協調性の低さは明らか。うまくやっていく自信なんてありません。
 だけどそうやって蚊帳の外に置かれることで、ますます義母の機嫌が悪くなってしまっているのが分かります。それはそれで、可哀想だなあという気もするのです。

「あの、オレらの結婚のことなんだけど……」
 K君は本題を切り出しました。このタイミングはどうなの!? というツッコミどころがありそうですが、彼なりに、もうこれ以上は引き延ばせないと思ったんでしょう。
 K君は両親の意向に合わせ、挙式だけは田舎の教会に行ってもいいと思っていること、しかし披露宴の方は、二人とも会社の人を呼ぶ都合上、やはり都会でやる必要があることを述べ、理解を求めました。
「もう式場も目星をつけてあってさ。あとは日取りなんだけど……」

 慎重に話を進めた印象でしたが、義母は目を剥いて怒り出しました。
「ちょっと、そこまで話が進んでるの? 私たち、何にも聞いてないわよ」
 私は息を呑み、縮こまるように下を見つめました。
 確かにその通りだったのかもしれません。何せ私たち、今日が初対面なのですから。

 だけどご挨拶がここまで遅れてしまったのは、ご両親の方が私に訪問の許可をくれなかったから。これまでのことはK君が電話で話してくれていることになっていたのです(実際、話してくれていたようです)。

 私の実家の方は、挨拶が早々と済んでいたこともあり、私は実の両親から「あちらはまだなの?」と催促の嵐を受けていました。私自身にも、あまり引き延ばすのは良くないという不安がありました。いくらK君が誠実だって、ダラダラしているうちに結婚そのものに嫌気が差してしまうかもしれません。

 私はじっと考えました。ここまでご両親のお許しが頂けないのなら、延期もやむを得ないかな。反対を押し切って結婚するより、お互いに理解し合えるまでゆっくりコミュニケ―ションを取った方がいいのかな。
 だけどそのコミュニケーションが難しい相手であるのは確かなようです。ここで今日は一旦帰る、などという対応を取ったら、次の訪問がいつになるのか分かりません。

 義母は結婚という、はっきりとした言葉が出てきたのがショックだったようです。彼女はもう泣き出しそうになりながら、長男夫婦の自分に対するひどい仕打ちを語りました。
「あんたたちまで、私たちを馬鹿にするの?」
 何だかわかりませんが、これは被害妄想です。私もK君もご両親の意思を尊重しようと思うからこそ、ここに来ているんです。それに義母はどうやら、長男のお嫁さんと私を混同してもいるようでした。

 このすれ違いを解消するにはかなりの道のりになりそうで、私も心が折れかけました。この様子じゃ、この先も分かって頂けないかもしれない。少なくとも円満な形での結婚は無理かもしれないと。

 だけどここで、それまで大人しかった義父が割り込んできました。
「まあ、いいじゃないか。ね?」
 実にうまく義母をなだめてくれたのです。彼女の不機嫌は、よくあることなのかもしれません。義父は慣れた様子で義母の背中を撫で、見事に落ち着かせていきます。
 そこで、今度は私に向き直って言いました。

「つばめさんのような方に来て頂けたら、私たちはうれしいんですよ。歓迎しますよ」

 この約二十年後の今、私は義父の介護をしていますが、その理由はすべてこの言葉にあるのかもしれません。私は義父のお陰で、大好きなK君と結婚することができたのですから。

 後で分かってきたことですが、看護師の仕事が忙しかった義母に代わり、家のことや子育てに尽力してきたのは、この義父だったようです。当時は珍しかったであろう、元祖イクメンです。

 そして義父は、三人の子供たちの中で飛び抜けて優秀だったK君に一番の情熱を注いできたようです。毎日毎日、義父はK君のためにお弁当を作りました。K君の将来の活躍を願い、受験の応援をしました。
 そう、「教育ママ」はこの義父だったのです。

 この生き方は、兄弟間の不公平を産んでしまったようです。後に義兄は私の前でこう漏らしたことがありました。
「オレには一切の期待をかけてもらえなかったからさ」
 タバコの煙とともにその言葉が吐き出された時、子供の頃の、やんちゃだった義兄が実は陰で流していた、その悔し涙が見えるようでした。
 義両親は子供たちの三人を平等に育てたと言い張っているので、どちらの言い分が正しいのかは分かりません。だけどK家の子供たちが思春期を迎える頃、この義兄が抱えていた寂しさは本物だったんでしょう。

 今も義父の生き甲斐は、K君に集約されています。「学校の偏差値ランキング」の類を見るのが大好きだし、テレビに出てくる有名人については、その経歴を調べずにはいられないようです。
「(K君の通った大学の看板学部の)後輩ですよ、後輩!」

 画面を指さして義父が叫ぶと、私は食事を並べながら「はいはい」と答えます。
 親の子への思い入れが一定の範囲を超えてしまうと、子供は束縛や息苦しさを感じるものですが、K君は不思議なほど気にしていません。いや、「重たい」とは感じていると思いますが、すべてひっくるめて受け入れてあげたいという気持ちなんでしょう。

 とにかく義父は、一番大事な息子であるK君の嫁を選ぶ際、私に合格点をくれたんです。やっぱり感謝すべきでしょう。
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