第12話 小児外科の先生と、付き添い入院のこと
文字数 3,764文字
身構える私たちに、ベテランの先生は淡々と語ります。
「鼠経 ヘルニアですね。恐らく手術ということになると思います。本当はすぐに入院して頂きたいんですが、あいにくベッドに空きがなくってね。今日は一旦お帰り頂いて、明日の朝、また受診して下さい」
研修医の先生たちは、先ほどとは打って変わって落ち着いた様子。
もう東の空がうっすらと明るくなり始める時分で、私も緊張から解き放たれたせいか、これから帰って寝る気満々でした(笑)。なので正直、こう思ったんです。
(また来なくちゃいけないの!? 面倒くさっ)
でもこれは夜間受診のお約束みたいなもの。ここはあくまで緊急対応をしていただく所なので「ちゃんとした」診察は時間内に改めて受け直さなければならないのです。
さて手術と言われると身構えてしまいますが、ここで「鼠経ヘルニア」と診断がついたことで私はすっかり安心してしまいました。
だって、そんなに珍しくない病気ですからね。
私は小学生の頃に扁桃腺肥大の全摘手術を受けたことがあるのですが、そのとき六人部屋の同じ病室に鼠経ヘルニアの子が二人ほどいたのを覚えていました。彼女たちは私より手術時間も短く、入院中も元気に過ごし、短期間で退院していったのです。
「なあんだ、あれね~」
大したことないじゃん。その程度で良かったと、私は胸を撫でおろしました。
だけど翌日(というか同日)の午前九時。
二時間ぐらいは仮眠を取って、あくびをしながら再び病院へ向かった私たち。早速この甘い認識を見抜かれ、がつんと叱られることになりました。
今度向かったのは、救急外来ではなく、通常の小児外科外来。診察室には夕べの「戦士」とは別の、もっとベテランと言っていい白髪頭の先生が待ち構えていました。
いくつか私に質問を投げかけてきたその先生は、「この母親、何にも分かってねえな」と舌打ちするような思いだったのかもしれません。鋭い舌鋒で私の態度を追及してきました。
「あのねえ、お母さん。この子がどれほど苦しい思いをしたか、分かってます?」
鼠経ヘルニアは、足の付け根付近に腸などの一部が飛び出してしまう病気。子供の場合は先天性の原因で起こります。昔は「脱腸」などとも呼ばれました。
この先生はジゾウが痛がって大泣きしていたことを重視していました。痛みが出るということは、飛び出した腸に血液が届いていなかったということ(らしい)。
「いいですか。陥頓 は、恐ろしいことなんですよ? 腸が壊死してしまうかもしれないんですよ? そうなったら命に関わるんですよ?」
ジゾウの場合、たぶん誕生した時から症状が出ていただろう。つまり母親が注意して見ていれば、もっと早く気づけたんじゃないか。
先生にがつーんとお説教されたのは、概ねそんな内容でした。母親が気づかなかったばかりに死んでしまう子もいれば、命を取り留めたとはいえ一生を人工肛門で過ごす子もいるそうです。鼠経ヘルニアを甘く見てはいけません。
私はしょんぼりして先生の話にうなずきます。
その通り。もっとしっかりした母親だったら対応は違ったかもしれません。
でも、そんなあ~(涙)。
産院での新生児検診では、何の異常も指摘されませんでした。先述の通り、近所の小児科クリニックでも気づいてもらえませんでした。
医療者でさえそうなのに、素人の母親にそこまでプレッシャーをかけますか?
ここで誤解を招かぬよう補足させて頂きますが、小児科医、小児外科医の先生方は子供たちの命を守るため、ご自身の命を削るようにして働いて下さっています。子育ての大変さについてもよく分かっていらっしゃって、親に少々落ち度があったとしても、多くの場合それを責め立てるようなことはしません。
落ち度がなければなおさらです。むしろ「お母さんもよく頑張ったね」などと、いたわってくれるような方が多いんじゃないでしょうか。
なので私が直面したこのケースについては、「そういうこともある」ぐらいに解釈して頂けると幸いです。この先生も、私を全面否定したわけではなかったんだと思います。
で、当時の私も落ち込んでいる場合じゃないのは分かっていました。手遅れにならないうちに見つかって良かったのです。幸運だったと思うべきでしょう。
あとはなるべく早く手術を受けるのみ。
ですが、手術のスケジュールがいっぱいで、今は予約の目途が立たないと言われてしまいました。
そりゃそうですよね。他の多くの患者さんは、診察はもちろん、前もって問診やら検査やらを済ませた上で、やっと入院→手術という段取りなわけです。うちはそういう手続きを全部すっ飛ばしています。
「他の手術でキャンセルが出ることもあります。そのとき、最優先で入れてもらうようにしますからね」
この後、間もなく空きが出て、ジゾウは思ったより早く手術をしていただけました。だから手配をしてくれたこの白髪頭の先生にも、やっぱり感謝すべきでしょう。
ちなみに入院してから出会った執刀医の先生は、とても優しく誠実な方でした。お忙しいにも関わらず、説明はこれ以上ないほど丁寧。術後の様子も、何度も見に来てくれたのを覚えています。
手術跡もごく小さく、後に別の先生に診てもらう機会があった時に「あ、うまい!」と声が上がった(思わず出た本音という感じでした)のをよく覚えています。小児外科の先生にも、いろいろな方がいるものです。
でもこの朝の時点では、入院日も手術日も未定。手術は一か月ぐらい先になる可能性も示唆されました。いつまで「陥頓」を恐れながらの生活をしなければならないのか、まったく読めません。
それまでは、応急処置で乗り切ることになりました。すなわち腸が飛び出してきたら、そのたびに指で押してお腹の中へ戻すのです。何と原始的な、と驚きましたが、そういうものだそうです。
やり方を看護師さんから教わりましたが、ぐにゅっとした内臓の感触が親指に伝わってきます。
でもそうしていると、やっぱり痛みから解放されるんでしょう。ジゾウは終始ご機嫌で、「もっと押してくれ~」とばかりに手足をパタパタ動かしていました。
「ベッドが空き次第、入院です。連絡をお待ちください」
と言われていったんは帰宅。
でもすぐにまた病院から電話がかかってきました。
「ベッドが空きました。入院の荷物を持って今すぐご来院ください」
このタイミングですか!! 今度こそちゃんと寝ようと思ったのに。
とにかく大急ぎで入院の荷物を作ります。プリントに書いてある通り、母子手帳におむつ、着替えをスーツケースに入れて。
ミルクはいらない? 水も病院でもらえるのか。ふむふむ。
小児病棟には、母親も一緒に入院します。いわゆる「付き添い入院」です。これについてもプリントに書いてありました。
子供のベッドの脇に自分用の簡易ベッドを置いて、おむつの取り換えやら食事の介助やらをするのです。母親が泊まり込んで子供の面倒を見るわけです。
う~、そうですか。すでに寝不足でフラフラの私は、思わずこめかみを押さえました。看護師さんはもちろんいるけれど、病院に丸投げってわけにはいかないんだな~。
さらにプリントを読み込んでいきます。
夜九時に就寝、朝六時に起床、か。やっぱり寝られなそうだな。ジゾウの奴は絶対に夜泣きをするぞ。
食事は院内の食堂か、コンビニで買ってきて済ませる……お、これは自宅より楽そうだぞ?
何? 病棟内に親専用のお風呂がある!?
急に私は色めき立ちました。じゃあシャンプーもボディソープもいい匂いのやつを持っていって、ささやかな癒しを求めるというのもアリかな?
いろいろ期待しましたが、実際にはそんな優雅なもんじゃなかったです。古い設備の浴室だったし、厳しい時間制限があり(ドライヤー時間などを含めて15分)、次の人が待っているので、ゆっくりはできません。またジゾウのように目を離せない赤ちゃんの場合、私の入浴中は夫のK君に付き添いを代わってもらわなくてはなりません。つまり面会時間内でなくてはならないという縛りもありました。
親の付き添いは、病院によってやり方が違うそうです。そもそも許可すらしていない病院があるし、父親が日中に長時間滞在するのはいいけど、宿泊は母親のみ、といった制限を設けている病院もあるとか。
この病院は「父親も泊まって良い」というスタンスでした。よそのパパさんが寝具を整える姿を見て、「え~、あの人も同じ部屋で眠るの?」と驚いたものです。
というわけで、入院の荷物は自分の分も準備をしなくてはなりませんでした。
着替え、化粧品(院内でメイクまではしないけど)、洗面道具も忘れずにパッキング。
人間というのは、作業量が限界に達した時に判断力が著しく低下するそうですね。
私の場合は、この時がそれに近かったかもしれません。「さあ入院するぞ!」と気合を入れた途端、なぜか眠気が吹っ飛び、目がらんらんと開きます。異様に気分がハイになり、スーツケースを手に、これから海外旅行にでも行くかのような大興奮。
「つばめ、大丈夫……?」
運転しているK君はバックミラー越しに、笑っている私を不安げに見つめてきました。
そうそう、気が狂っている場合じゃありませんよね。
「
研修医の先生たちは、先ほどとは打って変わって落ち着いた様子。
もう東の空がうっすらと明るくなり始める時分で、私も緊張から解き放たれたせいか、これから帰って寝る気満々でした(笑)。なので正直、こう思ったんです。
(また来なくちゃいけないの!? 面倒くさっ)
でもこれは夜間受診のお約束みたいなもの。ここはあくまで緊急対応をしていただく所なので「ちゃんとした」診察は時間内に改めて受け直さなければならないのです。
さて手術と言われると身構えてしまいますが、ここで「鼠経ヘルニア」と診断がついたことで私はすっかり安心してしまいました。
だって、そんなに珍しくない病気ですからね。
私は小学生の頃に扁桃腺肥大の全摘手術を受けたことがあるのですが、そのとき六人部屋の同じ病室に鼠経ヘルニアの子が二人ほどいたのを覚えていました。彼女たちは私より手術時間も短く、入院中も元気に過ごし、短期間で退院していったのです。
「なあんだ、あれね~」
大したことないじゃん。その程度で良かったと、私は胸を撫でおろしました。
だけど翌日(というか同日)の午前九時。
二時間ぐらいは仮眠を取って、あくびをしながら再び病院へ向かった私たち。早速この甘い認識を見抜かれ、がつんと叱られることになりました。
今度向かったのは、救急外来ではなく、通常の小児外科外来。診察室には夕べの「戦士」とは別の、もっとベテランと言っていい白髪頭の先生が待ち構えていました。
いくつか私に質問を投げかけてきたその先生は、「この母親、何にも分かってねえな」と舌打ちするような思いだったのかもしれません。鋭い舌鋒で私の態度を追及してきました。
「あのねえ、お母さん。この子がどれほど苦しい思いをしたか、分かってます?」
鼠経ヘルニアは、足の付け根付近に腸などの一部が飛び出してしまう病気。子供の場合は先天性の原因で起こります。昔は「脱腸」などとも呼ばれました。
この先生はジゾウが痛がって大泣きしていたことを重視していました。痛みが出るということは、飛び出した腸に血液が届いていなかったということ(らしい)。
「いいですか。
ジゾウの場合、たぶん誕生した時から症状が出ていただろう。つまり母親が注意して見ていれば、もっと早く気づけたんじゃないか。
先生にがつーんとお説教されたのは、概ねそんな内容でした。母親が気づかなかったばかりに死んでしまう子もいれば、命を取り留めたとはいえ一生を人工肛門で過ごす子もいるそうです。鼠経ヘルニアを甘く見てはいけません。
私はしょんぼりして先生の話にうなずきます。
その通り。もっとしっかりした母親だったら対応は違ったかもしれません。
でも、そんなあ~(涙)。
産院での新生児検診では、何の異常も指摘されませんでした。先述の通り、近所の小児科クリニックでも気づいてもらえませんでした。
医療者でさえそうなのに、素人の母親にそこまでプレッシャーをかけますか?
ここで誤解を招かぬよう補足させて頂きますが、小児科医、小児外科医の先生方は子供たちの命を守るため、ご自身の命を削るようにして働いて下さっています。子育ての大変さについてもよく分かっていらっしゃって、親に少々落ち度があったとしても、多くの場合それを責め立てるようなことはしません。
落ち度がなければなおさらです。むしろ「お母さんもよく頑張ったね」などと、いたわってくれるような方が多いんじゃないでしょうか。
なので私が直面したこのケースについては、「そういうこともある」ぐらいに解釈して頂けると幸いです。この先生も、私を全面否定したわけではなかったんだと思います。
で、当時の私も落ち込んでいる場合じゃないのは分かっていました。手遅れにならないうちに見つかって良かったのです。幸運だったと思うべきでしょう。
あとはなるべく早く手術を受けるのみ。
ですが、手術のスケジュールがいっぱいで、今は予約の目途が立たないと言われてしまいました。
そりゃそうですよね。他の多くの患者さんは、診察はもちろん、前もって問診やら検査やらを済ませた上で、やっと入院→手術という段取りなわけです。うちはそういう手続きを全部すっ飛ばしています。
「他の手術でキャンセルが出ることもあります。そのとき、最優先で入れてもらうようにしますからね」
この後、間もなく空きが出て、ジゾウは思ったより早く手術をしていただけました。だから手配をしてくれたこの白髪頭の先生にも、やっぱり感謝すべきでしょう。
ちなみに入院してから出会った執刀医の先生は、とても優しく誠実な方でした。お忙しいにも関わらず、説明はこれ以上ないほど丁寧。術後の様子も、何度も見に来てくれたのを覚えています。
手術跡もごく小さく、後に別の先生に診てもらう機会があった時に「あ、うまい!」と声が上がった(思わず出た本音という感じでした)のをよく覚えています。小児外科の先生にも、いろいろな方がいるものです。
でもこの朝の時点では、入院日も手術日も未定。手術は一か月ぐらい先になる可能性も示唆されました。いつまで「陥頓」を恐れながらの生活をしなければならないのか、まったく読めません。
それまでは、応急処置で乗り切ることになりました。すなわち腸が飛び出してきたら、そのたびに指で押してお腹の中へ戻すのです。何と原始的な、と驚きましたが、そういうものだそうです。
やり方を看護師さんから教わりましたが、ぐにゅっとした内臓の感触が親指に伝わってきます。
でもそうしていると、やっぱり痛みから解放されるんでしょう。ジゾウは終始ご機嫌で、「もっと押してくれ~」とばかりに手足をパタパタ動かしていました。
「ベッドが空き次第、入院です。連絡をお待ちください」
と言われていったんは帰宅。
でもすぐにまた病院から電話がかかってきました。
「ベッドが空きました。入院の荷物を持って今すぐご来院ください」
このタイミングですか!! 今度こそちゃんと寝ようと思ったのに。
とにかく大急ぎで入院の荷物を作ります。プリントに書いてある通り、母子手帳におむつ、着替えをスーツケースに入れて。
ミルクはいらない? 水も病院でもらえるのか。ふむふむ。
小児病棟には、母親も一緒に入院します。いわゆる「付き添い入院」です。これについてもプリントに書いてありました。
子供のベッドの脇に自分用の簡易ベッドを置いて、おむつの取り換えやら食事の介助やらをするのです。母親が泊まり込んで子供の面倒を見るわけです。
う~、そうですか。すでに寝不足でフラフラの私は、思わずこめかみを押さえました。看護師さんはもちろんいるけれど、病院に丸投げってわけにはいかないんだな~。
さらにプリントを読み込んでいきます。
夜九時に就寝、朝六時に起床、か。やっぱり寝られなそうだな。ジゾウの奴は絶対に夜泣きをするぞ。
食事は院内の食堂か、コンビニで買ってきて済ませる……お、これは自宅より楽そうだぞ?
何? 病棟内に親専用のお風呂がある!?
急に私は色めき立ちました。じゃあシャンプーもボディソープもいい匂いのやつを持っていって、ささやかな癒しを求めるというのもアリかな?
いろいろ期待しましたが、実際にはそんな優雅なもんじゃなかったです。古い設備の浴室だったし、厳しい時間制限があり(ドライヤー時間などを含めて15分)、次の人が待っているので、ゆっくりはできません。またジゾウのように目を離せない赤ちゃんの場合、私の入浴中は夫のK君に付き添いを代わってもらわなくてはなりません。つまり面会時間内でなくてはならないという縛りもありました。
親の付き添いは、病院によってやり方が違うそうです。そもそも許可すらしていない病院があるし、父親が日中に長時間滞在するのはいいけど、宿泊は母親のみ、といった制限を設けている病院もあるとか。
この病院は「父親も泊まって良い」というスタンスでした。よそのパパさんが寝具を整える姿を見て、「え~、あの人も同じ部屋で眠るの?」と驚いたものです。
というわけで、入院の荷物は自分の分も準備をしなくてはなりませんでした。
着替え、化粧品(院内でメイクまではしないけど)、洗面道具も忘れずにパッキング。
人間というのは、作業量が限界に達した時に判断力が著しく低下するそうですね。
私の場合は、この時がそれに近かったかもしれません。「さあ入院するぞ!」と気合を入れた途端、なぜか眠気が吹っ飛び、目がらんらんと開きます。異様に気分がハイになり、スーツケースを手に、これから海外旅行にでも行くかのような大興奮。
「つばめ、大丈夫……?」
運転しているK君はバックミラー越しに、笑っている私を不安げに見つめてきました。
そうそう、気が狂っている場合じゃありませんよね。