第3話 シンデレラじゃなかった①

文字数 3,540文字

 K君はおとぎの国の王子様じゃないし、私はもちろんシンデレラなんかじゃない。
 分かっていたつもりでも、結婚が決まったその時にはフワフワした気持ちが抑えきれませんでした。将来像はぼんやりしていて良く分からないけど、とにかくこの人と一緒にいられる。だから素晴らしい日々が始まるに違いない。そう信じずにはいられなかったのです。

 若いですね~(苦笑)。世にいう「結婚は勢いだ」というのはこれのことですよ。
 だけどこの勢いが大事だったりする。これがないと決断できなかったりする。大人になり過ぎちゃいけないこともあるんです。

「相手に期待しなければ、落胆することもない」みたいな話を聞いたことはあるでしょうか。旦那さんの日ごろの態度に怒り狂っている奥さんへの助言としてよく見かけます。
 最初から手伝ってもらえるとは思うな。男性は察してなんかくれないものだ。奥さん、あなたは黙っていながらご主人には理解してもらいたいだなんて、虫が良すぎますよ……っていう感じですかね。

 だいたいはその通りだと思いますが、このアドバイスはなかなか難しい問題をはらんでいるように感じます。だって恋愛感情というのは、相手に期待するところからすべてが始まるわけです。この人と一緒だから、何もかもがうまくいくと思えるのです。それをやめろだなんて、夫を愛するなと言っているに等しいじゃないですか。
 もちろんこのアドバイスはコミュニケーションの重要性を語っているわけですから、そこはそのとおり。馬鹿にしないで、パートナーとの「微調整」に生かすべきだと思います。

 若い頃の私は、男女の脳の違いに関する本などは読んでいましたが、当然ながら経験に裏打ちされた知識があったわけではなく、かなり薄ぼんやりした期待を抱いていただけ。
 だからK君がその期待を裏切るような人じゃなかったことについては、幸運というより他ないでしょう。私に見る目があったわけじゃなくて、単純に「ついてた」。今でも彼のことは、自分にはもったいない夫だと思っています。

 だけど、彼がどんなに良い人でも、彼を取り巻く環境の方が厳しいということ。そして結婚するからには、自分も無縁ではいられなくなることに、徐々に気づいていくことになるんです。
 最初に「ん?」と思ったのは、彼のご両親に挨拶に出向いたとき。

 事前にK君に何度も言われたのは
「汚いけど、驚かないでね」
「ワンピースもスーツもいらない」
「汚れてもいい服装で。デニムとかがいいかな?」
「とにかく汚いから!」

 一体どんだけ汚いんだ!? と首を傾げつつも、一応言われた通りにデニムで、上半身は柔らかいブラウスを合わせて、といった形で悩ましきコーディネートに決着をつけ、ドキドキしながら彼の実家に向かいました。

 とにかく彼のご両親に気に入ってもらわなくてはなりませんからね! 今も昔も、結婚を控えた女子にとって、ここはかなりの難関なんじゃないでしょうか。
 私はご両親も相当な方たちなんだろうと「覚悟」していました。だって、こんなにしっかりしたK君を産んで育てた人たちです。場合によっては私も「理想的なお嬢様」を演じなければなりません(そんな嘘はすぐにバレますが)。

 ところが彼の実家へ向かう道中も、K君は改まる必要はないとの一点張り。妙に力が入っています。
「そんな立派な家じゃないから!」
「手土産? いらないよ、そんなの」

 本当か~? とこちらは疑わざるを得ませんが、K君がここまで言うからには、家族同士のざっくばらんなお付き合いを希望しているのかもしれません。当時の私も、ここはあえて気取らず、リラックスした雰囲気でいこうと思いました。

 ちなみにこの少し前に、K君は私の実家へも顔を出してくれました。実家は「貧乏な庶民です」を地で行くような郊外のマンション住まいでしたが、K君は嫌な顔一つせず。

 私の両親の方は実に簡単でした。父も母も端正なK君に一目ぼれしたと言ってもいいほど。K君の会社の名、および出身大学の名も物を言ったかもしれませんが、何より彼の爽やか好青年っぷりに二人ともため息を漏らしていました。

 K君は「お宅のお嬢さんを僕に……」のセリフを言わされることもありません。
「うちのつばめにはもったいない」
「ふつつかな娘ですが、どうぞよろしく」
 と頭を下げた両親は、むしろ私以上にふわふわ、シンデレラ気分になっていたかもしれません。

 ここでつまづいてしまう人も多いようですから、私はラッキーでしたね。
 ただ、親が何だかんだと口出しするのは、やっぱり結婚とは並大抵のものじゃないと知っているから。子供には不幸になって欲しくないからです!

 そこを踏まえると、私の両親はチェックが甘かったと言えなくもないでしょう。
 もしK君の家の問題をあらかじめ知っていたら、どうだったでしょうか。やっぱり結婚に反対したかもしれません。

 まあとにかく、次は問題のK家です。
 そこは私の実家以上に郊外でした。郊外、と一口に言いますが、本当に都市部からはかなりの距離。
 さらに、最寄りの集落からも少し離れた、山の中の「一軒家」でした。戸建てという意味ではなく、本当に「一軒家」。
 事前にそういう立地だということは聞いていたんですが、その場に立ってみて感じたのは、地元住民からの強い孤立感……。

 今思えば庭の草取りもできていなかったんでしょう。門の内側に車をとめましたが、そこから玄関に向かうのも容易じゃない。生い茂る雑草。ほとんど獣道です。
 私は顔をしかめ、何度も虫を振り払いました。
 確かにここ、ワンピースとヒール靴で来てたら、やばかったなあ。

 犬の鳴き声が聞こえていました。車のエンジン音に反応したんでしょう。来客に警戒して吠えているのが分かります。
 いざ玄関に近づくと、案の定でした。二頭の柴犬が、明らかに私に向かってけたたましい声を上げているじゃありませんか。

 K君が愛してやまない犬がいることは聞いていました。
「さくらっていうんだよ。すっげえ可愛いんだよ」
 うれしそうに語るので、私としてはどんなに愛らしい犬かと想像を巡らせていたわけですが、目の前の二頭は敵愾心むき出し。近づいたら噛みつかれそうです。
 参ったなあ。
 私は完全にひるんでいました。ペットを飼った経験のない私は、動物との付き合い方が分からなかったのです。

 K君はいつものことなので落ち着き払っていて、「さくら、ただいま~」と上機嫌で彼らの頭をなでています。だけど二頭のさくらちゃん(←事情があって同じ名でした)、その程度の融和策には乗りません。見慣れぬ私への警戒を少しも緩めることなく、全力で吠え続けます。
「私たちのテリトリーよ! 出て行って!」
 と言っていたのかもしれません。

 しかもその時、また別の鳴き声が聞こえたような気がしました。
 聞き違いではありません。ガラス越しに、室内から聞こえるのです。見ると、カーテンを揺らしながら小型の洋犬が二匹、やはりこちらに向かって吠えているではありませんか。

「ず、ずいぶん賑やかだけど……」
 四頭の犬の声にかき消されそうになりながら、私はK君に聞きました。
「室内犬もいるの?」

 K君は涼しい顔をして、そうだよと答えます。
「ブランド犬は室内、雑種犬は外。これってヒエラルキーだよねえ!」
 アハハハと大爆笑するK君。私は苦笑いするのが精いっぱいでした。だっていかにも歓迎されていないこの状況、ご両親の本心を反映しているんじゃないかと思いましたから。

 緊張を何とか押しとどめようと、私は何度も深呼吸をしました。押し問答の末に、結局途中の洋菓子店で買った手土産。彼のご両親に気に入ってもらえるでしょうか。
 握りしめると、紙袋がカサっと音を立てます。

 固唾を飲む私の横で、K君がインターホンを押しました。
 反応なし。

「あれ、留守かな?」
 K君は首をひねりますが、そんなわけはありません。今日私がお邪魔することは、伝えてもらっているんです。もちろん、だいたいの到着時刻も知らせてあります。
 誰だって大事な息子がどんな女と結婚しようとしてるのか、気にならないわけはないでしょう!

 しかし、二度目のインターホンにも応答なし。
「しょうがねえなあ」
 と、K君がポケットからスペアキーを取り出して鍵を開けてしまいます。
「……ちょっと、いいの?」
 私はすっかり怖気づいていましたが、K君は気にも留めていない様子。
「ま、買い物にでも行ってんだろ」

 ドアを開け、K君が先に中へ入ります。ちょっぴりカビ臭いのが気になります。
 続いて中に入った私は、そこではっと息を呑みました。

 ゴミ屋敷だ……。

 そう、足の踏み場もないほどの、散らかりようだったのです。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み