第26話 そもそも介護の始まりは

文字数 3,145文字

 時間が前後しますが、我が家の介護がどんな風に始まったのかをお話ししておきます。

 長い間、義父は「がん検診」を受けずにいました。苦痛を嫌ってのことだったようです。
 あるとき義父はひどい眩暈と息苦しさを感じ、一人で病院へ行きました。呼吸器内科にかかったので原因究明に手間取り、息苦しさが貧血のためだと分かるまでに数週間。

 しかし、あまりに貧血がひどく、輸血を受けても改善しません。夫のK君が心配して通院に付き添うようになりました。
 そこで同じ病院の消化器内科の先生が、内視鏡検査を勧めてきたようです。
「念のための検査ですよ。万一ということもありますから」
 ところがこれが大正解。見つかったのは直径9センチにも及ぶ胃がんでした。そこから出血し、貧血に至っていたのです。

 ステージ3。進行の速いものではなく、大きさからすると数年がかりで進行したもののようでした。胃がんは手術での完治率がかなり上がっていますから、二年に一度でも検査をしておけば話は違っていたでしょう。
 だけど今それを言っても始まりません。義父はすぐに手術を受けることになりました。

 となると、これまで義父の介護を受けてきた義母をどうするか、が問題です。
 どうしよう……とこれだけで気が遠くなりそうでしたが、義母を担当してくれているケアマネさんは手慣れたもの。さっそく手配をしてくれ、私たちは義母を施設のショートステイに預けることができました。
 ショートステイですから、期間が長くなれば施設を移らねばなりません。でもお陰で私たちは義父の闘病の支援に集中できるようになりました。

 義父の受けた手術は、当然ながら大きなものでした。
 となるとダメージもまた大きい。
 K君は両親ともに介護サービスを受けさせながら、やがては元の家で生活させることをイメージしていたようです。だけど義父の入院先へ面会に行くたび、私たちはそれが難しいことを突きつけられました。
 歩くのもおぼつかない義父を目の当たりにするわけです。義母のことはさておき、これでは義父自身も自立した生活に戻るのは難しいでしょう。

 親が倒れた時のことをまったく想像できない、という人も多いようなので(いや、そうですよね。ちょっと前の私もそうでした)、ざっくりと流れを書いておきます。
 多くの場合、病気やケガで急性期病院に行くことになりますよね。そして治療を受けるわけですが、その入院中に、退院後の生活を見据えて準備をすることになります。
 準備とは、具体的には介護認定を受けること。
 どうしても自宅介護が受けられない人の場合、施設入所等も検討します。

 ますは親が住んでいる自治体の「地域包括支援センター」に、介護認定の申請をすることになります。調査員の方は、市区町村から委託された方が多いようです。彼らは自宅だけでなく病院にも来てくれます。
 認定まで約30日かかるので、早めの方がいいです。ここは病院側もよく分かっているので、(スムーズな退院のためにも)急いで認定を受けるよう促されることもしばしば。

 要介護度は、要支援1・2、要介護1~5の7段階。ご存じの方も多いかと思いますが、日常生活の多くを自分で行える「要支援」と、誰かの介護が必定である「要介護」の間には受けられるサービスにかなりの違いがあります。自己負担額も違い、ケアマネジャーさんの所属先も違います。特養に入所できるのは要介護3以上、というのも有名な話。
 その認定結果が出ると、介護保険証が送られてきます。

 義父は「要支援」の段階を経ることなく、いきなり「要介護」に突入しました。
 要介護2。やっぱりね、という感じでした。
 でも私たち、この時点ではまだリハビリによる復活に期待していました。義父の場合、頑張り次第で「要支援」レベルには戻れるんじゃないかと。

 ですが退院後、「最初の一か月はうちで」と義父を引き取って様子を見たところ、やはりなかなか厳しそうでした。
 胃の全摘は免れたものの、五分の四を切り取った義父。意外に食欲はあって、私が恐る恐る出した介護食はしっかり平らげます。この分ならそこそこ元気になるかもしれないと思いつつ、それでも体調は不安定。家事をこなせるレベルには至らないだろうなと感じるのです。支援を受ければ……と考えますが、一人暮らしならまだしも、義母の世話をするのは無理がありそうです。

 一方の義母。
 実は義父の入院中、義母はさらなるトラブルに見舞われていました。
 元々のパーキンソン病のせいもあって、思うように体を動かせなくなっていた義母。施設の介護士さんが目を離した隙に、何と転倒してしまったのです。

 高齢者が最も避けねばならないとされる「大腿骨骨折」。これを機に寝たきりになる人も多い、非常に厄介なトラブルです。
 施設からこの連絡を受けた時、私たちも頭を抱えました。
「よりによって、お義父さんが大変なこの時期に!」
 もちろん介護士さんはしっかり見ていてくれたわけです。責めるわけにはいきません。だいたい入所時に、私たちは施設側の責任を問わないという誓約書にサインしていました。

 嘆いていても仕方がありません。幸いにも、義母は施設近くの病院で人工股関節を入れる手術をしてもらうことができ、その後はリハビリ病院に移ることになりました。これで寝たきりになるのは避けられましたが、介助なしでは車椅子にも乗れないほど重度の要介護レベルです。
 この時点では、胃がんの手術を目前に控えた義父に余計な心労をかけるわけにはいきませんでした。なので話をしたのは、すべて無事に片付いてから。

「大丈夫なのか!? 痛がっていないのか」
 義父自身もまだチューブにつながれた状態だというのに、義母の心配をするときには目に真剣な光が戻ります。生き返ったかのようでした。
 こういう時、この夫婦のありようを感じ取ることができます。義母の面倒を見る時、義父は自分の存在価値を認めることができたんでしょう。義母の存在が生き甲斐になっていた、ということだと思います。

 そんなわけで、要介護度の上がった義母は施設にお願いし、一方の義父は我が家に引き取って、今に至ります。二人を一緒にいさせてあげたいのはやまやまですが……義母の施設がうちから近いという点がせめてもの救いです。コロナ禍の面会制限、早く解除されますように。

 狭い家に住んでいると、一部屋をおじいちゃんに明け渡すだけでもなかなか大変。
 特にジゾウに勉強部屋を与えてあげられないことについては、ちょっと可哀想かなという気もします。だけどきょうだいのいないジゾウにとって、同居家族が増えることについてはむしろ喜ばしいことだったようです。

「おじいちゃん、今日はこのお魚をさばくよ!」
 スーパーから帰って来ると、ジゾウはエコバッグから魚のパックを取り出し、張り切って祖父に見せに行きます。偏食の激しいジゾウですが、なぜかお刺身だけは幼児の頃から大好き。ユーチューバーの影響もあって、生魚を手際よくさばくようになっています。包丁さばきの腕は私より上です。

 義父もその辺りは心得てくれていて、そんなジゾウを褒めてくれるのです。
「すごいなー。ジゾウ君はプロの料理人だな」
 本当は、胃を切除した人の食べ物は非常に気を遣わねばならなくて、生魚は禁忌とされています(お腹を壊しちゃう)。
 だけど義父自身も食べたがるし、ジゾウもおじいちゃんに食べて欲しいと言うし……最初は恐る恐る、小さく一切れだけを義父に取り分けましたが、意外と大丈夫。だんだんと普通に食べるようになっていきました。

 そんなわけで、さんざん手を焼いたジゾウですが、義父との同居に関しては大きな味方になってくれています。息子に感謝です。

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み